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平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき
第17回 2021年11月14日
その17 サトイモの花(前編)

文・写真 平嶋彰彦


 8月最後の日曜日、畑で刈り取った木の枝や雑草を燃やしていると、草取りをしていた妻が、サトイモの花が咲いているという。また何かの勘違いだろうと思ったが、そうではなかった。行ってみると、紛れもなく、サトイモが花を咲かせていた。花の形はミズバショウによく似ているが、色は白ではなく、鮮やかな黄色である(ph1、ph2)。
 サトイモの栽培を始めてかれこれ10年になる。花が咲くのは見たことも、聞いたこともなかった。うっかりしていて、気がつかなかった可能性もないわけでもない。
 狐につままれたような感じなので、とりあえず、写真に撮っておくことにした。自宅に買ったその日の夜、インターネットで調べると、いくつも報告事例が投稿されていた。サトイモの花が日本で見られるのは、たいへん珍しいことらしい(註1)。
 そこで手元の『広辞苑』でサトイモを引いてみると、こう書かれている(註2)。
 サトイモ科の多年草。原産は熱帯アジアで、世界の温帯・熱帯で広く栽培される。(中略)稀に夏、黄白色の長い仏焰苞(ぶつえんほう)をもつ、奇異な形の肉穂花序(にくすいかじょ)をつけることがある。雌雄同株。地下茎は多肉で塊茎、葉柄ともに食用とし、品種が多い。
 ふだん使っているもう一冊の『新潮国語辞典―現代語・古語―』をみても、サトイモの花はとりあげられている(註3)。国語辞典は私たち日本人の知識の在りようを示す指標の1つである。花が咲くのが珍しい現象であること自体は、かなり昔から知られていたのではないだろうか。「仏焔苞」の「苞」は、花(「肉穂花序」)のつけ根にでる葉で、花を保護するため、これを覆うのだという(註4)。「仏焔」はよく分からないが、なんとなく仏像の光背が思い浮かぶ。「焔」は炎のことだから、無量光の慈悲を意味するかもしれない。

