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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第28回 ヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)  2012年3月19日
ヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)
会期:2012年3月11日(日)開館

 これまでの美術館・ギャラリーの企画展紹介とは違って、個人美術館オープンの報告である。
 作品より先ずそれを展示する新しい美術館誕生の案内が伊東豊雄建築事務所から来て、当初の目的としてとりあえずその建築を拝見に行ったのである。というのも私は三栖右嗣という1927年生まれの画家についてまったく知らなかったし、コレクターであるヤオコーという、川越いや埼玉県の人なら知らない人はいないというスーパーマーケットの老舗にも無知だったのである。
 しかし美術館設立に至る事の次第は明快だ。館長でありヤオコー会長である川野幸夫の母堂は絵画に特別な関心はなかったが、30年ほど前、偶々三栖の個展で見たコスモスの絵に魅せられて買い求めた。それがきっかけで百五十点もの三栖作品が収集される現在に至り、ついには美術館がつくられ、それは川越の新しい名所になること間違いないだろう。
 この画家の、花にしろ人物にしろ風景にしろ対象を刳るような描写力、しかもその尋常でない技術を技術として見せてしまうことなく画面にはその対象だけが残され、画家の言葉も画家そのものも消し去るような真摯さは、絵画に特別な関心を持たない人にこそまず届いたにちがいない。野や畑のテクスチャだけがどこまでも拡がる1980年代の<麓郷早春>や<麦秋一風>(どちらも500号の大作)を見たとき、アンドリュー・ワイエスを私は浅薄にも連想したのだが、そして年譜には70年代に彼がワイエスの自邸を訪ねたことも記されていてそのような関係はたしかにあったのだろうが、三栖がおもしろいのは、あるいはまったく独自の道を歩いていたと思うのは、ワイエスと交叉する時点があったと同時にその後はワイエスとはむしろ対極的な世界に向かったからである。
 <爛漫>と題されたいくつかの油彩はシダレザクラを描いている。とくに137.0×399.0もの大きな作品はその構図が日本画に近い。画面いっぱいシダレザクラが咲き誇り、左下に小さくカワセミが矢のように飛び抜けていく。一見、屏風画にみられるような装飾性を感じるが、じつは酷薄なまでにリアリスティックに描かれている。花はどれほどの写実力をもってしても花弁が見る者に向けて開かれていれば、しかもそれが画面全体を埋めつくす無数の集合体であれば、写実を駆使すればするほど装飾性へと傾いていく。三栖はその自家撞着から冷徹に逃れている。彼が描くのはサクラではなくシダレザクラである。だからあふれんばかりの「爛漫」を持ち堪えている支持体としての枝が画面上部にがっちりと描かれ、花は水面へと向かっている。つまり花を見る眼は下降という方向と、左へ飛び抜けるカワセミに誘導される速度とによって近代的な花の現実へと届く。これが、おそらくは日本の風景/心のリアリティに、スタイルの手助けなしに還っていくことを願う画家にとっての突破口だったのではないか。
 だれもが三栖の技巧に驚嘆し、描かれている対象の明快さに共感する。ひねくれ者はそのポピュラリティにどう対峙すればよいのか迷ってしまう。ふつうはこうした厄介は避けて通るところをあえて取り上げるのは、伊東がこの作品群を受けとめる建築を構想するうえでいかに画家の内面に深く入りこんでいったかが歴然としているからであり、それ故に伊東のこれまでの建築のなかでも特別な位置を占めるように思えるからである。
