井桁裕子のエッセイ−私の人形制作 第35回 「Self portrait doll と金木犀」4 2012年5月20日 |
「Self portrait doll 」を買いたいという連絡をくれたN氏は、購入のための条件として作品にリアルな性器を作って欲しいと私に言いました。
それはそれでまあいいかと思った私は、作品を丁寧に手直しして、N氏に受け渡すことにしました。 その引き渡しの前に、マリオ.A氏に撮影をしてもらったのが2001年の10月のことでした。 それ以来、マリオさんと、ゴールデン街の雇われマスターのK君、写真家志望のPさんと、毎週K君の出勤日である水曜日にバーで会うのが当時の習慣になっていました。 K君が人形の性器部分の「モデル問題」について悪のりしてやたらに追及してくるので、私は「異性のだったら恋人の人数分だけ見られるだろうが、同性のはそういうわけにいかない、そんなの当たり前だ」と返事をしました。 K君はその返答に妙な解釈をつけて、私に同性のプライベートゾーンをたくさん見る機会を提供する為に、ぜひみんなでストリップショーを観に行こう、と言い出しました。 この話に目を輝かせて喜んだのはなぜかPさんでした。彼女は、鳥肌実や電撃ネットワークなど過激な芸人達をこよなく愛する、クレオパトラ似の謎の美女でした。 ややあきれつつも、一人ではなかなか行かれない場所だと思うと私もやはり行ってみたい気がしました。 PさんとK君が諸々調べてくれて、ツアーが決まりました。 まるで遠足に行く子どものように屈託の無い一同だったのでした。 まずは渋谷の道頓堀劇場に行くことになりました。 料金は、女性はかなり安かったのを覚えています。 男性が二人分払っても懐の傷まない金額にされているのでしょう。 お客同士の交流は無く、場内はとても静かです。 そんな中、嬉しそうな外国人と変なファッションの兄ちゃんと若い女性二人という4人連れはひどく悪目立ちしている気がしました。 営業は昼間の早い時間からやっていて、一度入ったら終了までそこで過ごすお客さんも少なくないのだそうです。 一人ずつのステージが終わって最後に総出演のミュージカルのような演目があり、このときは「ターザン」というのをやっていました。 それは「女ターザン」の成長物語でした。 彼女は森の動物達と戯れながら暮らしていますが(なぜか白いワイシャツを着て男装している)、やがて自分の体が女性らしく成長して行く事に悩み始めます。 飛び回るには邪魔な膨らんだ胸にもいらだちを感じます。 そこへ、やさしく美しいジェーンが現れます。彼女は女性としての悦びをターザンに教えます。 ジェーンとの愛に健やかに性を謳歌し始めるターザン。その目覚めを祝って森の動物達もみんなで踊って物語は終わります。 その心の解放の表現として、ターザンははちきれそうだったシャツの胸のボタンを誇らしげにぱっと開き、輝くような笑顔を見せます。 その扇情的かつ爽やかな仕草が気に入ってしまい、私とPさんは後日そのポーズを何度も真似して楽しんだほどでした。 最後はカーテンコールで踊り子さん全員が客席におりて来て、お客の拍手に応えました。 私とPさんも、「ターザン」に両手で握手をしてもらい感激したのでした。 魅力的なターザンを演じていたのは当時「藤繭ゑ」の芸名で活躍していた踊り子さんでした。 学生時代に興味本位で観に行ったストリップショーに魅せられて、即座にこの世界に入ると決めたのだそうです。 その後舞台からは引退し、今は藤野羽衣子という名前で映画やロックバンドで活躍中とのことです。 一人一人の演し物は、後に聞きましたが、使う楽曲も踊り子さんが自分で選び、踊りもそれぞれが自分で振り付けを考えるのだそうです。 印象深かったのは当時大ヒットしていたホイットニー・ヒューストンの「I will Allways love you」(映画「ボディガード』主題歌)が、まるでこのために作られた曲のようにぴったりだったことでした。 