優れた同時代作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指す、オリジナル版画入り大型美術誌

版画掌誌「ときの忘れもの」第2号

特集1:磯崎新 特集2:山名文夫  

◎版画掌誌『ときの忘れもの』第2号刊行


 同時代の優れた作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指すオリジナル版画入り美術誌、版画掌誌『ときの忘れもの』第2号が完成しました。
 第2号では建築のみならず歴史、芸術、文化への深い洞察に支えられた発言を続ける磯崎新と、グラフィックデザインの先駆者山名文夫を特集しています。

 

[体裁]B4判変型(32.3×26.2cm)、表紙シルクスクリーン刷り、本文28頁、限定=135部

A版=35部(1/135〜35/135) 版画6点入り
 磯崎新の新作銅版画 W103「ファテプール・シクリ1」、W104「ファテプール・シクリ2」、W105「アグラの赤い城」、W106「ファテプール・シクリ3」の4点と、、山名文夫の木口木版後刷り W108「蔵書票」1点とシルクスクリーンによるリプロダクション W107「作品名不詳」の1点、計6点を挿入。

B版=100部(36/135〜135/135) 版画2点入り
 磯崎新の新作銅版画 W106「ファテプール・シクリ3」の1点、山名文夫のシルクスクリーンによるリプロダクション W107「作品名不詳」の1点、計2点を挿入

A版
B版
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磯崎新 扉     山名文夫 扉

 

 特集1:磯崎新  特集2:山名文夫

 当初肩から下げていたカメラを捨て、筆ペンとスケッチ帖を携え、旅の途中で出合った建築物や景観を描く、旅する建築家・磯崎新。昨年、インドを旅した折に描いたスケッチ帖の全92頁を完全収録。本誌のために銅版画4点を制作した。

◎執筆=植田実(建築評論家・編集者)

 グラフィックデザインの先駆者であり、資生堂化粧品を彩る優美なデザインスタイルを築き上げた故・山名文夫。その山名が残した、大正から昭和、そして戦後に、『女性』『サンデー毎日』『宝石』などの雑誌に掲載された清冽なエロティシズム溢れる小説の挿画を特集。本誌のためにご遺族の協力を得て、木口木版後刷りと、昭和初期の原画からのリプロダクションを制作した。

◎執筆=山口昌男(文化人類学者)
 西村美香(日本近代デザイン史研究者)
 渡部豁(陶芸家)

 

◆略歴

磯崎新 ARATA ISOZAKI
1931年大分県生まれ。
61年東京大学大学院建築学博士課程修了。63年磯崎新アトリエ設立。日本を代表する建築家であり、さまざまな文化領域で国際的な活躍を続ける。日本建築学会賞をはじめとして、ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展金獅子賞等多数受賞。代表作につくばセンタービル、MOCA―ロス・アンジェルス現代美術館、バルセロナ・サンジョルディ・スポーツ・パレス、静岡県コンベンション・アーツ・センター グランシップ、秋吉台国際芸術村、なら100年会館、オハイオ21世紀科学技術センターなどがある。

山名文夫 AYAO YAMANA
1897年広島県生まれ。
1923年大阪のプラトン社に図案家として入社。29年資生堂意匠部に入社(36年復社、48年再復社)。33年名取洋之助主宰の日本工房に入る。47年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)図案科教授となる。51年日本宣伝美術会初代委員長。80年東京で永眠(82歳)。
本文参考頁

 

本誌挿入エディション作品
A版は全6点挿入
B版は下記2点挿入
[W103]磯崎新「ファテプール・シクリ1」
2000年 エッチング 13.5×18.0cm Ed.35
[W105]磯崎新「アグラの赤い城」
2000年 エッチング 18.0×13.5cm Ed.35
[W106]磯崎新「ファテプール・シクリ3」
2000年 エッチング 13.5×18.0cm Ed.135
[W104]磯崎新「ファテプール・シクリ2」
2000年 エッチング 13.5×18.0cm Ed.35
[W108]山名文夫「蔵書票」
制作年不詳(1999年後刷り)木口木版
5.2×4.0cm Ed.35
[W107]山名文夫「作品名不詳」
原画制作1928年(シルクスクリーン制作2000年)シルクスクリーンによるリプロダクション 17.7×12.0cm Ed.135
・磯崎新の銅版画4点はすべて作家自筆サインと限定番号を記入
・山名文夫の木口木版後刷りとシルクスクリーンによるリプロダクションの2点は遺族保管の作家印を捺し、限定番号を記入

