植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」 第45回 「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 2017年10月06日 |
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 会期:2017年7月19日―10月29日 会場:東京国立近代美術館 いろんな意味で、必見の展覧会だ。 建築に関わるひとにとって。でないひとにとってはなおいっそう。建築展は実物がそこにないものを見るのだから、はじめから何か面倒に出会う覚悟で行くことになる。その気持ちを少し掘り下げると、美術展だって同じだ。実物の絵を目の前にしながら、これを美術の現実と言い切るのはむつかしい。5年ほど前、松本竣介生誕百年記念展が、岩手、神奈川、宮城、島根の各県立美術館と東京の世田谷美術館を10ヵ月かけて巡回したとき、綿貫さんに言われて、この5美術館の展示を追っかけ訪ねたことがある。出展作品とその構成は基本的に同じで、カタログも同じだが、展示空間は当然それぞれに違う。部屋の大小、天井の高さ、壁面の長さや配置が違う。それ以前に絵と絵の間隔がわずかに広かったり狭かったりするだけでも、竣介の同じ絵画が毅然としたり親しみを帯びたり微妙に変化するのに驚いた。絵が生きて動いていた。 建築展はそれに比べると、会場の外、遠くにある実物と、会場内でのその反映・写し・説明とのあいだの距離を読みとる展覧会である。「日本の家」展はまずオープニングに行ったけれど、その距離を楽しむには人も展示物も多くて疲れてしまい早々に退散した。その後はカタログでひととおり見当をつけ、数日前にもう一度竹橋のMOMATを訪ねた。3時間ほどかけて見てまわったが時間切れ。やはり多い。なのでとくに印象的だったものを3つだけ挙げて報告にする。全体を知るには自分で行って見てくるのがやはりいちばん。 その1。ヴィデオがけっこうある。全部見たけれど、アトリエ・ワン設計の「ハウス&アトリエ」がよく分かった。ここには2回ほどお邪魔して、私的な住まいゾーンと公的な仕事場ゾーンの混然一体を垣間見たし、写真や図面もそこを核心として語っていたのだけれど、まだ理念としてのレベルが残るとも思えたのである。今回のヴィデオはそこがすでに堅固な構造体として働いていて、この時代におけるきわめてヴィヴィッドな提案であることを一瞬にしてとらえている。とにかく大勢のスタッフが動きまわる。プライヴェートな場面がある。それらがあくまでも建築の描出になっているのだ。 その隣に石山修武の「世田谷村(自邸)」に入りこんだヴィデオ。住まいのほかに工房、スタジオ、その他の機能が重層し、アトリエ・ワンの住居と仕事場と共通するところがありそうだが、その建築はヴィデオによって明らかにされない。というか隠されている。屋上の菜園や屋内の暗いところで何かがずっと動いている気配だけがある。当の石山修武が手にした小さな銅板をドライポイントふうに彫りつづける姿だけがある。(ときの忘れもの註:グランドをひいて銅板をお渡ししていますが、そんなことはお構いなしにドライポイントあるいはビュランのように彫っています。)そんな小さな時間だけで、この世田谷村がめざす壮大な自給自足の家が見事に描かれている。 この2本のヴィデオ制作者の名を見ると、石山友美。映画「少女と夏の終わり」、「だれも知らない建築のはなし」の監督であり、世田谷村は住まい手として知りつくしている。そこから十分に計算された対照的なヴィデオになったのか。 建て主であり住まい手である人々へのインタヴューのヴィデオもいくつかあって興味深い。語り続ける表情にひきこまれていくうちに、家の所有や生活の豊富化といった局面が意識の中で強まってきて戸惑う。構成上、話に終わりがなくなり建築と住むこととが相対化してくる。そのなかで中山英之設計の「О邸」のヴィデオには人も見えないし声も聞こえない。椅子やカーテンやドアや窓が沈黙の表れのように静止画に近いかたちで淡々と写される。デザイン・ディレクターである施主の撮影と編集によるものらしいが、住む人の存在がいちばん見えているヴィデオでもあった。 これらのヴィデオは当然、カタログでは見ることができない。