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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第26回 2018年05月10日
第26回 当たり前(自然)であること

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今回はスイスの建築雑誌Hoch Parterre 5.2005に掲載されていたズントーアトリエ兼住居を見てみようと思います。

以前の記事では2016年2月から設計事務所として使い始めた新しいアトリエを「上品な納屋」と形容して紹介しました。今回見ていくのは遡って2005年に建てられたコンクリート造のアトリエ兼住居です。先の新しいアトリエができるまでは(日本で言うところの)1階の一部は設計事務所として、地下は作業工房として、その他の部分はズントーの自邸として建てられ、少し前まで僕も机を並べて作業してきました。


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図面 (5 EG)を見ると南側のウイングにはアトリエスペースが、北側のウイングにはピーター自身のアトリエが、そしてそれら二つが出会う東側のスペースはミーティングルームとして計画されているのがわかります。それら3つのスペースに共通しているのは一面をコンクリート壁、反対側を中庭に面したガラスで構成されていること。壁に貼られたプロジェクトの図面を見るか、それとも楓を中心に木々が植えられた中庭に視線を向けるか。そんな気持ちの良い、落ち着いて作業できるアトリエでした。

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全体のヴォリュームは、1980年代に建てられた木造アトリエに比べるとかなりどっしりとしたコンクリートの細長い塊です。外壁はテキスタイルのようなフィルムで型枠表面をカバーし打設されているので、その繊維が転写されて表情のある仕上げになっています。ツルッとした光を反射するようなコンクリートもいいけれど、影を吸収して奥行きを出すようなこの仕上げも悪くありません。また、その表情がグレーコンクリートの重たい印象を和らげているのに寄与しています。

現在の新アトリエは地上4階地下1階建てと背が高く、僕の机は最上階にあるので眺める景色は最高です。一方で以前のコンクリートアトリエのようにすぐ傍で季節の訪れを教えてくれる自然が近く感じられないのは少し残念なところがあります。自然のその中に身を置くのか、それともその外に身を置いて鑑賞するのか。建築を設計する際にはどちらも重要なテーマになります。


このようにして、今となってはハルデンシュタインに3つの事務所建築があるものの、この雑誌の記事が書かれる2005年前までは二階建ての木造アトリエで仕事をし、ブレゲンツ美術館やヴァルスの温泉施設、コルンバ美術館を設計竣工させていた。現在の事務所で行われているような、大きな模型をバンバン作っていきながら設計スタディしていくの見ていると、当時はどうやって作業していたのか。何か信じられないことのように思えます。

そういえば、ある友人が言っていました。事務所を広くするとその分仕事が入ってくる。
確かにスペースが広すぎるというのは問題ではなく、使い始めはそう思っても自然とその空きスペースは埋まっていって、いつしか手狭になっていくものです。
(この法則みたいなものは一体何なのでしょうか。。。)



話を戻して、記事を読み進めるとズントーがスイスのメンドリジオにある大学で教鞭を振るっていた頃の話に及びます。(筆者意訳)

Eigenen Bilder vertrauen

«Die Studenten müssen Präsentationen vorbereiten, Pläne zeichnen, Modelle bauen. Dazu dürfen sie dann nicht mehr als fünf Sätze sagen. Wenn einer beginnt, einen Plan zurecht zu argumentieren, dann kann er es bei mir sofort vergessen. So einfach ist das.»


学生はプレゼンを準備し図面を描き、そして模型を作らなくてはいけない。それらの成果物について、学生は六言以上説明してはいけない。もしそれ以上説明し始めれば、彼はすぐに私たちが聴いていることを忘れてしまう、そんなものなのです。

«Ich merke sofort, wenn an einem Projekt etwas dran ist. Schliesslich lese ich seit bald fünfzig Jahren Pläne. Entweder es ist etwas da, das dich sofort elektrisiert oder eben nicht. Das lässt sich mit den gescheitesten Sätzen nicht herbei plappern»

私はプロジェクトを見ればすぐにそこに何かがあるかないか気づく。 何しろ私はもう50年近く図面を見続けて来ているから。何か衝撃を与えるようなものがそこにあるかないか。それは詭弁によってできることではない。

«Make it typical, then it will become special.»

