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優れた同時代作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指す、オリジナル版画入り大型美術誌

版画掌誌「ときの忘れもの」第01号

特集1:小野隆生 特集2:三上誠

◎版画掌誌『ときの忘れもの』
第1号刊行

同時代の優れた作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指してオリジナル版画入りの豪華美術誌を刊行しました。ジャンルを問わず真に歴史の評価に耐え得るという視点から毎号、同時代の作家と物故作家の2名を取り上げ、ご紹介します。
 創刊号はイタリアで独特の肖像画を制作している小野隆生(1950〜 )と、パンリアル美術協会を創立し日本画の革新に挑んだ三上誠(1919〜1972)を特集。

[体裁]

1999年刊行, B4判変形(32×26cm)、綴じ無し、
表紙/箔押、 シルクスクリ−ン刷り、本文/24頁。
 

特A版 (7部)

小野のリト2点+三上の銅版画後刷り5点、計7点挿入。

A版 (28部)

小野のリト2点+三上の銅版画後刷り2点、計4点挿入。 

B版(100部)

小野のリト1点挿入。    


 特集1:小野隆生

 特集2:三上誠

イタリアでルネサンスの巨匠絵画に学び、テンペラによる独特の肖像画を書き続ける小野隆生が、初めてのリトグラフ(刷り=白井版画工房)を制作。

◎執筆=高橋睦郎(詩人)

パンリアル美術協会を創立し、日本画の革新に挑んだ故三上誠の新発掘の銅版原版から後刷り(刷り=白井版画工房)。三上誠がひそかに作り続けていた未発表銅版画が、没後27年を経て、初めて公開される。

◎執筆=松永伍一(詩人)
松本育子(刈谷市美術館学芸員)

◆略歴

小野隆生 Takao ONO
1950年、岩手県に生まれる。
71年渡伊、以後現在までイタリアに在住、国立ローマ美術学校、国立フィレンツェ美術学校、国立ローマ中央修復研究所絵画科に学ぶ。その後、イタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わる。84年にはプレセーペ=モヌメンターレ展(チッタ・デッラ・ピエヴェ市)での立体絵画の監督制作や、ペルジ−ノ壁画修復展(同市に永久展示)の企画制作する。日本においては、76年銀座・現代画廊での第1回個展をはじめ、盛岡・MORIOKA第一画廊、渋谷・スカイドアアートプレイス青山、青山・ときの忘れものなどで、テンペラ画手法による肖像画の作品を発表しつづけている。

三上誠 Makoto MIKAMI
1919年、父の出稼ぎ先の大阪市に生まれる(旧名、嶋田誠)。
幼少期を福井市で過ごす。44年京都市立絵画専門学校卒業。48年、星野真吾、八木一夫、鈴木治らと「パンリアル」結成。翌年、星野、下村良之介、大野俶嵩ら会員11名で日本画の前衛グループ「パンリアル美術協会」を結成し、その中心となる。52年、結核療養のため福井市へ帰郷。以後、福井市で制作活動を行う。しかし72年病魔に倒れ没(52歳)。段ボールや木、印刷物を使い、コラージュやフロッタージュの技法を日本画にとりこみ、幾何学的形態のなかに独自の宇宙論的な作品を発表し、日本画に新地平を切り拓いた。

 
本誌参考図版

 

特A版

A版

B版

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本誌挿入エディション作品

特A版は全エディション作品7点挿入

三上誠「作品B(仮題)」
原版制作=1957年頃
1999年後刷り
エッチング+ドライポイント、アルミ版
11.8x16.0cm
(紙32.0x51.5cm) Ed.7
作家印を捺し、限定版号を記入

三上誠「作品D(仮題)」
原版制作=1960〜65年頃
1999年後刷り
フォトグラビュール、銅版12.0x5.2cm
(紙32.0x51.5cm) Ed.7
作家印を捺し、限定版号を記入

 

三上誠「作品G(仮題)」
原版制作=1960年頃
1999年後刷り
インタリオ、ジンク版
16.4x5.8cm
(紙32.0x51.5cm) Ed.7
作家印を捺し、限定版号を記入

 

 

A版挿入版画4点

 