202111平嶋彰彦_ph1ph1 サトイモの花。仏焔苞に覆われた肉穂花序。2021.08.29

202111平嶋彰彦_ph2ph2 サトイモの花。咲き終わった花茎が2本。2021.08.29

 サトイモは房総半島ならどこでも見られる畑の作物である。私が畑を引き継ぐようになって、それまで栽培していたセレベスから土垂(どだれ)という品種に換えた。というのも、サトイモはタネイモの周りにコイモがたくさんできるのだが、スーパーのものと比べ、どうしてこんなに粒が小さいのか、と妻がくりかえし不平を漏らすからである。
 ところが、品種を換えてみたものの、彼女を納得させることにならなかった。原因は別にあったのである。野菜作りの手引書を改めて読んでみると、サトイモは連作障害があるので、休耕期間を何年かおく必要があるらしい。マメ類の連作障害は知っていたが、なんということか、私の栽培する野菜の半数以上に連作障害があると書かれていた(註5)。
 わが国で歴史的に最も重要視されてきた栽培作物はイネである。イネは毎年々々同じ水田で栽培しても、連作障害は発生しない。しかし、畑の作物栽培にはその常識が通用しないというのである。そこで、手引書を参考にしながら、いわゆる輪作の栽培方法をとり入れることにした。畑を何カ所かに区分し、連作障害のある種類は、空白期間を3年とか4年とか設けて、周期的に作付けするようにしたのである。
 作物栽培の歴史は途方もなく古い。焼畑での耕作がその原初的な形態だろうと思われるが、畑作に連作障害のあることは、そのころから分かっていたのではないだろうか。福井県と岐阜県の境にある白山麓では、近代になっても焼畑による耕作がまだ続けられていた。宮本常一は1937(昭和12)年と1942年に現地を訪れ、聞き取り調査を行っているが、『越前石徹白民俗誌』のなかで、こんなふうに報告している。(註6)
 先ず前年の土曜に芝や草を刈って、10日ほどそのまま日にかわかして火入れをする。その翌春、もえさしの木など二か所にあつめて焼く。また前年刈っておいたカヤをその上にまいてやく。こうして一年目ヒエ、第二年アワ、第三年ヒエ、第四年目マメをつくってゆく。(中略)このようにして長く作る所で七、八年、早ければ三年もつくり、その後二十年なり三十年なり山にしておいて、再び焼畑にするのである。
 焼畑では肥料は使わない。何年か耕作を続ければ、土地はやせていく。そうなったら、耕作を放棄して、自然にもどす。30年もすれば、自然はもとの姿に復活する。
 見落とせないのは、焼畑での耕作期間中は1年毎に作物の種類を替えていることである。その理由の1つは連作障害を避けるためではなかっただろうか。宮本常一の報告のなかに、サトイモは見あたらないが、佐々木高明の『縄文文化と日本人—日本基層文化の形成と継承』には、焼畑の代表的な作物としてサトイモが取りあげられ、かつ連作障害の回避策としての輪作への言及がなされている(註7)。
 焼畑で伝統的に栽培されてきたおもな作物は、アワを筆頭にヒエ・ソバ・シコクビエなどの雑穀類、ダイズ・アズキなどの豆類のほか、サトイモ(タロイモの一種)やムギなどがあげられるが、これらの作物は伝統的な焼畑の輪作体系の中に組み入れられ、典型的な《雑穀・根菜型》の作物構成を有していた点に大きな特徴があった。
 サトイモは古くから日本の各地で栽培されてきたとされる。では、それがいつごろかとなると必ずしも明確になっていない。しかし、サトイモが焼畑の典型的な栽培作物の一つで、その輪作体系のなかに組み入れられていたというのであれば、渡来の時期はサツマイモやジャガイモよりも桁違いに古く、あるいは稲作以前までに遡るのかもしれない。

202111平嶋彰彦_ph3ph3 トマト。2021.06.26

202111平嶋彰彦_ph4ph4 カボチャ。2021.07.18

202111平嶋彰彦_ph5ph5 収穫した夏野菜。2021.07.18


【註】
(註1) 『愛媛県農林水産研究所 HP』「サイトモの花を見たことがありますか」 11_satoimo4_282_1.pdf (pref.ehime.jp)。/『JA尾張中央 HP』珍現象!サトイモの花咲く 十数年に一度の開花 | JA尾張中央 (ja-owari-chuoh.or.jp)/『GreenSnap HP』 里芋(サトイモ)の花言葉|種類や意味は?花を咲かせる時期は?|🍀GreenSnap(グリーンスナップ)。『精選版 日本語大辞典』(小学館)
(註2) 『広辞苑 第二版』(岩波書店)
(註3) 『新潮国語辞典―現代語・古語―』(新潮社)
(註4) 『精選版 日本国語大辞典』
(註5) 『カラー版 家庭菜園大百科』(板木利隆、家の光協会)
(註6) 『越前石徹白民俗誌』「生活と労働」(宮本常一、三省堂出版、1949)。文中にある「二か所」は疑問で、正しくは「一か所」と思われる。
(註7) 『縄文文化と日本人—日本基層文化の形成と継承』「第三章 成熟せる採集社会と初期的農耕」(佐々木高明、講談社学術文庫、2001)
ひらしま あきひこ

・おまけ
6V7A1106-bいつの間にか秋が深まっています。
畑ではソラマメが芽を出し始めました。
添付ファイルの写真をご覧ください。
カラスに食べられないように網を敷いています。

平嶋先生から届いたソラマメの画像です。
画像はクリックで拡大します。


 平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき は毎月14日に更新します。今回は前編・後編と2部に分けてご紹介します。後編は12月17日に掲載します。

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。


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