ゆったりした歌声にのせて踊ったりある種の演技をしながら、踊り子さんはしだいに着衣をとってゆきます。 そしてクライマックスの「And I〜〜〜 will always love you〜〜」と歌い上げる時に横たわって脚を開くのです。 身を乗り出して鈴なりになった観客達の頭は、舞台の回転につれて流れるように動き、吹き渡る風に揺れる稲穂の波打つ様を思わせました。 面白かったのは、そのクライマックスのポーズの瞬間に、両手にたくさん持った紙テープをぱっと投げるおじさんでした。 それをやっていると当然自分は舞台をちゃんと見られないのですが、えこひいきの無いよう、全員に投げて盛り上げるのです。 しかも散らかして帰るわけではありません。 見ていると、どうもそれは紙ではなくリボンのようで、投げたのを即座にくるくると巻き取って、次も同じのをぱっと投げているのでした。 私は後ろの客席まで戻って来て、小さいスケッチブックを出しました。 舞台に張り付いて見るのは一度体験すれば充分なので、邪魔にならない場所からダンサーをスケッチして自分へのおみやげにしようと思ったのでした。 辺りは暗いし誰もが舞台を見つめているので、安心して自分の世界に没入して鉛筆を走らせていました。 ふいに途中で音楽が止まりました。 踊り子さんはダンスをやめ、背筋を伸ばしてまっすぐに立ちました。 どうしたのかと思いながら舞台を見ていると、彼女はしんとした場内に響く鋭い声で言いました。 「ちょっと、あんた!」 前の方で稲穂になっていた観客達の頭が一斉にぐるりとこちらを振り返ります。 ラメのハイヒールを履いて美しい脚で仁王立ちしたダンサーは、怒りに目を吊り上げていました。 「何を書いてたの!何かメモしていたでしょう!」 もう疑いようもありません。 彼女は私に向かって呼びかけていたのでした。 その言葉で気付きましたが、どうやら私はスパイとして潜入してメモをとっている、警察か同業者か何かだと思われているようでした。 「踊っているのをスケッチしてたのですよ。....とてもきれいだったので。」 「見せなさいよ!」 こんな時にきれいなんて言ってお世辞に聞こえただろうな、と気にしながら、私はゆっくり歩いて前に出て行きました。 舞台のまばゆいライトに目がくらみそうでした。どうしてこういうことになってしまうのでしょうか。 私がスケッチブックをそっと差し出すと、彼女は舞台に片膝をついて座り、受け取って黙ってページをめくりました。 絵を持って前に呼び出されるのは予備校の頃のデッサンの講評のようでしたが、それはずいぶん場違いな連想でした。 どのページも脚の線やウエストのラインが単純に描かれていた程度で、あまり良い絵とは言えないのが残念でした。 「動きが速かったから、あまり上手に描けなかったの」と私は言いました。 彼女は私の目をじっと見て、スケッチブックを閉じると、私の手に返しました。 「じゃあ、今度はもっとゆっくり踊ってあげるわね。」 そう言うと彼女は立ち上がりました。 私が、ありがとう、と言って後ろの客席に下がっていくと、また音楽がかかりました。 ステージの続きが始まったのでした。 男達はまた吸い寄せられるように舞台に集中していきました。 私たちはその後、さらに船橋までもう一度別のストリップを観に行って、そこではPさんの交渉により舞台裏まで見学させてもらい、それでツアーはおしまいになりました。 Pさんだけはお気に入りの踊り子さんと連絡先を交換して、しばらくその踊り子さんの舞台に通ったようでした。 普段着の踊り子さんは、舞台で見るよりずっと小さくあどけないほどに見えました。 この世の中で人は、いろいろな形でその人の一番かけがえのないものをお金に換えて生きて行くのでしょう。 ただ、その事を気が付いているか、どう考えるかは人によって大きく違うのだと思います。
(いげたひろこ) 「井桁裕子のエッセイ−私の人形制作」バックナンバー 井桁裕子のページへ |
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