ときの忘れもの ギャラリー 版画
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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第8回 2016年11月10日
第8回 "集まって住む"のお手本

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クール(Chur)へ建築を見るために訪れる人達にとって、とりわけズントー建築を体験したいと思っている人達にとってこの建築はマスト(must)な目的地です。
僕自身、何度外から眺めたことだろうと思います。建物裏(東)にある大きな木の傍のベンチ。ここに座って時折のんびりと行き来するお年寄りとその家族を見ていると、一瞬だけ時を止めて自分だけがこの不思議な世界を傍観しているような気持ちになります。今と近過去が混ざったような感覚。ありきたりの言葉で言おうとすれば、静かで落ちついた場所である。となるのでしょうか。

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ズントー初期建築である木造アトリエとローマ遺跡のためのシェルター、ベネディクト教会の少しだけ後(1993)にできたこの建築を見てみると、シンプルな直方体のヴォリュームが敷地の傾斜に沿う様に平行して置かれ、内部ではそのシンプルさを少しだけ崩すようにリズミカルな平面の個室とL字型の柱壁がアレンジされています。(注:上写真では短手側面に模様が見えますが、これらは落書きではなく手前の建物のガラスの反射です、スイスの冬の日差しは強い!)

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建物と面向かって眺めるとL字壁の面が多い印象となる一方、矩形長手方向を眺めるとその壁が列柱のように見えて神殿のようにも捉えられます。ズントーの初期作品にはこういった時代を感じる(アルドロッシの影響とも)ものが実はいくつかあります。例えばハルデンシュタインの端にある個人邸、そしてクールバルデン(Churwalden)の学校など。しかし、この老人ホームは先の2つに比べてその時代の影響なりを自分なりに噛み砕いて表現した感じがあると僕は思います。


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個室は東面に配置された長い一本の廊下で繋がっており全体の見通しが良いと同時に、個室のキッチンと水廻りがそれぞれ廊下側に少し突き出た平面構成になっているため各箇所でアルコーブのような空間を作り出し、そこを拠り所として個室から家具が溢れ出て共有の生活空間ができています。それは建築家の強い意志で名付けられたコモンスペースではなく、自然発生的にできた、しかしできるべくしてできた生活の場です。(写真は少しファンシー過ぎますが笑)

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住人がこのように場所を使っていくにはプラン(平面図)によるサジェスト(suggest)だけではなく、どういった素材が視覚的に触覚的、時に嗅覚的に扱われ、ここではいつどういった光の状態になり、また外の環境との関係はどうなのかという体験ベースの情報が必要不可欠です。
こういった感覚の建築体験の空間を図面や写真などの基礎情報で、つまり実際の訪問なくして届けるにはどうしたらいいのか。これを言語化していくことにも興味があります。それは前回のエッセイで紹介したShinohara建築の体験なしでも伝わる建築の魅力の話にもリンクすることだろうと思います。


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今日再び訪れたのは、この老人ホームの改修のための現状視察です。老朽化し必要に迫られた断熱性能を向上させること、そしてこの建築の魅力の一つである大きな窓枠を改修することです。これは老朽化でスライドレールが詰まり、お年寄りにとって手動では開け閉めし難くなってきたために新ベアリング等で改善することになっています。

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ということで僕にとっても念願。内部に入ることができました。


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ちょうど夕刻の時間だったせいもあってか、南西から射し込んで来る角度の低い光が廊下の空間にささやかに満ちて、なんとも言えない静謐な美しさがありました。こんな単純な構成でありきたりの言語でも、あらゆるところで"考慮された"建築は形容しがたいものを感じます。それはこの建築にようやく入る事が出来たという嬉しさではもちろんなく、この建築空間にいる事が出来て嬉しいという気持ち。とても幸せな気持ちです。自然の中でありえない景色を見た感じと似ている。


余談でこんな話を担当している同僚から聞きました。
端の部屋に20年以上住んでいるご老人が、この部屋の天井は未だもって完成していない。早く仕上げをしてくれ。と話していたそうで、それはコンクリート仕上げの天井のことを言っていたようです。その返答に事務所の中ボスがわかりました、改修事項としてメモしておきますね。と返答したとか。

このご老人にとって未だ完成していない(コンクリートの天井が漆喰などで仕上げられていない)この建築を近いうちに改修する予定です。この新しい窓の取り付けと名建築の改修は、また進行次第レポートしようと思っています。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。
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