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植田実のエッセイ

磯崎新の七つの美術空間 Seven Art Galleries

 この4月26日、高崎市の群馬県立近代美術館がリニューアル・オープンした。1974年開館以来、34年目の再生である。といっても正面から眺めた姿は竣工時とほとんど変わっていない。しかし性能は格段にアップしたという。いわばドック入りをして問題点を徹底して検査し、見えないところ(例えばアスベストの除去、耐震補強など)も見えるところ(例えば展示室の照明改善など)もすっきり若返った。2005年12月に休館して2年半近くをかけた大工事である。
群馬県立美玄関
 もっともこの34年間にハイビジョンシアター、レストラン棟、池増築(1994年)や現代棟増築(1997年)が、美術館を充実させてきた。私がここを訪ねたのは竣工当時と、1989年秋の開館15周年記念の「エッフェル塔100年のメッセージ」展(これに私もすこしお手伝いしたこともあって)のときだけなので、今度初めて現代棟の常設展示などを見て、その斬新さに驚いたのである。
 しかし何よりも驚いたのは、全体としての印象が変わっていないことである。変わっていないことこそが美術館を一新している。そして強化している。それはきれいにクリーニングされ補修されて元の姿をとり戻したからではなく、建築家・磯崎新の基本コンセプトが古びるどころか現在にもっとも相応しいといえるほどに新しくなっているからである。一辺12メートル立方の集積からなる構造体はもちろん、エントランスを入ってすぐの、奥に深くのびるホールとその突き当たりをふさぐオブジェ風の壁、メイン展示室をはさんで反対側の斜路も以前のままだ。しかしそれは懐しさを呼びおこさない。34年前からの場所がこのうえなく「現在」を沸沸と体感させてくれる。それは異様とさえいえる体験だった。すこし前、大分の旧・県立図書館をこれも久しぶりに訪ねて、その外まわりをじっくりと見直したときに感じた気分と同じである。これについてはいずれ次の機会に触れるつもりだが、建築、とくに現代建築を歳月を隔てて見直すとき、どうしてもそれが出現した当時の時代と重ねて見えてきてしまう。建築よりその時代を思い出してしまう。懐しさによってその建築を許容することになる。群馬県立近代美術館はそんな懐旧の気配を払拭している。
 そのメインホールでは、リニューアル・オープン記念として磯崎新の「七つの美術空間」展が開かれている。これが今回の報告のメインである。
 この展示は、今年じゅうに行なわれる途方もなく壮大な展示企画の一環なのである。
 今年、七十七歳を迎える機会に、その数値を7×7と分解し、7つの場所に「7つの主題の仕事から7作品を自選して皆様に御覧いただく、こんな趣向を思いつきました」(磯崎新の挨拶文より)。つまり建築家ゆかりの7つの場所を順次訪ねる楽しみと、その代表作品総計49点を展示で知る機会がかなえられるわけだ。
 もう知っておられる方も多いと思うが、磯崎アトリエから送られてきた案内から、その予定時期とテーマと場所だけを抜き書きしておく。
 2月〜「七つのヴィッラ Seven Villas」 アートプラザ(大分)
 4月〜「七つの美術空間 Seven Art Galleries」 群馬県立近代美術館(高崎)
 7月〜「七つのデザイン Seven Odd Designs」 イソザキ・アテア(ビルバオ)
 7月〜「七つのキューレーション Seven Curations」 ハラミュージアムアーク(伊香保)
 10月〜「七年後 Seven Years After」 ICCギャラリー(東京)
 11月〜「七つの建物 Seven Built Projects」 仏手湖・中国国際建築芸術実践展(南京)
 12月〜「七つの未達成 Seven Unbuilt Projects」 ブレラ通りのイソザキ・アトリエ(ミラノ)
 これで分かるように、群馬での展示は第2回目であり、大分での第一回「七つのヴィッラ」はすでに2月16日から始まっており、そのオープニングにも私は行ってきたのだけれど、ここでまず「七つの美術空間」を報告するのはこちらの会期が6月22日までと迫っているので。大分のほうは来年1月末までと長期で、まだ先があるし、それに展示だけでなく大分や別府にある磯崎建築にも言及したいので、報告はこの次に。
