ときの忘れもの ギャラリー 版画
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平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき
第13回 2021年06月14日
その13 南房総の野菜畑 

文・写真 平嶋彰彦


 野菜作りを始めてかれこれ10年になる。房総半島南端の館山市に実家が残っていて、目の前が畑になっている。両親は2人とも亡くなって、だれも住んでいない。私がいま住んでいるのは習志野市で、週末になると妻と2人で実家へむかう。一般道路だと距離にして110キロ余り、片道3時間半かかる。
 畑の広さは、登記台帳を見ていないが、目見当では400坪から500坪ぐらいはある。趣味の家庭菜園としては、3分の1もあれば充分である。しかし、畑を遊ばせておくのがもったいなくなり、ついつい畑いっぱいにあれもこれもと植えてしまう。
 そうしたくなる理由はほかにもある。実家のあるあたりは、房総半島でもとくに暖かく、霜の降りることは何年かに1度しかない。ナバナ(菜花)は9月に種をまくと、11月半ばにはつぼみをつける。サニーレタスは1月でも2月でも、種を蒔けば芽が出る。春夏秋冬を問わず、その気になれば、多彩な野菜作りのできる恵まれた自然環境といえる。そんなこともあり、畑にはいつも10数種類の野菜を併行して作っている。
 商品作物を生産しているのではなく、あくまでも自家消費が目的の家庭菜園にすぎない。たくさん作ったところで、親戚や知り合いに配るだけで、一円の収入にもならない。にもかかわらず、年がら年じゅう時間に追われ、のんびりしている暇がない。毎週1泊2日で、実働1日という日程にも無理があるのだが、とりわけ、4月下旬から6月初旬までと、9月から10月中旬までは忙しい。
 今年は4月下旬からの1ヶ月間に、ソラマメ・ジャガイモ・タマネギ・ニンニク・ラッキョーを収穫し、そのあとにスイカ・ナス・サツマイモ・トマト・キューリ・ゴーヤ・オクラの苗の植えつけや種まきをしている。この時期に夏秋の作物冬春の作物を交換させる。早いはなしが、畑の衣替えをするわけだが、作物の出来具合や天候の成り行きを見極めるのが難しい。そのため、収穫と植えつけの進行が混乱して、いつもきりきり舞いになる。

