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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第36回 「Self portrait doll と金木犀」5 2012年6月20日
Self portrait dollは、マリオ.A氏によって記録写真を撮影した後、予定通りN氏のもとに引き取られて行きました。
ところが数ヶ月たって、N氏から「お金の都合がつかなくなった」という電話が来ました。
代金は分割で銀行振込にしてもらっていましたが、「いったん作品を返すので、先に払った分のお金を返して欲しい」とのことでした。
また都合がついたら買い戻したい、というようなことを言われた気もしますが、記憶はさだかではありません。
私と同い年の「月給取り」なのに、なぜお金が有ったり無かったりするのかと思ったら、N氏は勤めの傍ら、株をやっていたのでした。

その後、私はマリオさんのご縁で出会ったZ氏の画廊で展覧会をしてもらうことになり、マリオさんをモデルにしたマリオ・ドール、精神分析医・藤田博史氏をモデルにしたフジタ・ドールなどを発表しました。
マリオ・ドールは日本人女性を相手にドンファン気取りの彼をからかったものだったし、フジタ・ドールも、その頭脳と博識ぶりにふさわしからぬ問題発言の数々から発想した作品で、それらは翌年の球体関節人形展にも出品したのでした。
藤田先生は、精神分析家・哲学者のジャック・ラカンの研究者で、当時、人形関係者向けの公開講座をやっていらしたのが出会うきっかけとなりました(創作人形専門誌Doll Forum Japan主宰「人◇形◇愛の精神分析」)。
藤田先生の作品を作るにあたっては、私は講座に通うのみならずその関係の書籍を読みあさって、にわか知識を懸命に仕入れたものでした。
それらの新作と一緒にSelf portrait dollも展示しました。2003年の1月の終わりのことでした。

マリオドール

フジタドール



展覧会が始まってすぐのある日、普段はもう一つの画廊のほうにいるZ氏がこちらで待っていらして、「今日はお客さんがくるからね」と言いました。
くわしく聞く暇もないままに、その「お客様」T氏が到着しました。
その人は私の簡単な説明をふむふむとうなづいて聞き、しばらく黙って見てから思いのほかあっさり帰られてしまいました。
帰り際、T氏はドアのそばのガラスケースに置かれた作品リストを一瞬眺めました。
そして、指先でとんとん、と2カ所指し示し「これと、これね。」と言うと、そのままドアを開けて去って行きました。
Z氏から「お買いあげだよ」と言われてようやく状況を理解した私でした。
2点のうち一つはSelf portrait dollで、もう一つは165センチもある「目を閉じて呼吸を整えて」という等身大よりやや大きいほどの作品でした。
これは、池袋モンパルナスの彫刻家が保管しきれない彫像を野原でたたき壊したように、展示した後に捨てるはめになるんじゃないかと心配していたものでした。
Z氏によるとTさんはちゃんとコレクションのための倉庫を持っているから大丈夫なのだということでした。
私が知らなかっただけで、T氏は現代美術の世界では著名なコレクターだったのでした。



ここに書いて来たようなSelf portrait dollの諸々のいきさつは、もちろんT氏はご存じではありません。
(というより、今これを読んでくださっている方以外、いまだかつて誰も知る由のなかったことなのですが。)
その所蔵作品を一望できるウェブサイトができましたが、そこに載せた写真は着衣のもので、問題の性器は見えません。
この、「後から作り足された性器」について考えると、私が制作の必然的な帰結として自発的に作ったわけではなかったことは、無視できない経緯でした。
私は作る必要を感じなかったのに、それが必要だと言ったのは購入しようと考えたN氏であって、そこはやはり意味の分かれる点なのです。
思うに、性器とは絶対的に自分の物でありながら、そもそも自分以外の者に対して意味を持ち必要とされる器官であったのだ、ということです。
私はそもそも「混乱した自分の身体イメージを自分の手に取り戻す」つもりで自画像としての人形を制作したのです。
そこに性器が含まれていなかったのは、それはわざわざ考えるまでもなくプライヴェートなものだからです。
実はそれは私にとって盲点だったのです。
男性器と女性器は、同じように社会的に表現を規制されているように見えてもその意味は同じではないと思います。
女性器は欲望の対象としても生殖機能においても様々な意味で干渉されやすく、他者に所有権を奪われやすい器官であるからこそ「それゆえに」最もプライヴェートなものとして守らなくてはならないのでした。
プライヴァシーを保護されることの無い状況の性器は、それがいったん「価値がある」とされたとたんに、ストリップショウの踊り子さんであれ、性的虐待の被害者であれ、有償であれ無償であれ、本人の承諾の有無を問わず、簡単に他人に収奪されてしまう。自分の物でありながら自分にとっての器官ではなくなるのです。
リアルな性器表現の是非について論じるのは複雑なことです。
なぜならそれは、単純に快/不快の問題が個人によって食い違いがあるからとか、そういう問題だけではないからです。
結局はN氏の手元に渡らなかったSelf portrait dollは、少なくとももう当分は誰の目にも触れる事なく、スカートに隠されたその器官も、特別な意味の無い体の一部として静かに余生を送る事になったのでした。

その展覧会には、N氏は出張中とのことで来てもらえませんでした。
しかしN氏の奥さんのほうから電話がありました。
私は気にかけてくれたのだと思い「おかげさまであれは早々に行き先が決まりました」と答えました。
2003年2月2日に展覧会は無事に終わりました。
N氏の奥さんからは再度、N氏が出張先でひどく残念がっていて「T氏が出したのと同じ金額で買い戻せないか」と言ってきていると連絡があり、さすがに驚きました。しかしもちろん、それは無理ですとお返事をしました。
N氏の気持ちを思えば申し訳なかったのですが、私にとっては初めての企画展でした。作品が売れた事はとてもありがたいことだったのです。



展覧会から一週間が過ぎようとしていました。
帰って来た作品のダンボールがまだ玄関先に積み上がったままの日曜日の朝、私がジャージ姿でぼーっとしていると、急にN氏の奥さんから電話がかかってきました。
「すみませんが、今から夫が伺いますので...」
その電話から間もなく、N氏ご本人が私の自宅まで車でやってきました。
ぼんやりしたままジャージで出迎えた私に、N氏は、いま出張先から帰ってその足でここへ来たのです、と玄関先で激しく訴えるのでした。
そう言われても、作品を返されて返金までして、そのまま1年以上経って展示もすっかり終わってしまったのです。今さら仕方が無いと私は言いました。
N氏の目が真っ赤なのでどうしたのかと思ったら、悔しくて昨日は眠れなかったのです!と彼はさらに目を潤ませて嘆くのでした。
そんなN氏に部屋にあがってもらうのも気が進まないので、近くのマクドナルドでお話を聞くことにしました。
それで私は「時間がかかるとは思いますけど、Nさんのためにまた作りますから...」などと言ったのでしたが、それはただ気休めに言っていただけでした。
直接会ったせいで落ち着いたのか、しばらく話をしたあとN氏は帰って行きました。

ところがそれから4年後、私は結局、この約束のとおり2体目のセルフポートレートを作ることになるのでした。
表現というものは、どこまでも自分が主導権をもってしなければならないのですが、人形はそもそも人との関わりの中にあるものです。
だからといって人との関係のもつれを作品に含み込んでしまうのは、どうにも成り行きまかせとしか言いようがありません。

もう5ヶ月に渡って性器だヌードだと連呼していてどうも恐縮なのですが、次回でようやくこの話題を収束いたします。
あと一回だけご容赦ください。

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(いげたひろこ)

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