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植田実のエッセイ 本との関係1

愛宕

 本、あるいはそれに準ずる紙のメディアに関わった最初のころというと、小倉市(現・北九州市小倉区)の菊陵中学時代に、個人用の学級日誌をつけるために、ガリ版で毎日のフォーマットを刷って1ヵ月分ぐらいを綴じ、やはりガリ版刷りの表紙を付けた記憶がある。この作業は全部職員室でやらせてもらった。どのように許可をとったか覚えていないし、大体どうしてすでにある学級日誌とは別の、こんな日誌をつくる気になったかも忘れた。万事几帳面だから? としたらこんな自分は好きじゃない。ガリ版を切ったり刷ったりの作業は楽しかったけれど。
 小倉高校に入るとクラスにすごい文学少女がいて、部活は生物系に行くつもりだったのを、彼女の影響で転向して入った文芸部でかなり熱心にやり、授業をサボって、空いている教室で同人誌をやはりガリ版でつくったりした。この同人誌も中学時代の学級日誌も、今は手元にはない。文芸部で正式にまとめられた詩のアンソロジー『愛宕』だけが残っている。小冊子だがそれなりにシャレている。部長の小峯先生の好みでつくられたものだろう。小峯先生は教室では英語担当だが芥川賞候補にもなった作家志望の方で、このアンソロジーには自作の詩を寄せている。
 中学の終わり頃から、北川冬彦の入門的な本などを読んで現代詩に夢中になり、自分でもつくりはじめたのだが、それ以上に現代詩人たちの詩集の、本としての美しさにすっかり心を奪われてしまった。詩集を扱う専門の古書店が東京にいくつもあることを知り、とくに渋谷・宮益坂上の中村書店から目録を定期的に送ってもらい、それで注文したのだと思う。北園克衛、安西冬衛、村野四郎、西脇順三郎、その他、若手では飯島耕一、さらには谷川俊太郎まで全部初版詩集を買い漁った。当時は詩集といえば初版ばかりで、こうした詩人たちの作品集が別に編まれるようになるのはだいぶ後のことである。(大学に入ってまもなく、金を一所懸命工面して集めたこれらの詩集は1冊残らず処分した。当然なじみの中村書店に持っていったのだが、その日たまたま店を閉ざしていたので、近くの麦書房に持ち込んだ。御主人は、これだけのコレクションをいっぺんに手離すという私の無謀? に驚きの声をあげた。)
 現代詩を書く高校生はまだ少なかった頃で、前述の小峯先生が目をかけてくれて自宅に招いてくれたり、国語の長野先生も興味をもたれて個人的に話しかけられたりだった。長野先生には町のレストランで紅茶とケーキを御馳走になったが、緊張のあまり紅茶のカップをソーサーにぶつけてその顫えの音がいつまでも止まらず困ったことがある。こういう贔屓って今の学校でもあるんだろうか。しかし『愛宕』に載っている私の作品は、はっきりいってじつはひどい。いろいろな詩人のスタイルを露骨にコピーしているだけで内容的にはゼロである。先生方がちょっと変わった生徒にたいして甘かったとしかいいようがない。
 もうひとつ、大人との交流の場があった。小倉には『砂漠』という詩誌があり、仂いている社会人たちで編成された同人誌だったのだが、その仲間入りをさせてもらったのである。そのきっかけは覚えていないのだが、とにかく大学生もいなかったところに、高校生ということで会費も免除してもらって、中綴じの薄い冊子だったけれど詩壇にそれなりの発言力をもっていた(と思う)詩誌に私の作品を発表することができたのだった。チーフは当時の八幡製鉄の労組委員長(と他の同人から教えられた)だった麻生久で、彼について小田久郎は『戦後詩壇私史』(1995 新潮社)のなかで「この戦前の尖鋭なモダニストは、戦後の北九州の労働運動の渦中で、(中略)コミュニスト詩人に変貌していたのだった」と書いている。私は、1947年に創刊した『荒地』の詩人たちに影響された詩も書いていたので、その辺を評価してくれたのだろう。この頃、同人の河野正彦からの便りによれば、その社会派的色あいがとくに強かった「不審の町」という私の作品は『砂漠』第7号に掲載されているが、これも現物は手元にない。そのかわりに河野氏の葉書を見つけたのだった。麻生氏の1955年の年賀状も一緒にあったが、『荒地』の高野喜久雄たちが君を賞讃している。決戦の今年(大学受験を控えていた)の君に過分な期待は残酷だと知っているが『砂漠』の第一バイオリンを弾いてくれ、と記されている。なんと50年ぶりの「資料発掘」に我ながら驚いたが、そこに名を挙げられた高野喜久雄さんも、ついこのあいだ、今年5月1日に亡くなられた。大学に入ってからのことだが、狭い部活の部室に『荒地』の黒田三郎さんや、最初の詩集『二十億光年の孤独』を出したばかりの谷川俊太郎さんなどに次々に来てもらい、10人足らずの部員が囲んで話をきくなんて贅沢をしていた。黒田氏には各々の作品評までしてもらったが、「君は高野にどこか共通しているね」と言われて大ファンの私はじーんときてしまったが、単に高野かぶれを見抜かれただけだったのかもしれない。
 ずっと後になってのはなしだが、北九州市から依頼されて、磯崎アトリエが市の主要な場所のイメージ整備みたいな仕事をしたときに、磯崎さんから、キミも知らない都市じゃないわけだからちょっと付き合え、と声をかけてもらって一緒に市内をまわったことがある。その晩、市の関係者たちと懇談会の席で、ある初老のかたから「『砂漠』にいた植田さん?」と呼ばれて驚いた。それが河野氏だったのである。「ほら、こんなことがある」と、磯崎さんも面白がっていた。
 本の話に戻る。高校生活の終わりに2冊の、それぞれ1部限定の詩集をまとめた。つまり手書きの本だが表紙のロゴはグラフィック・デザイナーだった次兄に書いてもらった。位置や大きさや色はアート・ディレクター(!)としての私の指定である。大学で知り合った寺山修司には見てもらって、好意的な感想であったけれど、それは内容よりむしろ、こうした出版?の仕方を評価されたような気がする。この頃、私は突然出現した谷川俊太郎にたちまちイカレてしまい、社会詩そのものに疑問を抱くようになっていた。そうした悩みを『砂漠』の人たちはよく聞いてくれながら残念がっていたようでもある。いずれにしても私は、何がなんでも東京に戻りたいと思いつめていた、そんな時代である。

 4回まで続いたところでちょっと中断していましたが、これまでのものを読み返してみると、とりあげた本のことだけに終始し、また第三者が私の話をききながらまとめているという構成も、かえってもってまわった感じで何だか読みづらい。で、今回からはより単純に時代を追って、そして本そのものに限定せず思い起すままをあれこれ、自分で書いてみることにしました。今後ともよろしく。                       

植田実


詩集『愛宕』
発行日:1953年9月20日
著者:愛宕詩人同人
発行所:小倉高等学校文芸部
サイズほか:15.1×10.3cm、81頁


植田実のエッセイ



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