202106平嶋彰彦ph1-6V7A5576-bph1 ダイコンとナバナ。2020.11.23

202106平嶋彰彦ph2-6V7A6849-bph2 ソラマメ。2021.02.07

202106平嶋彰彦ph3-6V7A7633-bph3 ソラマメ。2021.04.04

 田舎の朝は早い。夏の季節なら4時すぎには目が覚める。起きたらすぐに畑にでる。夜間にたっぷり水分を補給した野菜が瑞々しい。ぼんやりと眺めているだけでなんとなく気分が高揚する。1日のうちで私の大好きな時間である。陽が昇るのと前後して、あちこちの農道を軽トラックが行き交う。農家の人たちが特産の花卉を栽培するビニールハウスを見てまわっているのである。ハウス内の温度と換気の調整をするのだが、一番の目的が何かといえば、花卉の育ちぐあいの観察と健康状態の診断にあるのだという。
 農家の人たちほとんどは幼なじみである。顔を合わせれば、声をかけあう。あれこれ立ち話をしているうちに、作物の育ち具合や病虫害・鳥獣被害などの最新情報が得られる。彼らは自分の畑だけでなく、よその畑にも目配りを利かせている。私の家のような野菜畑のようすまでよく分かっている。
 同じ種類の野菜を同じように作っても、豊作の年もあれば不作の年もある。一番大きい要因は、なんといっても天候ということになるが、もちろんそればかりではない。今年はソラマメが私の家のあたりでは不作だった。私の場合は4合の種から90キロ余りを収穫しているから、それほど悪い成績でもなかったが、栽培農家のなかには収穫する前に後片づけをすませてしまったところもあったという。
 ソラマメは連作障害が厳しい。その対策として土壌消毒剤や土壌改良剤を用いるのだが、それも効果がなかったということかもしれない。私も連作障害に悩まされ、栽培方法を変えてみたり、土壌改良剤を試みたりしたが、うまくいかなかった。いまは土壌改良剤も使っているが、少なくとも2年の空白期間を設けるとともに、ソラマメ以外のマメ類も作らないようにしている。ところが、今年の場合も、収穫前に樹が枯れてしまうとか、しっかり実をつけていない箇所がそこかしこにみられた。原因は連作障害のせいだという意見が多いが、春先の低温のせいだという人もいて、確かなことは分からない。
 病虫害と鳥獣被害も野菜の栽培を難しくしている。
 ソラマメでいうと、アブラムシがつきやすい。1つの株から何本もの幹が伸び、春先に花が咲くのだが、ちょうど実をつけ終るころになると、決まったように、一番上のやわらかい芽の部分に、アブラムシが発生する。アブラムシを見つけたら、その樹だけでなく、畑全体のソラマメの芽を摘んでしまう。すると、それ以上は広がらない。
 ところが、今年にかぎっては、早くからアブラムシがついた。まだ満足に実がついていないから、芽を摘むわけにはいかなかった。消毒することも考えたが、妻がそんなことをしたら人にあげられない、といって反対するので、それもできなかった。仕方がないので、ソラマメの1本々々を見てまわり、アブラムシを払い落していった。
 翌週に行ってみると、払い落としたはずのアブラムシがむしろ勢いを増している。こんなことをしても埒が明かないと思ったが、2人で何時間もかけて払い落としていった。3週間目になって、我慢もこれまでと思って芽を摘むことにしたのだが、そのときには、アブラムシは幹の下まで広がっていた。このままだと全滅しそうな気がするし、そうならなくとも、まともなものが収穫できるとはとうてい思えなかった。ところが、次の週になって妻と2人して驚いた、というよりも、目を疑った。アブラムシは1匹も残らず、まるで何ごともなかったように、ソラマメ畑から姿を消していたからである。

202106平嶋彰彦ph4-6V7A7642-bph4 サヤエンドウ。2021.04.04

202106平嶋彰彦ph5-6V7A7647-bph5 ブロッコリー。2021.03.04

202106平嶋彰彦ph6-6V7A7662-bph6 ジャガイモ。2021.04.04

 野生動物の被害はもっと深刻である。
 ハシボソガラスのカップルが毎日のように畑にやってくる。クワで畑を耕していると、平気で近づいてきて、掘り返した土から出てきた虫か何かをついばんでいる。見ていると可愛いのだが、影に隠れてやっていることは憎たらしい。ラッカセイも房総半島の特産だが、種をまくと、いつの間にか、ほじくってきれいに食べてしまう。カラスはどういうわけか網目模様が苦手だという。そこで種をまいたあとには、網もしく網状のものをかぶせておく。
 ソラマメはこれまでカラスの被害にあうことはなかった。ところが一昨年になって、芽を出したばかりのソラマメが食い荒らされることがあった。何がなんだか分からないので、近所の人たちに聞いてみると、このところ同じような被害が続いていて、犯人は間違いなくカラスだというのである。
 そこでソラマメも去年から種を蒔いたら網をかぶせるようにした。芽が出揃って2週間ほどすぎると、カラスは食べようとしなくなる。それを見計らって網を取り外すのである。種を食べるのであれば、とうぜん成熟したソラマメの実も食べる。とはいっても、被害現場をみると、空腹を満たすというよりも、遊び半分の気がしないでもない。収穫期の被害は播種期の被害と比べたら知れているので、いまのところは目をつぶることにしている。
 問題なのはタヌキである。タヌキがソラマメを目あてに、私の畑に出没するようになったのは、やはり一昨年からである。タヌキは一家で群れをなしているから、襲われたら壊滅的な被害になる。始末の悪いことに、動物除けの網で囲っても、すき間が少しでもあれば潜り込むし、そうでなければ穴を掘って侵入する。有効な安全保障は、動物除けの電気柵を張りめぐらすしか手立てがない。
 動物除けの電気柵を使うようになったのは、7年か8年前である。その年に初めてスイカを作ってみたのだが、スイカが突っつかれ、穴が空いていた。まだこぶし大の大きさで、見ると、少しも食べていない。近所で聞くとカラスの仕業だという。そこで、ホームセンターで防鳥網を買い求め、空からの侵入を防いだ。これで一安心と思っていたところ、一難去ってまた一難ということになった。
 というのも、あとから実ったスイカが食べごろになると、こんどは待っていましたとばかりに、タヌキに食い荒らされたのである。真っ赤なスイカの残骸を目にしたとき、がっかりするというよりも、自分の考えの甘さに情なくなった。野生動物の被害については知らなかったわけではない。どうするもこうするもなかった。衝動的にホームセンターに向かい、その日のうちに、電気柵をスイカ畑に張りめぐらせた。
 野生動物の悪党はタヌキのほかにハクビシンやイノシシがあげられる。ハクビシンはタヌキとちがって、高いところに登ることができる。針金の太ささがあれば充分だともいう。庭や畑にカキ・モモ・イチジクなど果物の木があるのだが、実が熟すとハクビシンが1つ残らず食べてしまう。イノシシが出没し始めたのも、最近になってからである。去年は猟師に頼んで1頭を撃ち殺している。サツマイモやサトイモを掘り起こして食い荒らすということだが、タヌキやハクビシンとちがって大型の野生獣である。狙われたら、私がこれまで使っているような電気柵では役に立たない。