とくに今回展のカタログは、展示の方向性を大きくとらえたあとはかなり自由に制作されており、独立した建築誌として読むこともできる。 会場で印象的だったその2。 西沢大良設計の「大田のハウス」のスタディ図面がそれで、東西に長い西入りの矩形の敷地に、さらに細長い箱のような住棟を北側に寄せて南面をあける。一見まるで単純な配置を執拗に検討する12点の図面(カタログ145ページ)がすごい。その隣のもう1枚はもっとすごい。住棟内の階段室を赤いインクで寸法チェックと併せて繰り返すとても小さな手描きの検討図面は、建築家というひとの誠実な怖さに直に触ってしまう迫力で、会場ではダントツの展示物だ。この生々しさは印刷にしたら消えてしまうだろうなと思いつつカタログのなかを探したら、図面そのものが省略されていた。 その3。 会場入口に掲げられていた「ごあいさつ」のパネル。 本の表紙かとびらページみたいに、どの企画展でも会場の入口まわりに必ず見られる、あのパネル。企画の主旨を簡潔に述べている。当然カタログの巻頭にもまったく同じ文章が再録され、私もそれを読んで美術館にやってきた。にもかかわらず、あらためて「ごあいさつ」に向きあうと違う文章なのだ。会場という現場でこそ、人々を迎える主催者の、決断と高揚がストレートに伝わってくるからだ。展示そのものとカタログとはやはり違うのである。 会場では「50人(組)を超える建築家による75件の家」を「13のテーマ(系譜)に分けて」(「ごあいさつ」より)、写真、図面、模型、ヴィデオ、モックアップ(実物大の部分模型)などの多様なプレゼンテーションで見せている。13のテーマとは、日本的なるもの、プロトタイプと大量生産、閉鎖から開放へ、家族を批評する、等々の、1945年以降の住宅を見直す切り口でもあり整理棚でもある。 建築家による住宅建築の代表例を選んで展示する企画はこのところなぜか集中して、例えば「戦後日本住宅伝説」展(2014‐15年、埼玉県立近代美術館、ほか)では16件、「日本、家の列島」展(2017年、パナソニック汐留ミュージアム。ヨーロッパでの巡回展は3年ぐらい前から行なわれてきたらしい)では「昨日の家」のブロックに14件、まちなかでのスナップ写真を集めた「東京の家」36件、写真、図面、住まい手へのインタヴューなどでそれぞれを紹介する「今の家」21件を選んでいる(カタログを参照した)。「伝説」と「家の列島・昨日の家」では1950‐70年代の住宅が中心であり、丹下健三の「住居」、菊竹清訓の「スカイハウス」、東孝光の「塔の家」、安藤忠雄の「住吉の長屋」などのよく知られる事例がダブっている。量も質もほかのどの国に負けない日本の「建築家による住宅」のなかから、かなり特異な事例までが迷わず選ばれた結果、戦後日本の代表的住宅といえばどこも同じようなラインナップになる。展覧会だけではない。雑誌や単行本の特集を加えればさらに動かし難い歴史になっていく。「建築文化」別冊「日本の住宅50年」(布野修司編1995年)では42人の建築家・評論家がひとり10点の持ち点で選んだその集計結果は「塔の家」「スカイハウス」「住吉の長屋」が最高得点になった。現実に個人が所有し(していた)、住んでいる(いた)物件を人気投票みたいに順番をつけて評価することに問題ないのか気にもなるが、それはひとつには「外からの眼」の自然な漂着点なのかもしれない。 住宅の基本は、外から入れない建築である。仮りに客として招かれても住宅ではほんとうになかに入れたわけではない。その組織は建築という表層(屋内であっても)に端的に可視化され、だれもがそのとくに拒絶の表れに敏感に反応する。ひらたく言えばいっぷう変わった迷宮のような家がおもしろい。なかに入ってみたい欲望に襲われる。同時代の者はその不可能性から住宅を見始めた。それが過ぎ去った時代の住宅になれば遅れて来た者はさらに外からの眼を自覚し、優位に立つ場に向かう。生活という現在性(「スカイハウス」には50年代の、「塔の家」には60年代の、「住吉の長屋」には70年代の)を抜き取ればいっそう外から俯瞰しやすくなる。 そのあたりの自己中心性を断ち切ったのは「戦後日本住宅伝説」展の「伝説」というネーミングだ。みな同質的に住宅事例を並べてしまうことの言い訳、ではなく正当性を言っている。