「プロフェッショナルの世界を見た」〜1 2019年02月08日
いつものように、ニューヨークのホイットニー美術館で、「何か良い作品はないか……」と、一般展示をジックリと見ていた時、妙にひかれた作品と出会った。ジョエル・シャピロ〔JOEL Shapiro:1941〜〕が1978年に制作した“真っ赤”な変形六角形の立体の小品〔縦11.4×横14.6×厚さ8.3〕p(資料1)だった。
(資料1)JOEL SHAPIRO
UNTITLED, 1978
CASEIN ON WOOD
11.4×14.6×8.3p
帰りに、ポーラ・クーパー画廊〔当時のシャピロの契約画廊〕に寄り同時代の類似作品を見たが、気に入ったものはなかった。
翌週の土曜日、シャピロのスタジオ訪問。幸い彼はスタジオにいた。
「ホイットニーで、赤い1978年の立体の小品見ましたよ。あれ、いい作品ですね。その足でポーラ・クーパーに行き、同時代のもの4点見ましたよ。好みのものではなかったのです。あの種の作品、所有なさってませんか……?」
すぐ反応した。「探してみるよ。1〜2点、コレクションとして持っているかも……」
1987年11月28日、彼に電話してみると、作品の所在をつきとめておいてくれた。急ぎ、彼のスタジオに向う。地階の倉庫で見せられたものは、プレインな形をした鮮やかなブル−〔シャピロ・ブルー〕の変形五角形の立体作品〔1979年制作:17.6×12.7×4.7p〕(資料2)。
(資料2)JOEL SHAPIRO
UNTITLE
1979年
OIL ON WOOD
17.6×12.7×4.7p
見た途端、思わず出た言葉。「これはいい。好みの作品ですよ」
これを聞いたシャピロは、これと全く同形の真っ黒な作品を黙ってさし出した。「ズシリ」と重い。ブルーの木製の作品を原型にして、部材をかえ、鉄で抜いたものだ。
シャピロは納得のいった出来の良い作品はコピーをつくる事がよくある。「これだな」と即座に思った。2つの作品を交互に、凝視していると、シャピロがつぶやいた。「この時代注1の作品で、copyをつくった作品はこれだけ」と一言。少し間をおき、「2つの作品を見比べてみなさい」とつぶやく。
「形状、色彩、素材、それぞれの特性が絶妙なバランスを形成した時、この手の作品は生気を宿すのだ」ということに気づかされた。実物で教示したのだろう。確かに、この形状の作品は“黒”では、その魅力は出ない。又、“鉄”では、軽快なシャープ感が出ない。
アメリカ有数の名門、プリンストン大学で2年間教壇に立っただけあって、教示の仕方がうまい。
「それを譲りましょう。大切にしてください」何を思ったか……、「今、ポーラにある在庫の4点のどの作品より、質ははるかに上ですよ」とつけ加えた。
・ ・
コレクションに加える作品については、自分の注視度が異常に高まる。あつかましくも、この場で、シャピロに2つの要求をぶつけた。
作品の側面の木を貼り合わせた部分に多少の歪みが発生し、塗装部分に小さなクラック〔20o程のヒビ〕が出ている。又、塗装の一部に汚れた箇所があった。
「このクラック、補修していただけませんか……?、そして、汚れている部分が気になりますので、リペイントしていただけないでしょうか?」
この無理な要求のあとに、シャピロに発生した反応で、この作家の体質や作品制作の姿勢など、通常では見られない深い部分を垣間見ることになる。彼の虚をつくようなこの要求は意外な面に展開していった。
この要求に表情も変えず、彼は作品を手にとり、何を考えてか……、ヒズミの部分及び、その周辺を繁々と見つめ、「これを直せば、作品にダメージが出てしまう。しない方がよい」又、「リペイントはしない」とキッパリと断ってきた。
間違ったことを言っているのではないので、しばしの間、自分は無言のまま作品を凝視していると、シャピロは何を思ったか……、突飛なことを口にした。
「新たに、制作しなおすか……?」と独り言のようにつぶやいた。一呼吸おいて、妙なことをつけ加えた。
「それには、1978年でなく、1987年と年号を書き入れる」
これを聞いた時、「フッ」と思った。日本では、何十年も前の初期の作品と類似したイメージを今描き、平然と作品に初期の年号を入れる作家もいる。
シャピロは、厳密に自分の作品を管理していて、いいかげんな面が全くない人だと思った。この作品について、制作した8年前と、現在の感性の変化を十分に彼は自覚していたようだ。再制作すると、表層的には、同じ作品のように見えるが、本質的には、同じものではないと判断していたに違いない。