 で、「七つの美術空間」として選ばれているのは、大分のアートプラザ(1966/1998)、当の群馬県立近代美術館(1974/1997/2008)、ロスアンジェルス現代美術館(1986)、ハラミュージアムアーク(1988/2008)、奈義町現代美術館(1994)、北京の中央美術学院美術館(2008)、上海証大ヒマラヤ芸術センター(2009 竣工予定)である。会場に入るとこれら美術空間の巨大な写真パネルがそのまま壁面となってアクセスをつくり、この「イメージ・ウォール」の導く中央部に、スケッチ、ドローイング、模型が展示されている。この展示室のスケール感あふれる空間と光を存分に生かした建築展であり、しかもそのひとつひとつがまったく新しいコンセプトと手法によって組み立てられていること、いいかえればコンセプトや手法の自己模倣といった連続性や展開を断ち切ったところに磯崎の空間と光の持続があることをあらためて確認する気持になる。その持続とは、私たちにとっては至上の空間と光のもとで美術を見る喜びにほかならない。それはここの1974年のオープニング展で、同じ部屋のゆたかな広がりのなかにヘンリ・ムーアの大作が20点近く、じつに自然に置かれていたときの記憶にも結びつく。
 今回見ることができるのは、これらの選ばれた7作品だけではない。会場の最後に設けられたコーナーには思いがけなくも「七つの茶室」の写真と図面が可愛らしく並べられているのだが、そのいくつかは知ってはいたものの、これほどの数の茶室がつくられているとは予想もしなかった。どれもが面白く、チャーミングだ。当美術館の沿革、さらには詳細な設計および工事経過まで記載されている図録の会場案内図でこのコーナーには、seven ”tea room”と書かれているだけで、やはり詳細な展示作品リスト頁を見ても七つの茶室は名称もデータも載っていない。どうやら開館ぎりぎりまで思案されていたのか。これをもう一度ゆっくりみるためにまた高崎に行きたい気にさえなる。
 「おまけ」はこれにとどまらない。会場を出たところ、入口ホールといちばん奥の斜路を結ぶ細長いギャラリーにはさらに別の七つの美術空間が並ぶ。ブルックリン美術館、クラコフ日本美術技術センター、シュトゥットガルト現代美術館、サンパウロMAC、ミュンヘン近代美術館、ロスアンジェルス現代美術館増築、ラコルーニャ人間科学館で、実現したものも計画案のままのものもあるが、どれもがいわばアンビルト的ともいえる大胆な形態や超構成で貫かれており、磯崎の建築的欲望の暗部が窺えるような迫力で見る者を圧倒するのだった。
 だから「七つの作品」は惜しげもなく増幅されて、例えばここでは磯崎の美術空間コンセプトの全容が浮上している。それは大分のアートプラザでも同様で、「七つのヴィッラ」といってもそれはキーの建築として仂き、磯崎が住宅を再定義したその全局面を知るに足る展示となっているのである。4月26日に、入口ホールでのリニューアル・オープンのテープカットに際して磯崎が、この美術館がつくられたのはオイルショックと重なった時期で、そのなかでの工事だからたいへん苦労したと話したことにも意表をつかれた。そのような時代の風圧を受けたとは思えぬ、コンセプトが理想的なかたちで実現したような佇まいだったからで、そこにもこの建築を支えた思考の強靭さを感じないではおれなかった。
 開館のすぐあと、4月30日に再び高崎を訪ねた。「磯崎新への公開インタヴュー」が、これも以前のままの姿を保つ講堂で建築家・レム・コールハースという贅沢なインタヴュアーによってなされたのである。結果として、この展示企画が立体化し、磯崎作品に限定されることなく、メタボリズムの問題、ひいては現代建築の状況そのものへの視野がひらけたのだった。
 この記録も多分まとめられるだろうから、とりあえず私のうろ憶えを二、三記しておく。勝手な解釈が入りまじってしまうかもしれないが。
