植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」 第10回 「世界中で愛されるリンドグレーンの絵本」展 2011年6月23日 |
「世界中で愛されるリンドグレーンの絵本」展
会期:2011年4月16日(土)―6月26日(日) 会場:世田谷文学館(このあと10月29日から兵庫県立円山川公苑で開催) アストリッド・リンドグレーン(1907−2002)は「長くつ下のピッピ」で知られるスウェーデンの児童文学作家だが、ピッピのほかにも「やかまし村」、「屋根の上のカールソン」、「名探偵カッレ」などのシリーズを手がけていて、その多彩ぶりに驚かされる。それぞれが別の作家によって書かれたかのように語り口も内容も一変し、しかも完成度が高い。 たとえば「やかまし村」は3軒の屋敷が並ぶ小さな環境の四季の暮らしを、6人の子どもたちを中心に懐かしいような筆致で綴っているし、「名探偵カッレ」も隣近所に住むやはり6人の子どもたちがさまざまな悪戯や戦争ごっこにふける物語だが緊迫度がぐっと増している。自分を名探偵と見なしているカッレ少年と仲間たちはその探偵ごっこのなかで現実の犯罪者と遭遇してしまったりするからだ。というように、ひとりの作家の手によるものとは思えないほどである。それを裏づけるように、それぞれの物語の挿絵画家も違う。今回の展示は、そうしたリンドグレーンのさまざまな物語を絵にした挿絵画家たちの原画をメインとしている。 そのなかでやはり「ピッピ」シリーズは別格である。もっともシンプルでありながら錯綜した構造をもつ主人公の造形であり、物語設定になっている。 「世界一強い女の子」の肩書どおり、ピッピは牛や馬をかつぎあげ、力自慢の大男を投げとばす怪力の少女である。ターザンのように、身が軽く勇敢で、サーカスに飛び入りして皆の拍手喝采を浴びるかと思えば、火事で屋根裏に取り残された子どもたちを救い出す。こうしたエピソードには思い切り面白い絵をつけられるだろう。 ところが、ほかの物語に登場する子どもたちが家族とともに生活しているのと違って、ピッピは古ぼけた家にひとり住まいしているのである。料理も掃除もひとりでやってのける。学校にも行かない。遠足には付き合う。社会的にも例外的な扱いを受けている9歳の女の子である。しかも大金持ちで、家に侵入していた泥棒たちをやっつけるのは当然だが放免するときには彼等にお小遣いをくれてやるし、町じゅうの子どもたちのために菓子屋のキャンディを買い占める。ついでに薬局では風邪薬や胃腸薬、外用薬まで買い込み、それを全部まぜて飲んでしまう。 両足にブラシを付けて床みがきをしたり、コーモリ傘で鍋のスープをかきまぜる風変わりなハウスキーピングの様子や、子どもたちがキャンディを積んだ車にわっと集まる光景はまだ絵になるだろう。しかしピッピが床におびただしい金貨を並べたり、危険なまでにブレンドした薬を一気に飲んだりする場面はどのように絵になるのか。 つまりピッピが怪力を発揮したり、高い木に昇ったり、わざと泥水のなかを歩いたりするのは子どもの陽のエネルギーの表れとして絵に描きやすい。邦訳(1994年、岩波書店)のあとがき「訳者のことば」で大塚勇三が指摘しているように、リンドグレーンは「子どもの夢や心のうごきをじつによく知っている」わけだが、それが子どもの本質すなわち秩序破壊者としての夢にまで達してしまっていることにリンドグレーンの凄さがあるのだ。そこに挿絵画家たちはどこまで肉迫しているのか。私にとっては長年の興味でもあったので、今回の企画には待ってましたという気持ちだった。 ピッピの重層性をそのまま表すように、イングリット・ヴァン・ニイマン(デンマーク)、アドルフ・ボルン(チェコ)、ローレン・チャイルド(イギリス)、そして私たちに馴み深い桜井誠(日本)の4人の作品を見ることができる。海外の3人はそれぞれに個性的なスタイルを徹底しているが、どちらかといえば絵本のスタイルあるいはデザイン的感覚に偏っていて、元気で健康なピッピ像が強すぎるのでないかと私がやや不満気味に見ていた桜井の写実的な作品が、こうしてほかと並べてみるとピッピの全体像にいちばん誠実に取り組んでいるように思えた。ついでに私の注目していた画家についていえば、ペーパーバックの英語版(手元にあるはずだが見つからない)の挿絵を描いているリチャード・ケネディがいる。この画家も写実主義といっていいが、ピッピの陰のエネルギーを垣間見せている。 児童文学の挿絵展というのは、考えてみればいろいろな可能性をひめている。展示の仕方にも新しい工夫がもっと出てくるにちがいない。 (2011.6.21 うえだ まこと) ■植田実 Makoto UYEDA 1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。 「植田実のエッセイ」バックナンバー 植田実のページへ |
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