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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第18回 「ポーランドへの旅」 2010年12月22日
前回は奈良の話を書きましたが、実はあのときがポーランド帰国直後で、おみやげのお菓子なんかを配ったりしていた頃でした。
ろくな準備もできずあたふたと飛び立ってしまい、帰って来てもずっとあわただしく、振り返る時間もなかったこの一ヶ月でした。
ようやくこれを書いて落ち着くことになりそうです。

ポーランドで行われた展覧会は「Simon Yotsuya and friends or Bermer in Japan(四谷シモンと仲間達、または日本におけるベルメール)」というタイトルで、10月1日から31日まででした。
展示内容は、シモンさんの人形の実物が2点。
俳優としての若き日の四谷シモンを撮影した細江英公の写真、篠山紀信が撮ったカラーの作品写真、状況劇場のポスターなどが壁面を埋め、日本にベルメールを紹介した人として澁澤龍彦の資料が並べられました。
そしてエコール・ド・シモンの古参の生徒作品(私は古参じゃないのですが)が12人分飾られました。



会場写真はこちらに。
http://www.wiadomosci24.pl/artykul/
wystawa_pt_simon_yotsuya_bellmer_japonii_na_slasku_162310.html#poprzednie

こちらでは動画が見られます。
http://vimeo.com/15824798

主催は、ポーランドのシレジア地方の文化・芸術を盛り上げ内外に紹介していく目的の文化団体、Ars.Cameralis (アルス・カメラリス、略してArs.cam)です。
Ars.camはKatowice(カトヴィツェ)というこじんまりした地方都市の外郭団体で、やっている事業内容の豊富さに比して、その本部は古い素敵なビル(銀座の雑居ビルより小さい)の1フロアにおさまるほどの事業体でした。実に少数精鋭の団体で、たとえば私とメールのやりとりをしてくれていたクバさんという青年が、同時進行するいくつかのイベントのいろんな国から届くあらゆるメールを、一人で処理していたりします。

今回のこの展覧会の企画を提案し、学芸員の役割を果たしたのはS?awomir Rumiak(スワヴォミール・ルミャック)さんという若いアーティストでした。
彼は何度か日本で展覧会もやっていて、私が最初に出会ったのは2004年のイル・テンポでの個展でした。
当時そこの敏腕ギャラリストだった大河原良子さんが私と彼を引き合わせてくれたのが、私にとってはこれらすべての始まりだったのでした。
私は日本では彼を「ルミャックさん」と呼び、本人と話す時は「スワベック(S?awek)」と呼んでいて、時々自分で混乱します。
ちなみにシモンさんのマネージャーで今回大活躍したS氏は、このルミャックさんに密かに「ルミちゃん」というあだ名をつけてかわいく呼んでいましたが...。

(画像はS?awomir Rumiak作品集「The Love Book」より)

ポーランドというと、陰鬱で幻想的、複雑でシリアスな文学や映画の印象があるような気がします。
絵画作品でも、スタシス、ベクシンスキーなどのファンが多いのではないでしょうか。
(スタシスは、調べたらリトアニアで生まれた人でしたが。)
ベクシンスキーなんて好きな人はもうあの不気味さがたまらんという事なのですが、現在の一般のポーランド市民とか街の空気にそういう危険なイメージをはぐくむ要素は感じられません。
(そんな街があったら怖いですが...。)
人々は明るく、家族を愛し隣人と助け合って暮らしている様子が伝わってきます。滞在中は実にいろいろな場面でそれを実感しました。
あちらで知り合ってお世話になった日本人留学生・Nさんによると、逆に、ポーランドの若い人も日本のイメージにギャップを感じているらしいのです。
「なぜ年間3万人以上も自殺者がいるの?」と、いったようなことを、ちょっと気遣わしげな小さい声で尋ねられたりするのだそうです。
ご多分に漏れずこちらでも日本のアニメや漫画が大人気なのですが、そんな愉快な日本でどうして?と思われているのでしょう。

(画像はベクシンスキー)

