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井桁裕子−私の人形制作
第7回 「素材の話・焼き物編(2)」 2010年2月20日
後日、Mさんもやっぱり命名秘話に感動したのか、あるいは単にアフターサービスと窯の使い勝手の良さに安心したのか、「極楽窯を買うことにした」と連絡がありました。
アメリカ製の窯なら4つも買える金額でしたが、私もこの窯が欲しいという気持ちになっていました。
「しかしそれにしても、1800円ほどで買ったテラコッタのせいで、最終的に42万円の窯購入というのはどうなんだ.........いやいや、そうじゃない、私は桜貝のように美しいビスクドールを焼いて、42万なんていずれはもとを取るのだ!」

私はその頃まだ会社員で、貯金が無くなっても毎月収入があるので困ることはなかったのです。私とMさんは仲良く極楽窯を購入しました。しかし、そんな思い切った決断の後、私は思わぬ事態を迎えました。あろうことか、型抜きで作品を作る作業そのものが嫌になってしまったのです。型を作ったきり、そこから抜いて焼く作業が面倒くさくてたまらず、まるでやる気が出てこない.....。自分で自分が信じられない気がしました。目の前に、テレビのお笑い番組のテロップみたいに「失敗」という大きな文字が浮かんで流れてゆきました。仕方ないので、私は石塑粘土を乾燥させる乾燥機として窯を使い、1300℃まで出るせっかくの窯はその実力を試されることもなく、いつも60℃に設定されていました。これが2002年のことでした。

その後2003年に個展、その翌年には「東京都現代美術館の球体関節人形展」と、よそから見れば順調に作品を発表していったように見えたことでしょう。
しかし、個人的実情としては、かなり八方ふさがりな状態でした。

私が社会人になった年は、いわゆるバブルの崩壊が起こった年です。その後は「失われた10年」と呼ばれる長引く不況で、日本中の会社のシステムが変わっていきました。あちこちで「成果主義」が導入され、社員同士の成績競い合いが奨励されるようになりました。正社員が派遣社員に置き換えられ、工場での派遣切りなども起こり始めました。「チーズはどこへ行った」という絵本を、いい大人の企業経営者達が本気で読みました。そういう流れの中、私のようなマイペースな人もOKだった穏やかな職場でも様々な変化が起きていったのです。

私は職場で肩が激しく痛み、頭痛がして熱を出すようになりました。たびたび過呼吸の発作を起こし、めまいと吐き気が収まらずに救急車で運ばれたこともありました。
なぜかあの同時多発テロと同時に(?!)私の脳天にも500円玉より大きなハゲができました。仕事が特にきつかったわけではなく、自分でも訳がわかりませんでした。結局、ついに傷病手当をもらいながら休業するという事態にまでなりました。
休んでも休んでも、職場に出ると私はすぐに具合が悪くなり、とめどない憂鬱で何も手に着かなくなってしまいます。
2003年の個展は、病気休業中のことだったし、「球体関節人形展」は職場では誰にも言えない秘密の参加だったのです。

2004年4月、私はとうとう、13年在籍した会社を辞めました。
窯を買ったときには、定期収入のない人生を歩み始めるなどとは予想さえしていませんでした。

そんな折に、またさらに悪いことがいくつも重なって起こりました。一つ一つ書くと長くなるのですが、とにかく自分の日常を支えていたいろいろなことが次々失われてしまったのです。
ニュースでは、アメリカによる中東での空爆が続いていました。
人間の体が、今この瞬間にちぎれて吹き飛んでいる.....それはたぶん、この部屋のすぐ外で起きているのです。
私は、自分が何をやっているのかわからなくなってしまいました。何か作る気力どころか、食事をするのさえおっくうでした。朝日も昇らないうちに目が覚めて、一番良く無いことだけしか思いつかず、そんな時間に話し相手もいるわけがない。そういう日々が何ヶ月も続いて、私は実に消耗しました。

こんなときこそ、何かしなくては。しかし、もう何をする集中力もありません。私はふと、あのバカバカしいテラコッタのかたまりを思い出しました。

それを引っ張り出してくるだけで、その日は力尽きてしまいました。

やがて明け方、悪魔がやってくる時間です。私は、枕元に置いたテラコッタに手を伸ばし、その黄色い土で顔を作りました。
楊枝で小さな穴をあけただけの目、ひっかいただけの口。埴輪どころか、こんな小さなものを作るだけで、せいいっぱいだったのです。

その日から、私は毎日のように明け方、テラコッタで小さな人形を作るようになりました。だんだん、細かい作業もでき、根気が続くようになっていきました。しだいに作る内容も、犬や猫を抱いていたり、小鳥を掴んでいたり、にぎやかになっていきました。

そしてある日、たまった人形達を、ついに焼くことにしました。

私の極楽窯は、この日を待っていたのでした。部屋は窯のうなりと電気の熱に満ちて、私は緊張でそわそわし、何度も耐熱ガラスの覗き窓から中を覗きました。

翌朝、冷めるのを待ちきれない思いで窯をあけると、黄土色だった土は見事な煉瓦色に焼き上がっていました。
にんじんをたくさん入れたクッキーのように、甘い、美味しそうな色でした。

その頃に焼いたテラコッタは、とても人に見せるようなものではありません。しかし、一枚だけ写真を載せます。
2008年からは、憧れだった結晶釉も使うようになりました。未だ失敗の多い焼き物ですが、窯とあの時のテラコッタ購入は失敗じゃなかったなぁ、と思うのです。
(いげたひろこ)

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