版画掌誌『ときの忘れもの』第2号 編集後記 綿貫不二夫

 『版画掌誌』の第02号の発行が大幅に遅れたことを心からお詫びしたい。
 「優れた同時代作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘」をめざし昨年3月に創刊した本誌だが、今号はA版、B版の2バージョンをつくり、別記の通り磯崎新の銅版画と、故山名文夫の木口木版後刷りおよびシルクスクリーンによるリプロダクションとを、バージョンによって6〜2点挿入した。
 「版画は余技ではなく、自分の建築を批評すること」。優れた建築家とは優れたアーティストだと思う。建築家の磯崎新が版画制作に取り組んだのは1977年からで、当時私が主宰していた現代版画センターからの依頼がきっかけだった(その経緯は、昨年住まいの図書館出版局から刊行された磯崎新著『栖十二』巻末の栞[Appendix]17〜19頁に書いてあるので参照されたい)。建築家が技術者としてみられている日本では珍しいことだった。その後、20数年たった今にいたるまで、建築家は版画から撤退することなく、制作を続けている。編集者としてそれをずっとみてきた植田実氏に建築家が描くことの意味について執筆していただいた。
 「カメラを持つと、カメラの眼を頼ってしまい、空間を身体で感じることができない」。私が磯崎アトリエに通い出した70年代後半には建築家はすでにカメラを捨てており、かわりにスケッチブックがいつも旅の同伴者だった。何十冊にもなるそれらのスケッチブックから、昨年発表した『栖十二』の40点にも及ぶ銅版画連作が生まれ、今回本誌に挿入した銅版画も昨年インド旅行したときのスケッチをもとに帰国後制作されたものである。磯崎ファンならずとも覗いてみたいそのスケッチブックを、一冊まるごと特集させて貰った。
 かつて資生堂の看板デザイナーだった山名文夫については、作品集が何冊も出され、1998年には目黒区美術館で回顧展が開催されるなど、顕彰もなされているのだが、それが一面的なのが残念でならなかった。丸ペン一本で描かれた絵と字の絶妙なバランス、『宝石』『猟奇』『サンデー毎日』などに載った挿絵の魅力はもっと評価されて良い。雑誌や新聞小説の挿絵はいわば刺身の具みたいなもので、その小説が単行本になっても再録されることは少ない。それに戦後の出版界は、挿絵を本の世界から駆逐してしまった。読み捨てられる雑誌の中に埋もれさせてしまうには余りに惜しい山名の仕事を、いつかきちんと紹介したかった。幸いこれらの雑誌を資生堂企業資料館が保存しており、今回の特集を組むことができた。挿入した山名の版画2点の内、「蔵書票」はご遺族が保管していた印鑑入れの小箱の中に、木口木版の版木を偶然見つけることができ、後刷りが実現した。ご遺族のご意見をうかがい刷り色は生前山名の好きだったグリ−ンにした。もう一点の「作品名不詳」は、資生堂所蔵の原画をシルクスクリーン技法(19版・16色・19度刷り)によってリプロダクションしたものである。没後の複製版画の制作は作家不在なのだから慎重を期さねばならない。ご遺族の監修のもと名手石田了一氏の刷りにより気品に満ちた作品に仕上がったと思う。山口昌男氏と西村美香氏からは、山名の非凡な才能の背景と魅力を伝える論考をいただくことができ、資生堂の後輩だった渡部豁氏からは、蔵書票にまつわる貴重な回想をお寄せ戴いた。

2000年3月 綿貫不二夫


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