一方、口にした“再制作”について、なぜか……?、「やる」という言葉は出てこなかった。曖昧のまま立ち消えになった。
このあと、神経質な私の心を読んだのか……、「リペイントはしよう。時間はかかるよ」と短い一言が出た。“リペイント”はオリジナル性を損なう面が少ないと思ったのか……。
1987年12月5日、シャピロのスタジオに立ち寄った。
1階の作業机の上に、今回購入した‘79年の立体作品が置かれていた。それは青でなく、真白に塗られていた。眼に入って来た瞬間、「どうしたのか?」と思い、しばしの間凝視していると、彼が歩み寄って来て、
「今、塗り換えている最中。青の塗装をすべて剥離させ、下地にサンダーを掛け、その後白色の油彩を塗り、完全に乾燥させ、次に黄色の油彩を塗り、乾燥させた後、最後に青の油彩を塗るんだよ。だから、時間がかかるんだ」と丁寧に説明をした。「繊細な性格の人だ」と思った。
自分が考えていた“汚れた部分”だけの部分再塗装ではなく、作品全体を塗りなおしていたのだ。これにはビックリ。中途半端な男ではない。
そして、さらに、この作業を通して、シャピロ独得の色彩〔シャピロ・ブルー〕の特色ある“発色”を創出するため、見えない部分に工夫を重ねていることも分った。
・ ・
1988年3月25日。電話もせず、目的があるわけでもなく、フラリとシャピロのスタジオに立ち寄った。彼は外出していて留守だった。
1階の立体制作場で助手の加藤氏が作業をしていた。スタッフで唯一の日本人である。主に作品の木工を担当していた。
「久しぶりですね。エネルギッシュにやってますね」
「ええ、結構忙しくやってます。でも、ずいぶんお目にかかっておりませんでしたね。お元気で何よりです」
「彼に、何か新しい面出てますか……?」
「そろそろ、変化しそうですよ。注意しておかれたら良いですよ」
「具体的に、どんなこと?」
「現在の作品より、はるかに抽象化した立体をボチボチ試み始めていますよ。部材として、新しく、針金なども使い出しましたよ。今のものより、難解かも……」
良い情報を聞いたと思った。これからのシャピロの新しい動きが楽しみであると同時に、今迄のスタイルの作品〔世評やマスコミの評価は極めて高い〕が少なくなり、重要性がさらに増してくると思った。
今後、“これらの作品の価格動向”は十分、注目材料になってくる。
シャピロとの対話から得られる情報は“玄関口”で取れる情報だが、加藤氏から聞くものは、“台所”からの情報で、より深い、的を射る興味ある情報なのだ。画商からの情報とも異なり、極めて重要なものだ。
同国人との雑談は時の流れるのが速い。そろそろスタジオを出ようと思い始めた時、彼が意外なことを口走りだした。
「以前に買われたブルーの立体作品、シャピロに言われ、作品を採寸し、同質の木材で、リメイクをやったんですよ」
これには驚いた。聞いた時、一瞬、息を呑んだ。かなり前に、彼がなにげなくつぶやいた事で、立ち消えになったと思っていたことが、実行されていたのだ。彼の作品に対する執着のすごさを感じた。
「完成したリメイクの作品を渡すと、彼はオリジナルの作品〔リペイントしたもの〕とこれを壁面に掛け、一週間程、一人で、何回も比較して見てましたよ。そして、その後、シャピロは私に、『リメイクの作品は綺麗すぎる。オリジナル作品の“良さ”、そして “味”が消えてしまっている。やはり、彼には、リペイントしたオリジナル作品を与えることにするよ』と言ってましたよ」
私の驚いている表情を見てか、少し間をおいて、
「シャピロから、リメイクの作品を見せてもらいましたか?」
「いや、見せてくれませんでした。再制作した事さえ、全く、知らされてませんよ」
続けて、「あのリペイントは加藤さんがやってくれたの……?」
「いや、リペイントは助手にやらせず、時間をかけて彼自身でやってましたよ」
これも驚き!これほどに高名な作家〔世界の現代美術史の中で、1970年代の作家を代表する一人〕が、人の眼の届かないところで、妥協なく自分の作品に責任をもって出来うる限りのことをしている。
何人もの助手がいるのに……。おそらく、前述の“歪み部分”への何らかの対応もしたのだろう。
「これぞ、プロフェッショナル」と思った。と同時に、シャピロは信頼のできる人であることを、シッカリと、確認をした。“台所からの情報”には、切れ味を感じた。
シャピロとの1回、1回の出来事の中での体験は、後のコレクション行為に多大な影響を与え、又、商社マンとして、ビジネスに於ての思考にも影響を与えていった。趣味での体験も馬鹿にできないものがある。