202106平嶋彰彦ph7-6V7A8606-bph7 サツマイモ。2021.05.07

202106平嶋彰彦ph8-6V7A8629-bph8 ネギ。2021.05.07

202106平嶋彰彦ph9-6V7A9305-zph9 スイカ。2021.06.05

ph10--6V7A9346-cph10 サニーレタス。2021.06.06

 村を見わたすと耕作を放棄した荒地が年々増えている。私の子どものころは27軒あった家数も、いまは20軒足らずに減ってしまい、地元で暮らす大半が年寄りばかりで、子どものいる家はわずか2軒しかない。典型的な限界集落で、耕作放棄の原因は、農業人口の高齢化と後継者の不在である。歯止めのない耕作放棄の進行に一昨年9月の台風15号が拍車をかけることになった。農業用ビニールハウスのほとんどが被害を受けたが、建替や修復をあきらめた家が少なくなく、赤錆びた鉄骨の残骸があちこちで野ざらしになっている。後を継ぐ者がいないから、投資した資金を回収するまでの時間が足りないのである。
 私の家は辺鄙な田舎といっても、ぽつんと一軒家ではなく、集落の真ん中にあって、祭礼の幟を立てるような目立つ場所にある。住居とその前にある畑は道路からまるごと見えるから、荒れ放題にしておくわけにいかない。母親は80代後半になっても畑仕事を続けていたが、しだいに体力や気力の衰えが目立つようになった。私は子どものころから畑仕事をろくにしてこなかったし、野菜作りにも興味はなかった。ところが、さすがに見て見ぬりふりもしていられなくなり、少しずつ畑仕事を手伝うようになった。
 野菜作りを自分で始めてみると、片手間にやっていることだから、いい加減でもかまわないではすまなくなる。道路からまる見えだからである。先にも書いたように、みんなよく見ていて、朝早くからよく働くとか、上手に出来ているとかいわれる。年甲斐もなく、ほめられるとうれしくなり、ついついその気になる。反対に、ようすがおかしければ、注意をうながし、自分はこうしていると助言してくれる。幼友だちだから、嘘は少ない。
 宮本常一の名言がある。
 自然はさびしい。しかし人の手が加わるとあたたかくなる。
 このあとに「そのあたたかなものを求めてあるいてみよう」と続く。1960年代のTV番組『日本の詩情』(日経映画社)のナレーションである。
 耕作を放棄した田畑は、たちまちに草茫々の荒地に姿を変える。自然に回帰しようとするのである。自然とは人間の力の及ばない領域の総称といっていいかもしれない。私たちは人の気配の消えた風景に心を癒されることはない。まして、そこで生まれ育った人なら、なおさらのことである。
 だが、物事には始めがあれば終わりもある。
 これから5年もすれば、否も応もなく、私は80歳になる。常識的に考えれば、畑仕事はなんとかこなせる。とはいっても、車を運転して習志野と館山を往復するのは、体力的に難しくなるばかりでなく、はた迷惑な行為として嫌われるのはいうまでもない気がする。
ひらしま あきひこ

 平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき は毎月14日に更新します。

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月現在で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。

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