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植田実のエッセイ 本との関係6

洋服屋の地図帳 製本所の「ジャン・コクトー」

 学生時代のアルバイトで覚えているのは三つ。ひとつは家庭教師だが、教えるのは自分の性に合わないという気持が続いていた。受験時代の暗記法を高校生の男の子にすすめてやっていたら、英語の試験が学年で一番になり親にも喜んでもらった。そのへんで辞めた。
 次は新橋駅近くの洋服屋である。烏森口から線路ぞいに浜松町方面に歩いて直ぐのところだったが、駅前と比べると木造の小さな店が建てこんだ、いきなり場末といった感じがそれなりに面白く、店を仕切っている母と息子と娘もそろって気が強そうな。
 店内の商品の飾りつけもけっこう荒っぽい。というのもここの商売の仕方は一日店番をするよりは出張販売(というのか?)を主力としていたのだ。つまり上衣やズボンを自動車に積んで、役所や工場やオフィスを訪ね、そこの一部屋や通路に台を置かせてもらい、洋服類を並べる。そうして昼休みなどに集まってくる客を待つ。けっこう売れるのである。月賦払いだし、お洒落のための買物ではなかったからだろう。だから女性の客はほとんどなかった。私が覚えたのは布地の違いとその名称と、客の腰まわり、股下から踝までのサイズを巻尺で計ることである。
 そのアフターケアとして、月賦の集金にあちこちまわるのが一仕事である。職人などでおっかない顔の客もいたけれど、誰もが黙って支払ってくれた。これは毎月のことで、そのとき手の空いているアルバイトが行く。行く前に店の人に住所を教えてもらったり以前集金に行った学生が書き残したメモ的な地図を使ったりだった。
 で、ちょっと考えて、店番で暇なときに、同じフォーマットで統一した顧客カードをつくっていった。聞いたりメモを見て描き起こした地図付きである。何十枚ぐらいになったか憶えていないが氏名のいろは順に重ねて、「これは便利になった」と店の人に驚かれ、ほめられた。洋服屋には何ヶ月ぐらい通ったのか分からないが、そのあいだに店内の商品も全部棚から下ろして並べかえてしまった。事前に確認しないでひとりで何もかもやってしまうのが私の悪い癖である。
 店の家族に連れられて後にも先にも一度きりの新国劇を見に行ったことがある。辰巳柳太郎が机龍之助を演じた「大菩薩峠」。その舞台の仄暗さが烏森の町並みの記憶につながっている。店の隣は小さな産婦人科医院だった。いつだったか若い男女が忍ぶように連れ立ってきて、しばらくためらったのちに入っていった。彼等には、洋服屋の前で立ち話していた私たちはまるで目に入らなかったようだ。彼等を知る人たちから逃れて都市の果てにやってきたつもりなのだろう。私たちの生活の中心、つまりは茶の間みたいな裏通りに入りこんできて、そこには自分たちの問題を解決してくれる産婦人科医院だけが一軒ぽつんとある光景を見ていたに違いない。
 現在この一帯は飲み屋と食べもの屋に完全制覇され、表通りも裏通りも一様にいわば横丁化して、夜は赤ちょうちんと白いのれんの洪水のなかに没してしまう。まち外れに一軒だけ小さな靴屋が安売りの靴を屋根近くまで満載して漂っている。私の通った洋服屋は多分この近くだった。もちろん月賦の集金用の地図帳も疾うにないだろう。地図を頼りにどこを歩いたのか。
 三つめは文京区小石川柳町の製本所である。この町については以前、代官山ヒルサイドテラスのことを書いたときに引き合いに出したことがある。
 「長くアルバイトに通っていた小石川柳町の製本所の周辺には、丁合屋、花布屋、布表紙や皮表紙屋、箔押し屋などの家内工業が軒を連ねていた。路地を歩くだけで本がどのようにつくられていくのかが一目瞭然で、製本所内でも本によっては背を丸めたり、小口に金箔を貼ったりと、仕様が変えられるのがおもしろかった。その職人町に、ヒルサイドテラスはどこか似ている。しかし、それぞれの「職」が一冊の本に収斂する町とはむしろ逆で、ヒルサイドテラスという本から、それに関わった人たちが自分の「職」を自由に展開することになった数多くの物語が読める、そういう町なのだろう。」(『集合住宅物語』 2004 みすず書房 より この本についてはまた別の機会に。)
 製本所全体がもっとも緊張に包まれるのは断裁工程の時である。本文全頁が縢られ、見返し紙まで付けられた束がリレー方式で断裁機の前まで次々と運ばれる。ラインのように一定の間隔を置いて休みなく紙の束が機械の前まで進み、小口三方が断裁されてきれいな形になり、また別のところに積み上げられていく。運び手に何か支障があったときは声を上げる。すると機械を含めて全体の動きがピタッと止まる。数秒をおいてまた断裁機の轟音が再開する。一瞬の不注意で指を落とした断裁工が何人もいるという話をきいた。
 アルバイト学生は運び手の一齣として手伝い、機械のそばには寄れない。断裁後に、丸背にする本や小口に箔や色を付ける本にはそれなりの工程を終えてから表紙でくるむのだが(私が通っていた製本所ではすべてハードカバーか皮表紙などを扱い、表紙ごと断裁する並製本はつくってなかった)、もちろんベテランの職人だけがこなす工程で、それが終わって完全な本が出来上がったあと、ジャケットや帯で表紙をさらにくるみ、スリップをはさむ作業がアルバイトにも許される。その上でケースに入れる本もあるが、いずれにしても製本所では最終的な本の姿が見られる。やった甲斐がある。しかも当時、ここでつくった本のほとんどが白水社のもので、仏和辞典など自分の専攻分野だからなおさらだ。いまも私の手元にあるのは『コクトー戯曲全集』1、2巻、1959年1月および2月発行。最終学年を目前に働いていた年月が奥付けに印刷されている。編集者が「本をつくる」というような言い方をすることはあるが、この2冊は「もの」である本づくりに、歴然たる製本所の一要員(単なるアルバイトだけど)として私がこれまでに関わった唯一の忘れ形見である。
 これを書きはじめて小石川柳町一帯も訪ねてみたくなり、製本所の電話番号だけは分かったので念のため住所を教えてもらった。正体の分からない者がいきなり住所を訊くなんて胡散くさい。電話の向うの声も用心深かったが、47年前にお世話になった学生ですと説明するうちに多少は柔いできた。
 その日、すぐ出掛けた。都営三田線春日駅から直ぐだが、当時はJR水道橋駅が最寄りだったと思う。道は広がり建物も大きくなった。しかし町全体が働いている点では同じだった。当時のままの構えの丁合屋が、当時のままに床に折丁を並べて二、三人が順ぐりに合わせていく作業風景を見ることさえできたのである。働く町には古さ新しさは関係ない。あの頃の私はそこに通うというより、日々その小さな営みに引き寄せられていったのである。

2006.10.31 植田 実


『コクトー戯曲全集』第1巻、2巻 鈴木力衛編
発行:白水社
発行日:第1巻1959年1月25日、第2巻1959年2月28日
サイズほか:19.3×14.5cm 布貼丸背ハードカバー 第1巻308頁、第2巻366頁

























植田実のエッセイ



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