なお、この作品は、2010年8月14日〜10月17日、2010年12月25日〜2011年2月13日、2017年11月4日〜2018年3月18日、これらの3回、東京国立近代美術館で展示された。
注1 この種の立体作品は2パターンがある。ひとつは、直線で構成された多面体を組み合わせて制作された立体作品。これは1978〜1979年の2年間に限って制作された。記述した2例はこのパターンに属する。もう一種は、曲線をとり入れた同様な立体作品。これの大部分は1980年に制作された。
合計3年間しか制作されていないので、この種の作品は極めて少ない。
コレクターや美術館から特に好まれるのは前者のパターン。現在市場には皆無の状況。
このタイプに関してポール・アンカが非常に良い作品(1978年制作)をコレクションしている。
(ささぬま としき)
「プロフェッショナルの世界を見た」〜2 2019年02月09日
前述のようなシャピロの作品制作に対する姿勢は、“版画”でも変わらない。
市場に出す版画作品は、制作した作品の中から、スタジオ内で吟味を重ねて選択する。さらに、選択された作品は、画面を木目細かくチェックし、「気に入らない部分」をつぶしてゆく。極めて繊細で、かつ、システマティックな作業を行う。従って、市場に出す種類は少なくなる。その現場が〔資料3〕。巨大なスタジオの2階の壁面のほんの一部の光景である。壁面に止められている5枚の版画、すべて試刷りのものである。2週間程このように展示し、それらを微細にチェックする。
〔資料3〕
ジョエル・シャピロのニューヨークスタジオの2階の一部
1階での立体作品制作の合間に、又1階での作業終了のあとに、ここに来て、これらの作品と対峙する。「円の配置はこれでよいか?」「円の大きさは、他円とのバランスでどうか?」「色彩はこれで良いか?」多様な面から作品をつめてゆく。時折、試刷りの上に、異なったサイズや色彩で描いた「図形」の紙片がコラージュされている。調整があったのだ。このような過程が終了すると、最終の刷りに向う。
〔資料4〕
シャピロの木版画の版木。
(レズリー・ミラーの工房で撮影)
〔資料5〕untitled 13
1988
木版画
sheet: 47 x 99.2 cm
Ed.32
〔資料4〕は版木である。〔25×15〕pぐらいのブロックが多い。これらは、多種の木から作られている。例えば、マホガニー、桜、クルミ……。
シャピロがつぶやいていた。「木の種類が異なる版木は、絵具の吸収力の違いで、同じ色を塗っても、版画紙の上で同色は出ない。又、ある場合は、木目を利用するケースもあるので、作品の特性で版木を使い分けている」
例えば、〔資料5〕であると、青の部分は桜の版木〔木目がめだたず、かつ絵具の吸収力も弱い点を利用〕黒の部分〔2か所〕はマボガニー〔木の目が非常に美しい〕。この作品に関しては、3つの図形で成り立っているので3枚の版木を使用している〔1枚に1つの図形を彫り込む〕。最もデリケート〔シャピロの感性を感じさせる部分〕なのは、〔資料5〕のケースであると、3つの図形の接合点での図形の斜度。この部分こそ、〔資料3〕で、最も念入りに行う部分だ。従って、刷りの作業も緻密さが重要になってくる。
このような面を勘案して、刷り師は非常に神経こまやかな知的な若い女性〔レズリー・ミラー〕を選んだ。
彼女は良家の子女〔父親は世界でトップクラスの米国のシンクタンクのCEO〕で、育ちの良さか、素直で、まじめ、又ねばり強い人との印象をうけた。自から望んでこの世界に入ってきたようだ。
シャピロらしく、“刷り師”も作品の性格にあった人を選択している。シルクスクリーン、リトグラフ、リノカット、アクアチント、ポショアールなどの版画技法を利用するが、それぞれに刷り師は異なり、自分の作品にあったスペシャリストを選んでいる。
〔資料5〕は木版画の中で、秀逸な作品だ。ニューヨーク近代美術館でも、これを購入している。又、この作品に関しては、発売して、2、3日で完売してしまった。
シャピロにとって、版画の位置づけは、市場での人気が強いドローイングや立体作品へのアイディアを供給する一つの手段にもなっている。それ故か、特徴の異なるシルクスクリーン、リトグラフ、リノカット、アクアチント、ポショアールと多様な媒体を利用している。
例えば、〔資料5〕は色彩をかえて、ドローイング作品にもなっている。1988年3月、ポーラ・クーパー画廊で開かれた彼の個展注2に出品された。この個展は、ドローイングだけのもので、ニューヨーク・タイムスは1ページを使い絶賛の記事を書き、他の新聞にも大きく取りあげられ市場で話題になった。総点数23点の展示だったが、オープン初日で即日完売だった。版画においてもしかり、あらゆるものをテコにしながら、自分の作品に広がりを求めてゆく。いかにも、シャピロらしい動きだ。
