太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」 第13回 2022年4月12日 |
知られざる/来たるべき未来派翻訳
太田岳人 先月、立命館大学衣笠キャンパスにて、と題するシンポジウムが開催された。でも軽く触れた、昨年の3月に同大学で催されたものの続編である。今回は二部構成となっており、第一部では、未来派における「ジャンル横断性のエスキスとなった」(趣旨説明文より)演劇およびパフォーマンスの問題【注1】について、演劇史を専門とする菊池正和氏が基調報告を行った。また、狭義の近現代芸術研究とは別の立場からのリプライとして、ダンテの『新曲』の新訳とともに、最近完結したマンガ『チェーザレ 破壊の創造者』(惣領冬実作)の監修でも知られる、原基晶氏がコメントを加えた。私も含め、前回の登壇者の一部がパネリストとして加わった第二部では、の内容を踏まえつつ、将来的に未来派の宣言・資料の翻訳集が出されるべきという共通認識のもと、来たるべきその翻訳集にどのような内容が求められるかについてのラウンドテーブルが持たれた。前回同様、コロナウイルスの影響により現地に集まったパネリスト以外は、基本的にオンラインを通じてという形式をとったものの、それによって現在海外留学中の前回の登壇者(角田かるあ氏)が参加可能になるなど、制限の中でも活発な意見交換が行われた。 ところで、このシンポジウムの休憩時間中、菊池氏がご自身の発表の内容とは別に、興味深い情報を他の登壇者に提供してくれた――先日、とあるインターネット・オークションのサイトをのぞいていたところ、なんと自らマリネッティの詩集を訳出し、冊子や本の形にして頒布している人を見つけました。訳者の名義は新福麗音とあり、ウェブ情報ではどうも東京を拠点としている若い人らしいのですが、それ以上はよく分かりません。特に関東在住の皆さんは心当たりがおありですか――そういって菊池氏は、自分が入手した本を立命館に集合していた研究者に見せてくれたのだが、関東からの出席者にとってもこれは未知の話であった。私の場合、新しく未来派やイタリア関連の書籍や論考が何か出ていないかの定期確認としては、全国の大学の蔵書が確認できる「CiNii」などウェブ上のデータベースをチェックしているが、オークションサイトを通じて私家版の翻訳が出現するとは、正直思いもよらなかったものである。 訳者氏について、心当たり以前に名前をどう読むのかもわからない一方、ご当人のツィッターとおぼしきものを見る限り、象徴主義やシュルレアリスムといった仏・伊の近代文学には明らかに通暁されている【注2】。シンポジウムが無事終了した後、私は噂のオークションサイトからではなく、私家版が委託販売されているという東京都内の古書店を、片道2時間かけて訪問した。するとそこには、「薔流薇書院」を発行元として謳う(この名前は、ジャコモ・バッラの抽象的な花の絵画【図1】あたりからヒントを得たのだろうか)、表紙の洒落た文庫サイズの書籍が三種類ほど置いてあった。その中から、マリネッティの未来派初期の二つの宣言を収めた『未来派宣言』と、象徴派としての彼のデビュー作『星の征服』(1902)の二点を購入したのだが【図2】、特に後者の詩集全訳は貴重な試みではないかと思われる。 図1:バッラ(1871−1958)《バッラ花:薔薇Balfiore: rosa》、1927年頃(キャンバスに油彩、100×75p、個人蔵) ※ Elena Gigli (a cura di), Giacomo Balla: pittura dinamica=simultaneita delle forze, Roma: De Luca, 2010より。 図2:都内で購入した、私家版によるマリネッティの翻訳書2冊。『未来派宣言』(新福麗音訳、2021年)、および『星の征服』(新福麗音訳、2021年)。 ※ 筆者蔵 先のシンポジウムのコメンテーターを担当した原氏も、未来派の宣言集あるいはマリネッティの詩集・舞台作品集などの翻訳が、未だに独立した書籍の形で出ていなかったことは意外であると指摘しているものの、そうした中でも未来派の文学者たちの詩作や小説の紹介については、ほとんど手つかずのままであった。数少ない例外として、イタリア文学者の米川良夫が制作したマリネッティの詩作の私家版編訳集も一応存在しているが、いかんせん40ページほどの分量なので、詩人の全体像が分かるものとは言いがたい【注3】。一方この訳者氏は、計画的にマリネッティの詩作・小説を未来派以前のものから訳しつつあり、さらなる予定としては『未来主義者マファルカ』(1909)や『法王の単葉機』(1912)の名前も挙げている。私の未来派への関心は、歴史学あるいは美術史的な関心から出発しており、芸術運動に対する観点も相当に異なることであろうが、おそらくはアカデミズムとは別個に文学的営為として訳業を推進しようとしている、この方の強い情熱には唸らされた。研究者も負けてはいられない。 もちろん、今回のシンポジウムのパネリストはいずれも、翻訳の些末な部分でいわゆる「マウント」を取ったり、宣言の内容の解釈権を独占したがったりするような考えは持っていないであろう。マリネッティをはじめとする未来派のメンバーたちは「アカデミズム」を罵倒した際、仮想敵にそうした悪しき特質を見出していたはずである。狭義のアカデミズム界隈の水準を高めることのみならず、初学者から自ら外国語を解する高度な実践者までに有益な、情報の整理や解説を含むものが望ましいであろう。また、現在イタリアやフランスでは、国立図書館・大学・美術館といった公共機関によって、未来派の原典のオープンリソース化が進められているが【注4】、それらの情報へ直接アクセスして未来派に触れる人も今後は増えてくることも予測される。来たるべき未来派関係の翻訳集は、そうした人々にも羅針盤的な機能を果たせるものにしたいものである。 注1:第二次世界大戦後に公刊されたマリネッティのアンソロジーとして、最も早い時期のものは、舞台に関わる宣言や実作をまとめたものである。Giovanni Calendoli (a cura di), F. T. Marinetti: Teatro, 3 vol., Roma: Vito Bianco, 1960. 注2:訳者氏が、自身の本づくりを秘かな楽しみの領域にとどめておきたいという可能性も考えられたので、本稿では直のリンクは貼らなかったのだが、より若い世代ではこれらで躊躇なく連絡を取りあうものであろうか。私はSNSを未だに使っておらず、他人のツィッターなどは勝手に読んでいるだけなので、そのあたりの感覚がよく分かっていない。 注3:米川良夫(編訳)『マリネッティをお少し』(私家版、2002年)。 注4:前回の発表者が各自『立命館言語文化研究』にまとめた論文の中でも、特にの末尾の参考文献には、現時点で基本的なサイトグラフィ(Sitografia)も記されている。来たるべき未来派の日本語資料集には、こうした情報のさらなる整理や紹介も必要となってくるだろう。 (おおた たけと) ・は偶数月の12日に掲載します。次回は2022年6月12日の予定です。 ■太田岳人 1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学で講義の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。E-mail: punchingcat@hotmail.com 「太田岳人のエッセイ」バックナンバー |
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