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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第39回 「肖像と「加速」のイメージ」 2012年9月20日
高橋理通子さんを、最初に撮影させてもらったのは4年前、2008年9月の終わりでした。
制作を再開したのが昨年でしたが、迷って何度も中断してしまい、結局こんなに時間がかかってしまいました。
悩んだのは、単に肖像ということに収まらなくなってしまったためです。

私が初めて吉本大輔さんの公演を観に行ったのは2006年12月24日、麻布die pratzeでした。その会場には理通子さんも来ていました。
観客の帰ったあとの舞台で、二人は儀式のように踊ったのだそうです。
理通子さんの眼に映っていたのは、大輔さんの姿を借りた別の人でした。
北海道から一緒に上京し、一人でこの世を去ってしまった「黒政さん」。
理通子さんはその時、その人の服を着た大輔さんを相手に、彼との別れの踊りをしたのでした。

昨年、私は理通子さんのバイト先まで道具を一式持って押し掛けてゆき、仕事中の彼女の顔を横から見ながら制作したのです。
店番のような仕事で、お客さんも来ないし他にだれもいない、狭い静かな部屋でした。
作業しながら、私の制作の現在までの経緯を話していて、鬱病でしばらく苦労した話をすると、理通子さんは「黒政さん」もやはり鬱だったからその話は聞きたかった、と言いました。
そして、その人の話を聞かせてくれたのでした。
北海道から出てくる頃は、黒政さんの方がもともと舞踏を熱心にやっていて、理通子さんは演劇のほうをやっていたのだそうです。しかし、東京に出て来て一緒に暮らす間に、彼はいつしか生きる意欲をなくしてしまった。
二人は格闘とも言える壮絶な日々を過ごし、やがて彼は故郷へ一人で帰り、ほどなくして亡くなってしまったのでした。
知らせを聞いた彼女は北海道へ戻り、その晩はなきがらを抱いて一夜を明かしたのだそうです。
「彼は亡くなってしまったのに、井桁さんはどうして生きているの?」
理通子さんは、自分はどうすれば良かったのか今でもそれを知りたいのだ、と言ったのでした。
彼を失ったあと、理通子さんは舞踏のなかにその記憶を結晶させて作品としてきたように見えます。
この話を聞いたのは、まだ三月の震災からやっと2ヶ月たとうという頃で、世の中全体が喪中のような時期でした。

あれからもう一年半が過ぎました。
世の中はめまぐるしく動いていて、私は制作で引きこもってばかりいたのに落ち着いた気持ちになったためしがありません。
人間がひとつづつ積み重ねていかなくてはならない事柄は、それに見合うようにはスピードアップできないのです。
実は「世の中」というより、地球/人類というレベルで加速しているのかもしれません。
よく言われる事ですが、地球が誕生してからの時間の中で、人類の発生はまだ、瞬くような瞬間に等しいのです。
恐竜は1億数千万年の間繁栄して滅びたと言われますが、人類の祖先が2本脚で立ち上がってからはまだ440万年です。
ホモサピエンスは登場してまだたった20万年ほどだといいます。変化のスピードは加速しているのです。
地球誕生から今までを1年間に置き換えると、人類誕生は12月31日の夜11時37分で、20世紀は最後の1秒なのだそうです。
情報伝達の速度、自然環境の破壊の速度、生産の、移動の、流行の...あらゆるものの速度は速くなるばかりで、生まれてこのかた何かが遅くなるニュースなんて聞いた事がありません。

私は会社員だったころ、よく自転車で出かけました。
車道の端を走行すると、歩道とは違って実に道路は滑らかで、ぐんぐん速度が上がります。
やがて車体が軽く浮き上がる感じがしてきて、そんな時にもし石ころなどに乗り上げたら簡単にすっ飛んでしまいそうになるのです。
スピードを落とす事はなぜかできず、そんな時にふと、ここで手を離して眼を閉じてしまったらどうなるのだろう、という考えが湧いたりします。

日常のいろいろなコントロールをすっかり放棄したくなる。
その非現実感はこのようにハイスピードで疾走しながら眼を閉じてしまう事に似ています。
加速する現実を生きるには、ハンドルをしっかり握り直して目を凝らしていなくてはならないのです。

制作しながら、理通子さんを、目を凝らして疾走する姿に作ることにしました。
本当の彼女は、時には静かに立ち止まっているのかもしれないし、全然違う感覚でゆったり構えているかもしれないですが...。
それは写真をご覧下さい。






(写真/2011年6月 高橋理通子「百年時計」/撮影:志ん弥、えみ) (参考:地球カレンダー) http://www.ne.jp/asahi/21st/web/earthcalender.htm

(いげたひろこ)

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