井桁裕子のエッセイ−私の人形制作 第37回 「Self portrait doll と金木犀」6 2012年7月20日 |
2003年の展覧会で「セルフポートレートドール」が私の手から離れて行った後、私は大きな変化の時期に差し掛かって行きました。
2004年に会社を辞めて独立、給料の無い生活にとまどいながらも翌年にはエコール・ド・シモンに通い始めました。 桐塑や張り子での制作、陶土による焼き物、と使う素材も広がりました。 気が付くと前の個展から3年が過ぎていました。 その間には、ストライプハウスギャラリーでの「舞踏+人形」というイベントや映画「アリア」のための人形制作などがあり、いろいろな出会いを通じてようやく闇の中から生き返って来た実感がありました。 そろそろ展覧会をやりたいと思った時に、ふと、N氏との「約束」が思い出されました。 久しぶりに連絡をしてみるとN氏は喜んでくださって、私は改めて「第二のセルフポートレート」に取りかかることになったのでした。 今回はN氏のために作るのだから、ちょっと私本人より美人に作ってあげようか、などと余裕のある事まで考えました。 そして、N氏が買い上げてくれる収入をあてにして、私は友人のやっているNPOのスペースを借りて久しぶりに展覧会をやることにしました。 1996年に最初のセルフポートレートを作ってから、10年の歳月が流れていました。 2007年の6月、ようやく個展の開催に漕ぎ着けました。東中野のRAFTという、普段はお芝居やダンスの公演をよくやっている空間です。 吉本大輔氏にモデルになって頂いた作品「升形山の鬼」も、この「第二のセルフポートレート」とともに展示しました。 展覧会後、N氏のもとへ作品は無事に引き取られていきました。 代金も分割で振り込んでもらうことになり、すべてはめでたしめでたしで終わるかと思われました。 ところが、その後だんだんお金の振込が滞るようになってきました。 原因は、サブプライムローン問題でした。 2006年に住宅バブルでピークを迎えた米国金融市場は2007年には大きな損失を出し始め、金融危機が進行しました。 N氏の資金繰りは株でした。おそらく危険なものにも投資していたのでしょう。 2008年9月、ついに投資銀行リーマンブラザースが破綻します。負債総額約64兆円という史上最大の倒産でした。 それからさらに時が過ぎて、2009年の秋のことでした。 突然N氏の奥さんから手紙が届きました。 連絡の途絶えている間に、N氏の人生はすっかり狂わされていたのです。 彼は奥さんの元を去り、奥さんは子どもと二人、実家に身を寄せていました。 私はまたもや、N氏の残して行った「第二のセルフポートレート」を引き取りに行くことになったのでした。 つないであったゴムが外されバラバラになっていましたが、よく見るとあちこちが壊れ、顔にも小さくひびが入っています。 よくわからないのですが、金銭問題で怒って乗り込んで来たご親戚の方に「この人形には悪魔がついている!」と八つ当たりされて壊されそうになったのだとのことでした。 N氏がどこに行ってしまったのか、私にはわかりません。お元気で暮らしていてほしいと願うばかりです。 * ちょうどその頃、ときの忘れもので「東京コンテンポラリーアートフェア2009」への出品を勧められていました。 私は、この作品を修理して出してもらおうと思いました。 ゆっくり手をかけて作業する事で、人形にしみ込んでしまった記憶を取り除いてあげたいと思いました。 どうせなら出来る限り顔を変えて違う作品にしてしまいたいと思いましたが、日程の都合があるので、あまり大手術はできません。 ほぼ1ヶ月で修復が終わりました。 この、N氏のための二度目の制作は、Self Portrate の格好ではありましたが、1回目とは違うものでした。 見失っていた自分の身体を確認しようとした深刻さはもはや過去の事でした。 ただすっきりとN氏のために作られた人形は、N氏という核を失ってしまうと、まるで遺跡のように誰のものでもなくなってしまいました。 やはり本当の制作は、無目的に行われないといけないのだ....、と私は思いました。 芸術としての作品は社会の経済の仕組みとは関係のない発生の仕方をするのに、その産み落とされる世の中はくまなく経済社会のルールが覆い尽くしていて、勝手に存在するわけにはいかないのです。作品は生まれると同時に身の振り方を考えなければ、野原でたたき壊された池袋モンパルナスの彫像と同じ運命をたどるのです。 にもかかわらず、私自身がそこから自由でなければ、私の作るものは孤独で無意味な存在になってしまうのでした。 その時期、10月は私の誕生月でした。 少し前に、学生時代から長年お世話になっている大切な方に誕生日のお祝いメールを、金木犀の花の写真とともに送ったところでした。 するとお返事に、その方は子どもの頃に小学校の校庭にあった大きな金木犀の樹の想い出を書いてくださいました。 私にとっても、金木犀は誕生日の頃に香る懐かしい花なのでした。 修復が終わった人形は、季節にちなんで「金木犀」と呼ぶことにしました。 あのときに新橋のアートフェア会場に来てくださった方は、初めて外の世界を見るようなふりをして椅子に座っていた「金木犀」をごらん下さったことと思います。 書いている間に季節がすっかり変わるほど長い話になってしまいました。 6回を通して読んでくださったかたもいらっしゃると思います。13年分の打ち明け話にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。 新HPを作成中です。 ぜひブックマークをお願いいたします! http://igeta-hiroko.com/ (旧サイトは終了しました。) http://web.me.com/naranja_toronja/Site/Welcome.html (いげたひろこ) 「井桁裕子のエッセイ−私の人形制作」バックナンバー 井桁裕子のページへ |
ときの忘れもの/(有)ワタヌキ 〒113-0021 東京都文京区本駒込5-4-1 LAS CASAS Tel 03-6902-9530 Fax 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com http://www.tokinowasuremono.com/ 営業時間は、11:00〜18:00、日曜、月曜、祝日は休廊 資料・カタログ・展覧会のお知らせ等、ご希望の方は、e-mail もしくはお気軽にお電話でお問い合わせ下さい。 Copyright(c)2005 TOKI-NO-WASUREMONO/WATANUKI INC. All rights reserved. |