ときの忘れもの ギャラリー 版画
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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第6回 2016年09月10日
第6回 アルプスのモダニスト

8月下旬に差し掛かったとある週末。日本から来瑞していた先輩とともにグラウビュンデン州のエンガーディーン地方へ小旅行する機会がありました。Soglio(ソーリオ)というイタリア国境からわずか数キロ離れた谷間の村で活躍する建築家Armando Ruinelli(アルマンド ルイネッリ)さんを訪ねるためです。僕は近くの村までMiller & Maranta(ミラー マランタ)の建築を訪れるために来たことがあったのですが、ソーリオは初めてでとてもわくわくしていました。

僕が住んでいるChur(クール)からベルリーナ急行で知られる私電に乗りSt.Moritz(サンモリッツ)まで約二時間。そこからMaloja(マローヤ)という村までバスで30分ほど走り、バス停の前でルイネッリさんと待ち合わせです。数分後、爽やかなブルーのBMWで現れた彼は気さくに僕たちを車へ迎え入れてくれました。あいにくの雨の中、マローヤから谷を進みます。

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このBergell(ベルゲル)という谷は僕たちが向かうソーリオを含め、Alberto Giacomotti(アルベルト ジャコメッテイ)のアトリエのあったStampa(シュタンパ)、弟のBruno Giacometti(ブルーノ ジャコメッテイ)が建築家として数多くの住宅を建てたCastasegna(カスタゼーニャ)などいくつかの村落が2,3kmの間隔をもって連なり、イタリアとの国境までつながっています。谷間に村落があるという地理的条件から冬には山の陰になって一日中日の当たらない地域が多く、その中で唯一ソーリオに三時間弱(11時から14時)の日照があります。そのため、かつて国境警備にあたっていたSalis家の館(パラッツォ。現在はホテルとして使用)があり、他の同じ谷間の村落とは少し違った趣を持っています。冬には近くに住んでいたジャコメッティやセガンティーニなどの芸術家がソーリオに日照を求めて移住してきたそうです。毎年レム(Rem Koolhaas)も数週間このソーリオのホテルに滞在しているという噂も聞きました。そんな知る人ぞ知るところなのです。
ちょっとした地理歴史の説明はこれくらいにして、建築を見ていこうと思います。


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ルイネッリさんの代表作であるアトリエは1988年発表。13.5mx6m弱くらいの平面に最高高さ7mくらいの小さな規模です。初めて見たとき、ズントーのアトリエ(1986)と規模も形態も似ているところがあるなと思いました。間口と最高高さはほぼ同じくらいでしょうか。奥行きはズントーアトリエが1.3倍ほどあります。ズントーアトリエは軒の出が当時の村の建築条例に合っていなかったので、許可を得るのに苦労したという話を聞いたことがあります。このアトリエも、地上レベルで見る分にはスラッとした屋根だなぁと思っていましたが、ソーリオ村の規則でスレート(Schieferdach)の屋根にしなければいけません。

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ということで隣の建物から見下ろしてみると、とても聡明な回答をしていました。写真左手前を見ると。軒からオフセットして石積みの屋根としているのがわかります。
ファサードは正方形窓の配置とプロポーションが絶妙で僕がいつしか訪れたロマネスク教会のようです。素材は断面寸法3cm弱x9cmくらいの栗の木でできており仕上げが施されておらず、時を経たパティナをも建築表現の一部としています。(この地方は栗の木が有名で、栗ケーキ、栗ジャムなどが有名なお土産です)。このファサードがどちらかといえば面を強調した寸法であるのに対し、ズントーアトリエは3cm弱角のカラマツ材が並べられており“不規則にできる陰を強調していることに違いがあります。(*Werk, Bauen+Wohnen nr.10/1987より)
窓の位置、階段のあり方に大きな違いがあるものの、同時期にこういったアトリエができたのは時代として「アトリエとはこういうものだ」という流れがあったのかもしれません。

ルイネッリさんによれば、ソーリオの村のタイポロジーを見ていくと、通り沿いの建築は石造りにモルタル塗り、もしくは石積みむき出しといったファサード表現が多く、その奥(裏)に立つ建築は木造の家畜小屋となっていることが多い。このアトリエも簡素な木造にし、当時まだ村では建材として使われることのなかった栗の木を用いることで、この建築は住居ではない=アトリエという表明をしている。ということでした。

