太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」 第1回 2020年04月12日 |
私はなぜ未来派へよりみちしたか
太田岳人 はじめまして、太田岳人と申します。イタリアの近現代美術史、特に未来派という前衛芸術運動を研究しています――初対面の方にこう自己紹介すると、未来派という言葉に質問がおよぶ以前に、「イタリアの美術っていうと、古代ローマやルネサンスのものではないんですか?」「アヴァンギャルドといったら、フランスやアメリカではないんですか?」などとしばしば聞かれる。 「イタリア美術史」と「近現代美術史」というそれぞれのカテゴリーについて、一通りの見識を持っている人でも、「イタリア近現代美術史」のイメージは薄いようである。最近は日本においても、ルーチョ・フォンターナのような個々の芸術家や、アルテ・ポーヴェラのような第二次世界大戦後の芸術運動といった、20世紀のイタリアをテーマとする研究者が少しずつ増えてはいる。とはいえ、一般にこうしたテーマは、西洋美術史の「本筋」とされているものから外れる、言ってみれば「よりみち」のように見えるかもしれない。 ただし、私にとってはむしろ美術史への関心が、大学でやるつもりだった事柄からの「よりみち」である。大学に入るまで私は、美術がむしろ苦手だった。中学までの授業では、うまくもない水彩画を無理に短い制限時間内に描かされるのがイヤだったし、高校では芸術系の選択科目が音楽と書道のみで、授業そのものが存在していない。イタリアそのものには関心があったが、それはむしろ政治や外交の歴史に向けられていた。19世紀後半における国家の再統一から、資本主義社会の形成、ファシズム勢力の台頭、第二次世界大戦の敗北からの再出発――こうした近代イタリアの歴史的歩みを、日本のそれと比較して調べてみたいと思っていた。 そうしたわけで、私は史学科と名のつく場所がある大学に進学したのだが、そこからさらに美術史へと「よりみち」して行くのには、二つの偶然が介在している。一つは、私の通った大学においては、美術史の研究者が哲学系の学科ではなく、史学科に配属されていたことである。もう一つは、史学科でイタリア関係を学びたい学生の面倒を見る教師が、イタリア・ルネサンスおよびマニエリスム美術の、さらにはジェンダー文化論の専門家として知られた、若桑みどりであったことである。確か新入生ガイダンスの時だったか、イタリアの近現代史に興味がありますと軽い気持ちであいさつした私に対し、若桑先生は「あなたイタリア好きなの? 面白い。それなら美術史をやらないと!」と、当然のごとく返してきたことが今でも思い出される。 先生が定年を迎え他大学へと移るまでの2年間、200人を超える大教室での一般教養の講義から、先輩の大学院生を交えての自主ゼミにまで顔を出す中で、未来派の存在についても教わった。1909年2月に発表された「未来派創立宣言」から始まるこの芸術運動は、電光、機械、スピードといった近代の産物を新しい「美」とみなしたが、そうした考え方が私には最初にしっくりきた。そこから来る作品は絵画一つとっても、ピカソのキュビスムやカンディンスキーの抽象作品とも異なる、明快な色彩や速度の感覚をともなった独自の魅力がある。しかし問題はそれだけではない。あらゆるジャンルの芸術家を糾合しつつ、情報発信やパフォーマンスを通じて、イタリア社会総体の革新へと進出しようとした壮大な文化運動であった未来派は、第一次世界大戦のような現実の戦争も「美」の領域に含め、1920年代以降は台頭するファシズム勢力にも接近している。こういった点は、20世紀前半の西洋に生まれたアヴァンギャルド運動の中でも特異なものであるが、かつて政治史をやろうとしていた私には、それらもまた興味深い謎に見えたのである。 若桑先生は2007年10月に急逝されたが、私が初めてイタリアの地を踏んだのはその翌月である。短期滞在中、主要都市の美術館をめぐって一番印象に残ったのは、当時ヴェネツィアのグッゲンハイム・コレクションに寄託されていた、ウンベルト・ボッチョーニの《自転車乗りのダイナミズム》(図)だった。フランスのキュビスムの直接的かつ急速な摂取の段階を脱した若き画家は、輝かしい色彩と弧や直線で構成されるみずみずしい画面の中に、疾走する自転車乗りのスピードの喜びを浮かび上がらせている。先生はかつて、放送大学向けの教科書『イメージの歴史』(2012年、ちくま学芸文庫に収録)で、未来派とファシズムという難しい問題に触れつつも、その作品については「若者もこれを知れば魅惑される要素をもっている」と書いていた。ある意味私もそうした(もと)若者の一人として、「よりみち」を今でも続けている。 掲載作品: 図:ボッチョーニ(1882−1916)《自転車乗りのダイナミズムDinamismo di un ciclista》 1913年、キャンバスに油彩、70×95cm、 ※Vivian Greene (ed.), Italian Futurism 1909-1944: reconstructing the universe, Exhibition catalogue. New York: Guggenheim Museum, 2014より (おおた たけと) ●は偶数月の12日に掲載します。次回は6月12日の予定です。 ■太田岳人 1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学などで非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。E-mail: punchingcat@hotmail.com *画廊亭主敬白 臨時休廊16日目。 イタリア未来派を専門とする太田岳人さんの新連載が始まります。 2009年9月に最後の未来派といわれたを開催しました。油彩8点の小展でしたが、好評で完売しました。最近「」を買い戻したのを機にを書いていただいた太田さんと駒込のお蕎麦屋さんで一杯やりながら旧交を温めました。 当時、ベッリのことを調べてもさっぱりわからず、ご健在だった井関正昭先生(1928-2017、ローマ日本文化館館長、東京都庭園美術館館長を歴任)はじめ未来派研究者たちに電話をかけまくりましたがどなたも原稿を引き受けて下さらない、途方にくれました。そのときふと先生(1952-2017)を思い出しました。30数年前、シエナ大学留学から帰国され勤めたのが亭主の故郷でした。学芸員なりたてのホヤホヤでしたが種々ご指導を賜りました。その後、千葉大学に移られており電話口で「久しぶり! うちに未来派を研究しているのがいるよ」と太田さんを紹介してくださったのでした。泉下の上村先生もきっとこの連載を喜んでいらっしゃるでしょう。ぜひご愛読ください。 「太田岳人のエッセイ」バックナンバー |
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