展覧会の場所はシレジア美術館とギャラリー・クロニカの2カ所でした。
シレジア美術館ではかつて、地元の作家であるハンス・ベルメールの作品を展示したことがあり、今回その同じ部屋に四谷シモンの作品が置かれるという趣向だったのでした。


(画像はシレジア美術館とクロニカ)

〜〜
さて、そんなポーランド・カトヴィツェでの四谷シモン展だったのですが、大成功のうちに終了しました。
もうシモンさんたちはオープニングイベントに参加し、帰って来て、ブログに「行ってきました!」という話が書かれたりしていました。
そしてマネージャーのS氏はさっそく「報告集」を書き始めていました。
S氏はフランス文学などの研究者であるため語学に堪能で、現地においても人々との交流に欠かせない存在だったようです。
イベントでのスピーチやギャラリートークでは、澁澤龍彦のサド裁判の話を三島事件と対置して話すなど、当時の日本の社会状況とともに説明して、実に的確な紹介をされたとのこと。
大がかりな準備をし、来場者も多かったのですが、会期はほんの一ヶ月。
あとは片付けを残すのみというところで私はその会場に向かって出発したのでした。
Sさんから展覧会「報告集」の書き始めの部分だけ出発前にメールで頂いていたのですが、私はあまりに忙しくて読む時間がありませんでした。
....丸善の展示、奈良の展示、友人の結婚式、そして「ハーメルン」の人形....そんな10月は休む間もなく日が過ぎて、荷造りができたのは出発の朝でした。

10月31日。
プリントした「報告書」を日本海上空あたりを通過しながら読み、私はどんどん不安になっていきました。
仕事は最初の3日で終わってしまうのに、なんだかつい勇んで10日も滞在することにしてしまったのです。
Sさんのように言葉ができれば、現地でもうまくいくのでしょうが、私は一体何をしに行くんだろう!?と急に思い始めたのです。
何か知りたいことがあっても英語さえあいまいだし、移動するにも交通機関をどう利用するのか...。
山手線や新幹線のような便利な電車はないので、きちんと下調べしてから動かないといけないのです。
しかも間抜けだったのは、現地でわからないことを尋ねたりして頼ろうと思っていた日本人のMさんの名刺を、私は忘れてきてしまったのでした。
自分のお金で行くのなら、多少無駄の多い旅行になっても自分の勝手でいいのですが、今回はArs.comが滞在費も出してくれるというのです。
ただなんとなく「行きたかったから」でいいのだろうか。あちらでひどく迷惑をかけたりはしまいか。
ちょっと図々しすぎたんじゃないだろうか......。
飛行機が飛んでしまってからそういうことを考え始めてもまったくどうしようもないわけですが、私は後の祭りとなってからあらゆる可能性を探して盛んに悩む癖があります。
遙か広大なロシアの大地を眼下にして延々と越えていくモスクワまでの9時間半、くよくよする時間はたっぷりあったのでした。



何年か前、世界中のあちこちへ旅をした経験のある、某F先生の集まりによく参加していた時期がありました。
F先生はもう50代で、あちこち放浪したのはずっと若い頃のことですが、今もニースに別荘がありフランスが大好きなのでした。
私が羨ましそうにしていると見たのか、そのF先生が言うには、そんな世界旅行は何もかも無駄だったというのです。
「本で読めば同じだったね。まあ、行ったからそう言えるというのはあるけど、行ってみてわかったよ。本で読めばよかった。無駄だったね!」
シニカルな方なので、ロマンティストだった自分が金に飽かせて実現した「冒険」をあざ笑うことで、旅にあこがれる私の気分を皮肉ってみせたのだと思います。



私も、「あこがれのポーランド」に出かけたあげくに、そんなことを思ってしまったらどうしよう....。一生に一度の機会に違いないのに。
しかし、一つだけ言えるのは、フランスはもちろん、紛争地帯やジャングルの奥地についてだっていろんな本が出ているのですが、カトヴィツェのことはまだ日本では情報がないのです。
だから少なくとも私は「本で読めばよかった」と言える状況にはないのです。

唯一の頼りは、「旅の指さし会話帳・ポーランド」(情報センター出版局)。
しかしこの本は、本当に役にたったのでした。
(いげたひろこ)

(次回に続く。)

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