ときの忘れもの ギャラリー 版画
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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第27回 「流れ星の銀河」 2011年9月20日
先日、とある工芸の勉強会のお誘いを頂き参加してきました。
仲介になってくれたのは、鉄の造形作家であり、ときの忘れものでもおなじみの大河原良子さんです。

それはすでに6回を数える勉強会で、作品を持ちよって先生にお話をお聞きする講評会の形をとるものでした。
あとで主催されている方にお聞きしたところでは、工芸作家が自分自身にもっと問いかけをしていけるよう美術の意識と工芸の意識の違いを論じたり、公募展への出品を薦める事によって、つい日々の仕事として小さくまとまりがちな意識を改革する機会にしたい....といった意図で、採算度外視で続けておられる大切な会とのことなのでした。

講師の先生は人形について話を触れられたおり、何が人形なのか定義付けは難しく、結局、人形と呼ばれるものが人形だとの結論に達したというような事を述べられました。
これは本当にその通りで、人形とは何かというのは、具体的なそれらと出会う時に繰り返し現れる問いだと私は思ったのでした。

今更ながらですが、そもそも人形は「工芸」という分野の仲間だったのでした。
その件について考えた私の中の最初の記憶は、15年前に遡ります。



1996年早春、品川のO美術館で「ひとがた・カラクリ・ロボット」展という伝説的な展覧会がありました。
私の手元にその貴重なカタログがあります。
その最初の「ごあいさつ」にはまず以下のように書かれています。

『人形は、通常の美術の中では、立体でありながら、彫刻とは異なり、工芸の一つとして考えられています。(中略)日本の近代美術は、そのような作り物から西洋的な造形である彫刻へと脱皮してゆく過程と考えられ、人形は「工芸」といういわば美術の中では傍流の位置で扱われてきたのです。』
つまり、もともと美術>工芸>人形....というか、人形は傍流の中の傍流でありながら特殊なその変遷の多彩ぶり....といった流れで話が始まっているのです。

しかし、かつては工芸こそが日本美術の代表選手だったといいます。
19世紀、ウィーン万博などで日本の工芸美術品が大反響を巻き起こしました。
ところが明治期を境にその工芸が「美術の中で傍流」とされるに至ったらしいのです。
工芸は、近代の芸術観に照らされ、工業化の波に襲われ、何かとても難しいことになってしまったようなのです。

問題は人形で、こちらも卓越した作家が居たにもかかわらず、その地位が公に認められる場がなかったのです。
帝展に新たに第4部として美術工芸が加えられたのは、ずっと時代も下り、昭和の初めでした。
ここにいざとばかり、久保佐四郎という著名な人形師が勇んで出品し、落選します。
その理由は、専門の審査員もおらず、ほかに人形を出した人がいなかったので判断に困ったから、というようなことだったらしいです。

(写真:久保佐四郎作「おんど」「人形歳時記」より転載。)

しかし昭和ヒトケタ代の人形界は、初の人形学校として「日本人形研究会」が発足し、竹久夢二や中原淳一などの大正ロマンの画家も続々と創作人形の展覧会を企画し.....
これら諸々を総称し「人形芸術運動」と呼ばれる動きとなって盛り上がりを見せて行きます。
そして、ついに昭和11年。ようやく平田郷陽や堀柳女などが帝展に入選しますが、賛否両論の議論が起こります。
せっかく晴れて官展で「美術工芸」の仲間入りを果たした伝統人形の世界....。
ところが、この年は2.26事件の起こった年でもあったのです。
人形師たちの運命も、迫り来る軍国の時代に飲み込まれて行ったのでした。



以上のような歴史を背負って.....というわけでは全然なく、誘われるままに参加した私だったので、人々の後ろに陣取って判らない事をこっそり大河原さんに尋ねたりしていました。
やはり工芸の作家は素材そのものが好きだから、美術の作家とはそこが違うよね、とのこと。
「素材そのものが好き」の第一人者はまず大河原さんなのでは、と私は密かに思いましたが....人形の場合いろいろな素材を組み合わせる事が多いのに、なぜ工芸的なのでしょうか。
素材問題は人それぞれで、たとえば布に執着される方は布でしか作らないといったこともありますが、そういう話ではない気がします。

現代美術ではコンセプトだけ作家のもので、肝心の(?)造形を外注したりするのは普通の事です。
なので私は、その方面の方から「これ、人形も自分で作ったの?」と聞かれる事があります。
このあたりがなかなかデリケートな問題なのではないかと思います。
この近辺を掘って行くと何か出るように思いますが、夏バテ後半戦の私にその体力はありません。
(ちなみに、私の考えている「外注さん」とは、作品に名前を出してもらえないという所が分かれ目です。「職人さん」はもっと個人として尊敬されます。)

とはいえ、以前、四谷シモンさんが言われたことを思い出すと、もうそんな事はいいじゃないかという気持ちにもなるのです。

 ずっと古くから変わらない「人形、ヒトガタ」というものが世界中どこにもずっとあって、それは変わらずにずっと永いことあり続けて....
 ただ、そこに関わる人間だけが、入れ替わり立ち代わりして......でも、人形ってものは変わらなくて.....

そんなようなお話でした。
入れ替わり立ち代わり、「永遠の人形」に束の間まつわって消えて行く、流れ星のような人間たち。
それは作る人ばかりではなく人形に惚れ込んだこの世のすべての人の事で、その中にシモンさんもいて、今はこうして輝いている....
そう思うと何か切ないような気持ちになったのでした。
以来、私の脳裏には流れ星でできた銀河のような風景があるのです。

たとえば工芸でも、ガラスならガラスにこだわって惚れ込んでしまう、そういう人々の銀河があるのだろうという気がします。



そんな意味合いで「鉄の銀河」に属する大河原さんに、モデルになって頂いた人形を昨年発表しました。
鉄は血液をも連想させます。この巨大な心臓は鉄でできているのです。
その重量で心臓は腹部にまで下がって子宮の機能も兼ねているのです。
しかし、そんな恐るべきものを抱えて生身の人間が耐えられるはずはなく、彼女の頭蓋骨は内から突き上げる圧力によって、すでにちょっとひび割れを起こしているのです。
この作品の本物の鉄の部分は背中からつけられた優美なラインを描く支柱で、ここはご本人の技術がしっかり活かされているという、素敵な作品です。





この場をお借りしまして宣伝をさせてください。

9月29日から10月9日まで、都内で大河原良子作品展「Visions of Mirrors」があります。
詳しくはこちらを。
http://www.characan.com/sturgeon/info.html
また、私も9月28日から10月4日まで、東京・丸善の「第6回 人・形Hitogata展」に作品を出しています。
もうひとつ、「Kei-doll」の石川慶さんの舞踏公演も10月1、2日の夜にあります。
詳細はまとめて、私のHPの「Welcom」ページにありますので、よろしかったらごらんください。
http://web.me.com/naranja_toronja/Site/Welcome.html
〜〜〜
参考文献:
*「ひとがた・カラクリ・ロボット」展-ひとはひとをどのようにあらわそうとしたのか- (O美術館、1996年)
*「アヴァンギャルド以降の工芸「工芸的なるもの」をもとめて」北澤憲昭 (美学出版、2003年)
*「人形歳時記 雛屋 下町 人形ばなし」小林すみ江 (婦女出版社 平成八年)
(いげたひろこ)

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