 

 

 

三上誠「作品A(仮題)」
原版制作=1957年頃
1999年後刷り
エッチング、アルミ版
11.8x16.0cm(紙32.0x51.5cm) Ed.35
作家印を捺し、限定版号を記入

 

三上誠「作品C(仮題)」
原版制作=1960〜65年頃
1999年後刷り
フォトグラビュール、銅版
9.5x7.0cm(紙32.0x51.5cm) Ed.35
作家印を捺し、限定版号を記入

 

 

 

 

B版挿入版画1点

 

 

小野隆生「バック・ミラーに映った影」
1999年 リトグラフ
21.5x21.0cm(紙32.0x51.5cm) Ed.35
自筆サイン・限定番号入り

小野隆生「日付けのないカレンダー」
1999年 リトグラフ
30.0x18.5cm(紙32.0x51.5cm) Ed.135
自筆サイン・限定番号入り

 


版画掌誌『ときの忘れもの』第1号 編集後記 綿貫不二夫

 優れた同時代作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を趣旨に創刊する版画掌誌の第1号には特A版、A版、B版の3バージョンがあり、別記の通り小野隆生のリトグラフと、故三上誠の銅版後刷りをバ−ジョンによって7〜1点挿入した。小野作品は在イタリアの作家が昨秋一時帰国した折りに白井版画工房において制作したものである。三上作品は同じく白井版画工房において、遺族のもとに残されていた原版から後刷りした。物故作家の「後刷り」について本誌の姿勢を述べておきたい。

 三上誠が版画制作に取り組んでいたことは日記にも散見され、実際の作品もいくつか確認されている。今回、本誌のために三上の実弟の嶋田正氏より6枚の貴重な原版(アルミ版1枚=両面に描画されている、銅版2枚、ジンク版3枚)をご提供いただき、先ず7種類の試刷りを行なった。いずれも実際に刷られたものは発見されておらず、作品名も不明なのでタイトルを一応「作品A(仮題)」〜「作品G(仮題)」とし、そのなかから5種類を選び本誌エディションのために後刷りした。

 「作品A(仮題)」「作品B(仮題)」は1枚のアルミ版の裏表に製版されており、版画作品として完成度の高いものである。「作品A(仮題)」はエッチング技法で、「作品B(仮題)」はエッチン グとドライポイントの併用技法である。

 「作品C(仮題)」「作品D(仮題)」はともに銅版にフォトグラビュール技法で製版されている。これは写真製版を使ったグラビア印刷の技法でもあり、おそらくは独立した版画作品としてではなく、雑誌などのカットに使う目的で制作されたものだろう。
「作品G(仮題)」は「作品E(仮題)」「作品F(仮題)」とともにジンク版に凸版で製版されているが、今回はインタリオ技法(凹版)として後刷りした。これも独立した版画作品としてではなく、カットなどに使ったものかもしれない。しかし版が不定形に切断されており、明らかに「版」に対する作家のある意図がうかがえる。

 作家自らが刷ったもの、または自らの監修のもとに刷り師に刷らせたものをオリジナル版画と呼ぶならば、本誌が企図する物故作家の「後刷り」は正確にはオリジナル版画とはいえないだろう。原版からの後刷りやリプロダクション(複製版画)を制作する場合、作家不在の刷りとなるわけだから作業は慎重を期さねばならない。作家の制作意図を他の作品や生前の資料に基づき可能な限り尊重したい。本来のオリジナル版画が残っていれば後刷りの必要性は薄い。今回の三上作品のように何らかの理由で、生前に刷られた実物(オリジナル)が存在せず、しかもその「版」だけが残されている場合、それを後刷りし、公刊(エディション)することは今後の作家研究のためにも、愛好家の要望に応える意味でも充分意義のあることだろう。次号以降についてもこのような考え方のもとに、埋もれた作家、作品の発掘に力を注ぎたい。 

綿貫不二夫

 


版画掌誌『ときの忘れもの』第1号
版画掌誌『ときの忘れもの』第2号
版画掌誌『ときの忘れもの』第3号
版画掌誌『ときの忘れもの』第4号
版画掌誌『ときの忘れもの』第5号
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