今回はそのアトリエの隣、通り沿いに立つ石造りのルイネッリさん宅にお邪魔になりました。この住居も彼による作品です。4階建てで各階に寝室があり最上階が天井高のあるダイニングキッチンになっています。アトリエ含めたこれら2つの建築は今から20年以上も前に建てられたものだけれど、内部に関して言えばメインテナンスが非常によく、まだ建てられたばかりかのようでした。外観のパティナのような経年変化を見るのも面白いけれど、一方で内観の比較的綺麗なまま丁寧に使われ、竣工当時とさほど変わらない状態を見るのも良い。そんな時間の積み重ね方がソーリオの村にとても合っていました。


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次に写真家のための住居兼スタジオ。当初は大きな一軒家にしようと考えていたけれど、周りの建物との調和などからどうしてもうまくいかず、二棟分棟型にしたとのこと。ここでも、通りに面した一つの建物のファサード(写真右)はモルタル塗りとし、奥のもう一つのファサード(写真左)は木とするなど、ソーリオのタイポロジーを踏襲することを意識したと言います。ただしこれらの主構造はコンクリートであり、若干記号的に処理されすぎている気もしてしまいます。

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通りの反対側、中庭に面したところで二つの住居は繋がっています。ガラスの自動スライドドアで一度外部に出て、そしてもう一方の内部に入ります。写真を見て石の階段部分が外部です。この一瞬だけ外に出る感覚がとても面白く、少し雨が降っていたせいもあって、余計にその2つの住居がつながっていながら離れていることを強調された気がしました。またこれらが手動扉ではなく自動ドアで足を止めることなくスムーズに行き来できるところが、ただの分棟とは違った距離感を生み出しています。透明人間になって壁を通りぬけた感覚、スピード感がありました。


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この住居兼スタジオと通りを挟んで、数年前に家畜小屋(穀物倉庫)を改修したゲストハウスがあります。これがどうしても見たかった。その小屋はグラウビュンデン州に典型的な形態で、アプローチ階の壁は石造で四隅が上部へ伸びていき屋根を支える柱となり、石積み屋根以外の残り部分は木材でできています。

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その主な構造(殻)を残しながら版築壁で構造を補強し、スチール梁で支えられた荒削りオーク材の床が設えられています。限られた素材で仕上げられた内部空間全体は、素朴ながらとてもリッチで、肌触りがよく土着的でしかしとても健康的なモダンでした。

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翌日、ソーリオからカスタゼーナ(castasegna)へ向かう途中、いくつかの良い状態の家畜小屋と木造部分が朽ち壊されて石積み部分のみが残った小屋跡を見ました。ここにはまた新しい木材が運び込まれ建築として蘇るのか。木材と石材という最も基本的な素材の違いと経年変化の仕方を改めて感じます。


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実は宿泊した日の夜、ソーリオという人口160人くらいの村で育ち、そして建築事務所を開き生活するとは一体どういうことなのだろうと考え出したら眠れなくなってしまいました笑。ルイネッリさんにそのことを話し尋ねると、何もここへ戻ってきて事務所を開こうと計画していたわけではない。自分はチューリッヒで働き、その後ソーリオに戻ってきて小さな改修を始めていったら続いていって。。。ある時、よし建築家と名乗ってここでやっていこうと決めた。始めからそういう人生設計ではなかったんだ。と言います。前回の記事ではメルクリのインタビューを引用して、ルドルフ オルジアティの宿命はフリムスという小さな村によくも悪くも縛られた部分があったと書きました。ルイネッリさんは仕事でドイツやイタリアなどの都市へ赴くことが多いと話していましたが、そういった現代の流動性がなければ、ルイネッリさんのソーリオ発のモダン建築も違ったものになっていただろうと想像できます。

なんだか全体を軽く浚ったような紹介になってしまいましたが、今回はここで筆を止めようと思います。
次回はスイスの職人たちを紹介できればと思っています。乞うご期待。

アトリエのファサード写真(一枚)は46 De aedibus ARMANDO RUINELLI+PARTNER (Quart Verlag) p33より掲載。
ゲストハウスの写真(二枚)はDer Bauberater 2015/Heft3(Bayerischer Landesverein fuer Heimatpflege e.v.)p62より掲載。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

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