・ ・
主観にのめり込むのも程々にして、時には「第三者的な眼で、冷静に、ジョエル・シャピロを見てみるのも必要じゃないか……」こんな事を考えていた時、「類は友を呼ぶ」という諺が頭をかすめた。非常に深みのある言葉だ。
「シャピロのコレクターはどのような人達なのか?」これを、つぶさに見てみると、シャピロの見えなかったものがあぶり出せるのではないか……。彼の作品を所有するコレクターは彼にとって、友人のようなもの。
早速、自分のデータ・ファイルの資料を調べると、出てきた。1980年代後半に、ポーラ・クーパー画廊でもらったシャピロのコレクター・リスト〔1980年代前半までのコレクターを列挙したもの。極秘のリスト〕である。
まだ、シャピロの位置づけがシッカリと根づいてない時期のコレクター・リストだ。当然、人気の沸騰現象も全く発生してない頃である。従って、リストには純粋に彼の作品を好むコレクターが大半を占めていた。世界の多様な地域のシャピロ・コレクターが60名リスト・アップされている。
特殊なコレクション・コンセプトを持ったイタリヤのコレクター、ジュゼッペ・パンザ・ディ・ビウモ伯爵〔博士〕、コレクション作品の全集まで出版されている、バリー・ローウェン〔米〕……。
変わり種は、辛口の有力評論家、ロベルタ・スミスが彼のコレクターとして加わっていたのには、驚いた。
文化人にも広がっていた。アメリカの舞台俳優として有名なアイヴィ・シャピロ。シンガーソングライターで、1950年代後半の大ヒット曲<ダイアナ>を歌ったポール・アンカ。現代美術作家では、エリザベス・マレー、アレックス・カッツ、ジャスパー・ジョーンズ……。
列挙されている人の中に、トリッキーなコレクターや流行りものを追うようなコレクターは全くいなかった。この中で、やや、門外漢のように思えるポール・アンカ。ポーラ・クーパーは、「シャピロの作品を初期から買っていて、10点以上コレクションしているわ……、すごく眼の良い人。知的で大人よ」とつぶやいていたのが印象的だった。
より具体的にコレクターを見るため、ジュゼッペ・パンザ・ディ・ビュモをとりあげると……。
彼はイタリヤのミラノ在住。特異なコレクション・コンセプトをもっている。北イタリヤのヴァレーゼの近郊に所有している18世紀に建てられた別荘と現代美術。即ち、歴史的建造物と現代美術作品によって造り出される環境空間への強い関心である。従って、“光とスペース”の可能性を追求するアーティストの作品に関心をよせた。これに合致した作品をコレクションし、その建物内に、それらを設置し、連関を探求している。
どのような作家をそのために選んだか……。ダン・フレイヴィン、ブルース・ナウマン、ドナルド・ジャッド、ソル・ルウィット、ジョエル・シャピロ、リチャード・セラ、リチャード・ノナス、ジョセフ・コスース。
選択をした作家達の共通点は、「強烈な理論を持って作品を制作している」点だ。
このような事象を見ていると、シャピロの隠れた特色がなんとなくあぶり出されてくる。
ビュモの眼は“鋭敏”だったようだ。彼が1956年から‘63年にかけて集めたアメリカの現代美術作家7人、ヨーロッパ2人の作品80点は重要な作品が多く、ロスアンジェルス現代美術館のパーマネント・コレクションの核になった。
リストを見ていて、もうひとつ気になったことがあった。世界で、「目筋が非常に良いと、当時言われていた超一流の画商」が何人も名を連ねていた。おそらく、「10年、20年先を読んだ、先物買い」ではないか……。
アニア・ノセイ、マイアニイ・ジョンソンまで名を連ねていた。シャピロの作品を見て、潜在力や将来性を汲み取ってこのような行動に出たのでは……。多様なことがあぶり出されるものだ。
注2 1988年3月3日〜31日の間、ポーラ・クーパー画廊で開かれたジョエル・シャピロ展。大きな4つの展示室を全部使って、ドローイングのみで23点を展示。
この個展で、東洋美術コレクションで世界的な評価をとるクリーブランド美術館(米)、オランダのアムステルダムにある超一流美術館ステデリック美術館、アメリカ美術の殿堂ホイットニー美術館、ニューヨーク近代美術館、オハイオ州にあるトレド美術館の5館が作品を購入した。
一個展で5館もの超一流美術館が作品を購入した例はあまり耳にしない。ニューヨーク近代美術館の購入した作品は(223.5×152.7)pの大作だった。
(ささぬま としき)