 案内には「Erased Utopia 1968-1973」のタイトルが付けられている。さきの磯崎の挨拶でも触れられていたが、例の五月革命からオイルショック不況までのあいだに、それまで追いつづけていたユートピア像がふっと消えた。そこに磯崎の建築の存在形式を充填することができるのだろう。磯崎はこの公開インタヴューをこうした話から始める。つまりユートピアとは虚構の未来の一点にすぎないことが分かってしまった。近代建築がユートピアを目指していたのだとすれば、メタボリズムはそのマニフェストを掲げた最後の近代建築運動だった。自分も近代建築のシステムによっている点ではメタボリストたちと同じだが、彼等がどこまでも先を先をと求めつづけ信じていたのに対して、システムが自足された先にあるのは廃墟でしかないと自分が自覚したところに岐路が生じた。自分も関わった1970年の日本万国博は未来都市という幻影が6ヶ月だけ存在し、そして全てが消えた出来事だった。その先は空白からの始まりしか残されていない。円と正方形のプラトン立体、すなわち群馬県立近代美術館の基本が、その空白から出現した、と。
 コールハースは、自分が磯崎より一世代若いこと、大学を出た当初はジャーナリストとしての問題意識をもっていたこと、そして当時、磯崎たちがアジア的なすごい建築をつくり出しているのに強い影響を受けたことを話しながら、前の世代がユートピアを玩具のようにもてあそんだ挙句に壊してしまったことには納得していないと、いかにも彼らしい直截さと微妙なスタンスで、自己紹介と時代背景を位置づけながら、彼の著書『錯乱のニューヨーク』がこうした懐疑心から書かれ、対立そのものの否定を目指したと説明する。だから日本万国博後の空白といっても、その前には日本の敗戦というより大きく現実的な白紙状態があったはずだと、議論を具体化させようとする。
 こうした話し合いから、当然のように近代を形成したバウハウスやCIAMの運動、また芸術だけではなく政治・社会的運動にも言及され、「半分が明るいときは必ず残り半分は暗い」地球の宿命的なイメージにまで及んでいく。磯崎の話し方にはつねに歴史全体を明快な構図でとらえ、同時に自分の位置づけをも決定する姿勢が歴然として、それが聴く者に計り知れない刺激をもたらす。つまり何ひとつ隠すことなく自分を暴いてみせるような真摯であり冗談めいてもいる論理性に深く共感するのである。コールハースはしかし、「熱烈な敬愛と同時に大なる嫉妬を抱いている」磯崎のこうした華麗な技に呑みこまれず踏みとどまろうとする。磯崎が、歴史に「決着点があると言いきる勇気に敬意をもつが自分はそうは言いきれない」とし、世界の半分明るく半分暗い現実に触れながら「そもそも自分が建築に魅かれたのはユートピアがそこにあるからで、建築はどんな小さな部分にもユートピア的なものがなければ駄目だと思う」という。
 このようなかたちで、インタヴュアーの立場でありながら、あくまで自分をも妥協せずに語るコールハースの姿勢にはほんとに学ぶことが多かった。ふたりの話はさいごは大問題を論じて堂々と終わるわけではなく、会場からの質問にも答えながら建築のディテール的な側面にまた戻ったりして、磯崎も50年代の丹下健三研究室の最大の課題が何であったかを話すに至ったりする。その課題とはプロポーションだったという。木割りの完成されたプロポーションをコンクリートにいかに精妙に移しかえるかに誰もが腐心していたから、自分はそれから逃れるしかなかった。つまり立方体。
 ここでまた見事に、群馬県立近代美術館という皆の現に集まっている場に戻って来、さらに話題がまた遠くにも広がっていったのだが、報告はこの辺で区切りとしよう。昨今は日本の同時代的建築家の回顧展や個展がさかんである。それぞれの建築家の顕彰ともいえるがそのなかで、内外七つの場所において七つの主題によるそれぞれ七つの自選建築の展示は際立ったスケールであるが、それで磯崎新という建築家像が誇示され顕彰されるわけではない。むしろ彼自身はそこから抜け落ちて、跡に建築全般をめぐる大きな議論の場が形成されていく予感を、まだ二ヵ所での建築展ではあるが強く印象づけられたのである。
 展示だけでもこれほどの大規模なプロジェクトが動き出すと、それでなくても遅れがちの「百二十の見えない都市」はどうなるのか気をもむが、10月の東京・ICCギャラリーにおける討議「七年後」の内容を見ると「百二十の見えない都市 第二期」を展示、と予告されている。きっと最上のあり方が考えられているにちがいない。
               

2008年5月20日 植田実


群馬県立美ロビー群馬県立美窓

群馬県立美レム&磯崎新磯崎新展18

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