(あなたにとって)典型的に作ってみなさい。そうすると特別なものになるから。




建築家が自身のために自邸を作るケースはぼくの知っている限り意外と多くありません。必要性の有無、もちろん経済的な理由もあると思いますが、建築家自身が設計し住んでいる家をクライアントに見せること以上に身近で説得力のあるプレゼンテーションはない気もします。
このコンクリートアトリエも例に漏れず、至る所にズントーの建築言語(ズントーが発展させた建築デザインの要素)が散りばめられている。そして照明や家具もこの住居のためにデザインされていて、そうした総合的な空間創りがどれだけ建築空間を強めるのかがとても参考になっています。


先ほど図面とともに簡単に説明したように建物自体は複雑な構成ではありません。二階建ての北側住居部分に関していえば、細長い平面の端に二層分の高さを持つリビング(西側)とダイニングキッチン(東側)があります。リビングは階高がかなりある割に開口部が低く配置され、また部屋の中心に暖炉があることで部屋全体の重心が低い。内装は全体が楓の木で仕上げてあり、部屋に入るとすぐに室音の聞こえ方の違いを感じます。

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一方でダイニングキッチンは写真にあるように、階高いっぱいの開口部で囲われ、一部に固定式の机とベンチのあるダイニングがあります。この小さな一角はスイスの伝統的な農家でよく見られるダイニングの形式です。こういうところを見るとズントーがかつてクール市の保存修復課でアルプスの農家などを調査し改修していたというのを思い出します。


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北ウイングのアトリエ部分に戻りましょう。床はコンクリート大判タイルでセメントと一緒に混ぜてある鉱石によって時折キラキラと光ります。この床を見るたびに僕は小学生の頃、校庭で光る石を金と言って友人と長らく集めていたことを思い出してしまいます。ここでも同じです。遠くから見ると光っているのに、近寄ると反射の関係でよく見えない。カメラのフィルムケースに一杯に貯めたその金は、今どこにあるかわかりません。(もちろんご存知の通り、それは黄金ではありません笑)
辺りはコンクリートで囲まれているのに、コンクリート造の建物に身を置いた時の重圧感、良く言えば空間の強さみたいなものは感じません。むしろ、木のような柔らかさと軽やかさがある。先の外壁とは変わって、壁にはコンクリート型枠木材の木目が薄っすらと見え、天井は表面加工された型枠を使用しているため、かなりつるっとしていて光沢があります。コンクリートでも重さと軽さを使い分け表現できるのです。



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また、このコンクリートアトリエには木工家具職人としてのズントーが垣間見えます。実に17種類もの木材を棚、床、内壁仕上げとして使い分け、ドアはそれぞれが違った木でできています。
加えて6種類の木材で家具を作り、今では希少価値の高いアフリカ産のWengeで作られたミーティングテーブルも。なぜこの木をここで使ったという論理的な理由はまだ聞いたことがありませんが、僕には木それぞれの色は元より開け閉めした時の重さ(比重)、光に対する柔らかさが関係しているように思えます。



このHoch Parterre 5.2005の記事でも述べられているように、ズントー建築は常に彼自身のプライベートな経験(空間体験)から来ていると言われています。その経験というのはもちろん人それぞれ。だからこそ典型的、もっと言ってみれば自分にとって最も素直に感じ、自然に振る舞えるところから考える。そしてそのいわば「私にとっての当たり前」は結果的には固有で特別なものになりうるのではないか。

この文章を書いている僕、そして読んでいるあなた。何も思考の奥の闇にすごく深く潜っていかなくても、他人と差別化しようと気負わなくても、詳細にその個人の経験をなぞりながら「私にとっての当たり前」を再現していくことで、何か面白いものが生まれる可能性がある。それは僕たちが使っている現代の(建築)言語と相まって、必ずしも過去を振り返るノスタルジーには陥らないし、むしろ全く現代的にすら見えることがあるかもしれない。

そうした建築への姿勢はもしかしたら繰り返し言い続けることが恥ずかしくなるくらいに模範的、優等生的ですらあるかもしれません。でもだからこそ「ありきたりでつまらない」とも形容されがちになる。
かつてズントーが学生に言っていたように、今僕たちが「自分にとって当たり前」に何かを作り始めることは、そのまま固有の魅力をもったものとなる。それは確かにズントー建築を見ていて最もなるほどと感じることかもしれません。

ここでもう一度振り出しに戻ってみようと思わせられた過去の記事でした。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。



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