 伊東がこの設計を依頼された時、すぐ思い浮かんだのは少年時代、彼の家の応接間にかけられていた洋画で、だから「私にとっての洋画の記憶は、当時の応接間とセットになっている」。図録にはそう書かれているし、開館の日に同じことを私に話してもくれたので、そのイメージはよほど強かったのだろう。いわば自分の原体験をかなり直接的に参照することで美術館らしさから遠ざかろうとした。だが「家」のかたちからはもっと遠く見える。出来たのは一辺20メートルあまりの正方形平面の、小さな平屋の白いコンクリート・ボックスであり、内部は田の字に仕切られている。といっても光が移ろうようにゆるやかな仕切りで、エントランスホール、展示室1、2、カフェ/ラウンジの四つの空間になっているが、そこからは堅固な建築さえも消え、時間と気象のゆれ動く記憶のなかに伊東の言う「洋画」だけが残されている。といった気配。
 展示室1の天井は中央から垂れ下がってきて円柱状に床面に接し、その周りは地中の光が滲み出たかのように暗く輝いている。一方、展示室2の天井は中央部分がつまみあげられたかのように上空に伸びてその頂部から光を入れている。上下の向きが違う漏斗状の天井の組み合わせは二つの時期の作品傾向を反映させて、暗さから明るみへ構成したという。それに続くカフェ/ラウンジはさきに触れた<爛漫>1点が飾られ、そこには外光も入りこんでいる。幻影の応接間のように。
 「展示室のデザインはどうなのかな」と、伊東は半ば自問自答するように、私につぶやいた。二つの部屋の対比は少し図式的になってしまったかなと気にしているようにもみえたが、私には美術館のこじんまりとしたスケールには相応しく思えた。プログラムを超えてしまうほどの小ささに対して、ふだんは抑制している形がつい出てきたような。それは白い建物を浸して囲んでいる美しい池を見てもよく分かる。池はそのまま自然の姿で緑の土手に続いている。幾何学の抽象が、いつのまにか忍び寄っていた具象に侵されている。あるいは自然のままの自然と造りものの自然(例えば池はもちろん人工池だ)が戯れ合っている。それは「愛される建築」に短絡することをやんわりと拒み、「愛する建築」に危険なまでに接近している姿である。
 伊東は嫌がるかもしれないが、私はかつてワシントンD.C.に訪ねたフィリップ・ジョンソン設計のとても小さなダンバートン・オークス美術館を思い出していた。それぞれドームを載せた八つの円形の小部屋がロの字形に連結し、その中心が同じスケールの円い噴水池になっている。部屋々々は不釣合いなほど太い円柱群に囲われている(つまり、小さい彫像や宝飾品のための美術館なので、展示壁をなくして円柱とガラス面だけにしているのだ)。その過剰さが官能的というか、いかにもジョンソンらしい。こうした愛の建築は現代建築の状況のなかに時折ふっと姿を見せ、あまり表に出ないまま濃密な記憶のなかにしまわれる。川越の新美術館は、絵画も建築も併せて、そのような思いがけないスリリングな感覚に私を誘い込んだのだった。
(2012.3.14 うえだ まこと)



撮影:植田実

ヤオコー川越美術館平面コンセプトスケッチ(同館HPより)

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*画廊亭主敬白
多忙を極める植田実先生から久しぶりに「美術展のおこぼれ」の原稿が届き、一読、喫驚しました。
三栖先生が登場とは・・・・
植田先生は「私は三栖右嗣という1927年生まれの画家についてまったく知らなかった」と書いておられますが、関心がなかっただけで、植田先生が良くご存知の原広司設計の森工房で大判のリトグラフを最も多く制作されていたのが三栖先生です。三栖先生の生前、どこかでニアミスしているかも知れません。
亭主が今から30年前、三栖先生につくっていただいた野の花の連作3点をご紹介します。

三栖右嗣
「野の花」
1982年
リトグラフ(刷り:森仁志)
38.0x49.0cm
Ed.150
サインあり

三栖右嗣
「アマポーラ」
1982年
リトグラフ(刷り:森仁志)
29.5x50.0cm
Ed.150
サインあり

三栖右嗣
「コスモス」
1982年
リトグラフ(刷り:森仁志)
20.3x46.7cm
Ed.150
サインあり

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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