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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第23回 「『升形山の鬼』3月」 2011年5月20日
2007年3月5日、私はいよいよ吉本大輔さんの「人形」制作に取りかかりました。

頭だけは先に作り始めていました。眼球はかねてから注目していたシリコンの特注品を頼むことにしました。
しかし、肝心のボディが作り始められなかったのです。
1月から3月にかけて別の作業をしながらずっと考えていましたが、方針が定まりませんでした。
あのすばらしい肉体をただ見たとおりに作ろうとしても、自己満足にさえならないことがだんだん判ってきたのです。
かといって必然のない「デフォルメ」であの本物の生命の美しさを損なうことも、考えられませんでした。
「肖像」だからといって舞踏の中のポーズや、使われる衣装などをそっくり描写してしまうのもまずやめようと思いました。
吉本大輔さんご自身が表現者なので、それらの特徴とみられる全ては実は「作品」であって、それをただ尊敬してそっくりに作るのでは寄りかかりすぎです。
もしそれで素晴らしい造形ができあがったとしたら、それは「吉本大輔・等身大フィギュア」と呼ぶべき作品になるでしょう。
それが悪いかと言えば悪くはないけれど、私はそういう事がしたいのではないのでした。
また、人体の凄まじくリアルな造形といえば、それこそ松本喜三郎などの生き人形を思い出します。
あのようなお手本を目指して努力するのも悪くはない気がします。
しかし私がやりたいことはやっぱりそういう道ではないのでした。

(写真は2007年4月15日撮影)



そんな堂々巡りをしているとき、なんとなくスケッチブックを開いたところ、前に描いたスケッチが出てきました。
12月24日、麻布die pratze。
そのなかに動きの瞬間をはっきり思い出せる線がありました。
腕を伸ばしゆっくりと指先を突き出す、美しくも不気味なポーズでした。
何も無い虚空を意味不明に力強く指差す姿は、誰にも見えない何かを見てしまいそれを無視できない時の人間のように思ったのでした。

私がまだほとんど今の私では無かった若い頃、夜更けの新宿の雑踏で、すれ違おうとした老女に突然止められて強引に一枚の紙切れを渡されたことがあります。
路上生活をしていると思われる人でした。灰色の乱れ髪だけを覚えています。
紙切れには何かまったく意味の分からない異様な言葉が強い筆致でたくさん書かれていました。
その頃私には家庭があって、人の奥さんをして暮らしていたのでしたが、その人生を踏み外して行かざるを得ない感じがしていたのでした。
その紙切れの文字列を見た瞬間、どうしても自分はこのまま今の生活から飛び降りるしかないのだと、そのことがここに書かれてあると思ったのです。

私はなぜかスケッチを見ながらその分岐点のような一瞬を思い出しました。
そして、あの舞踏の中のポーズは、世の中でいろいろな形で起こる無関係で意味不明の示唆、たとえば見知らぬ人から何か謎の書かれた紙切れを渡されるような事柄全般を表していたのだと、そう思ってしまったのです。
こんなことを書くと「宇宙から電波が来て自分を操っている」といった妄想のたぐいを想像されるでしょうか。
しかしもしその感じにリアリティを持つなら、それは本人にとっては事実ですから、それに従うか拒否するか自分の知性で決めて進んでいくしかありません。
私は、この「指を差す形」を作ることにしました。
長い長い腕が、とても遠くを意味するのです。そして力強い指先。
動きを限定しないために、その腕と上半身だけを見せようと思いました。
腕はどこを差しているのか。
大きな支柱などを作って無理をすれば水平に腕を伸ばすこともできるのでしょうが、あまりそういう力業はしたくない気がしました。
関節をつければ指先はきっと地球の重力の方向をまっすぐ差すはずです。
体の向きがどうなろうと、指先は常に一点を差していて、変わらないのです。

近いうちにモデルとしての撮影をさせてもらわなくてはならないと思いましたが、とりあえずネット上で発表されている写真を集めて大量にプリントアウトしました。
この作品を作れば展示のメインになる、と思いました。
展覧会は3ヶ月後の6月とすでに決めてありましたが、なんとかぎりぎりでこれを間に合わせようと決め、やりかけの他の細かい作品は片付けてしまったのです。





次回に続く。
(いげたひろこ)

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