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井桁裕子−私の人形制作
第13回 「肖像は謎とともに・意味」 2010年6月20日
2008年7月30日、金田さんの肖像を塗り直した私は、「休暇」を観るために六本木の映画館に行きました。

映画は、拘置所に勤務する、孤独な刑務官・平井(小林薫)が主人公です。
見合いをし、子連れの女性と家庭を持つことを決めた彼は、まだぎこちない二人と打ち解けるために旅行に行きたいと考える。しかし彼は母の葬儀などで休みを使い果たしてしまっていた。刑務官は、死刑の執行の際、囚人の断末魔の身体を支える“支え役”を務めれば、その精神的な苦痛と引き替えに1週間の休暇が与えられることになっている。披露宴の直前になって、彼と日頃交流のあった一人の囚人の、死刑執行があると告げられる。
その死刑囚・金田(西島秀俊)は殺人者とは思えない静かな男で、写真を見ながら鉛筆で精密な絵を描くのがとても好きなのだった。平井は新しい家族との関係を築くために、その役を引き受けて休暇を取ろうかと考え、迷う....。

映画「休暇」HPhttp://www.eigakyuka.com/
ロードショーのチラシ

映画は、死刑制度への批判などの政治的主張はしないつもりのようでした。
しかし、その重さを突きつけてくると言えます。死刑囚の独房のドアのわきには、病院の個室の入り口と似たような名札がかかっています。私は、見慣れた名前がそこにあるのを見て、目を疑いました。

「金田真一」

それはここ一週間ほど、塗り直し作業をしながら毎日追憶した人の名前でした。
これに気がついたとたん、映画は突然もとの意味からはずれ、スクリーンの中は鏡の国になりました。

かつて金田さんが制作した「鐘の牢」という「音響彫刻」は、人はみな自分の肉体に閉じ込められた死刑囚だ、というメッセージが込められたものでした。その牢獄の中から力いっぱい鐘を打ち鳴らした金田さんは、あの時すでに、死を見据えていたでしょう。
次々に不思議な対称が見えてきました。
映画の中の「金田」は、刑務官・平井の肖像を描いて彼に渡していました。
現実では逆で、肖像を描かれたのは金田さんで、病床の彼を見舞ってスケッチしたのは私の方でした。映画では「金田」の死刑執行に付き添うことで平井は「休暇」を得るのですが、私は逆に、自分の職場を休んで長期療養したおかげで金田さんの肖像を完成できたのです。死刑囚・金田の描くデッサンから彼の生真面目さが伝わってきます。顔も似ていないし、金田さんとは全然違うのに、私は映画と現実を二重映しに見ていました。
「映画でも金田さんが死んでしまう...」
死刑囚はついに白い目隠しをされました。

だめです、その人を殺してはいけません!私の目の中で画面はぼうっと崩れて流れました。
彼は、映画俳優の姿を借りて、もう一度死刑囚を演じたのでしょうか。
映画の中の「金田さん」はここでもまた、なすすべもなく息絶えてしまったのでした。

それから10日後、私は初めて浜松へお墓参りに行きました。
昔の写真を見せて頂いて、お話しを伺っていても、もう金田さんの気配は感じられませんでした。お葬式の時から4年たってようやく、私は本当にはっきりと、彼はいなくなってしまったのだと思いました。
古い松並木を背にして小さな砂丘を越えると、美しい波打ち際がありました。空と海を乳白色に溶かしながら、夏の夕日がゆっくり沈んでゆきました。



10月。
なかなか連絡をくれないC氏に電話をすると、香港クリスティーズへの参加は中止にした、とのことでした。9月15日に起こったリーマンショックの影響で、美術市場も打撃を受けるはずという情報が飛んだからです。
私はC氏に合わせて残念そうにしながら、内心ほっとしていました。何も予定はなくなったけれど、塗り直された肖像は、いつでも展覧会に出せるようになっているのです。
「ときの忘れもの」で個展をやりませんか、というお話を綿貫さんご夫妻から頂いたのは、その2ヶ月後、2008年12月のことでした。

その展覧会が今年の3月で、これは皆様ご存じのとおりです。
そしてその時、肖像は出会うべき人と巡り会い、ついに安住の地を得ました。

この時、私は肖像について残された「本当の意味がわかった」という言葉の謎を、もう問い続けなくてもいいのだと悟りました。



2010年、5月17日。
金田さんの命日がまた巡ってきて、今年は七回忌にあたります。
ちょうどその日、私は今書いているこの文章を書き始めようとして、「休暇」の公式HPを調べていました。

HPを見て、これには原作があったのだ、と改めて気がつきました。私は近所の図書館へ行き、原作の小説「休暇」を探しました。それは全集の中に入っていてすぐに見つかりました。
「吉村昭自選作品集・第15巻」。

本を開く指が震えました。
小説の中には、どんな「金田さん」が隠れているのだろう、と思ったのです。
命日の今日、私はまた彼に出会えるのだろうか?

ところが意外なことに、本の中に彼は出てきませんでした。原作の登場人物には、だれにも名前がつけられていなかったのです。そればかりか、死刑囚が絵を描くとか音楽を聴きたがるという芸術家肌の描写もありません。
私を惑わせた挿話はどれも、映画化される際に創作されたものだったのです。つまり「死刑囚・金田」は、映写機の光の中だけの存在でした。あの夏の私の追憶に応えるためにのみ現れたかのように。

あの映画は多くの方達に大切にされ、様々な思いを寄せられたことでしょう。
しかしそこに、私が特別な「意味」を見つけるなどということは、偶然にすぎません。

多くの心に共有されながら一人のために存在する、そういう作品を作れたら素敵だと思いました。
しかし、それは偶然のようでいてなお、適当にやって得られるようなことではないという気がします。

(いげたひろこ)

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