建築家ひとりに1作品というルールも、大スクリーンを各作品コーナーのフロントとする(東工大百年記念館での坂本一成展のアイデアを譲り受けたとはいえ)手法も、明快でおもしろく分かりやすかった。 「日本、家の列島」展は4人のフランス人(建築家と写真家)によるものだから、まさに外からの眼を通しての展覧会で、キュートで愛らしいカタログらしからぬカタログにも、その企画内容がよく表れていた。 対して「日本の家」展は、内側から見せようとしている眼を感じる。 まず13のテーマに分別することで年代的序列から住宅を語り、時代を追って説明する常套から逃れている。それなりに各住宅のリアリティを支えていた属性が剥離して、どこか不安定になった姿でもある。例えば形態や構成にある共通性が見られるがそれらの住宅を生んだ時代背景や状況があまりにも違う。見た目が似ているからこそ別々のものとして考えたいと思っていた住宅が同じテーマの下に連結されているのを見る落ち着かなさ。また例えばその住宅が出現した当時、住宅に対する自分の慣習的見方を徹底して否定された衝撃を長年確信してきたのに、それとはマギャクなテーマのなかに追いこまれているのを見る生半可感。だがじつはこの身の置きどころがないような気分こそ、「日本の家」展の醍醐味である。建築本来の生命を弱めることもある、テーマの下での批評という外科的処置に、ここで疑問や不信を口に出したら負けだ。それをいちばん痛感しているのはほかならぬ監修者で、そこを自ら乗り越えるように書かれた各テーマや作品例の解説は、だからとても丁寧だ。それが新たな住宅観へと案内してくれるかどうかは、自分が会場内に立ってみて判断することである。 だから繰り返し言わせてもらいます。必見の展覧会だ。 (2017.9.20 うえだまこと) ●展覧会のご紹介 「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 会期:2017年7月19日[水]〜10月29日[日] 会場:東京国立近代美術館 千代田区北の丸公園3-1 Tel. 03-5777-8600 開館時間:10:00〜17:00(金・土は21:00まで)※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜(10月9日は開館)、10月10日 本展は日本の建築家56組による75件の住宅建築を、400点を超える模型、図面、写真、映像などを通して紹介する壮大な試みです。 時系列ではなくテーマごとの展示になっているので、「日本の家」の特徴を深く理解いただけます。2016年秋からローマ、ロンドンを巡回し、いよいよ東京で開幕します。 出品建築家一覧:相田武文、青木淳、東孝光、アトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代)、阿部勤、安藤忠雄、五十嵐淳、生物建築舎(藤野高志)、生田勉、池辺陽、石山修武、伊東豊雄、乾久美子、o+h(大西麻貴+百田有希)、大野勝彦+積水化学工業、岡啓輔、柄沢祐輔、菊竹清訓、岸和郎、隈研吾、黒川紀章、黒沢隆、金野千恵、坂倉準三、坂本一成、篠原一男、篠原聡子、島田陽、白井晟一、清家清、妹島和世、丹下健三、手塚建築研究所(手塚貴晴+手塚由比)、dot architects(家成俊勝+赤代武志)、中川エリカ、中山英之、難波和彦、西沢大良、西沢立衛、西田司、長谷川逸子、長谷川豪、広瀬鎌二、藤井博巳、藤本壮介、藤森照信、前川國男、増沢洵、宮本佳明、無印良品、毛綱毅曠、山下和正、山本理顕、吉阪隆正、吉村順三、アントニン・レーモンド (東京国立近代美術館HPより転載) 『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』図録 2017年 新建築社 発行 255ページ 29.7x22.2cm 石山修武 「幻庵」 1975年 石山修武 「世田谷村」 2001年 阿部勤 「中心のある家」外観 1974年 内観 ■植田実 Makoto UYEDA 1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。 「植田実のエッセイ」バックナンバー 植田実のページへ |
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