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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第44回 「舞踏とひとがたの日」 2013年2月20日
去る1月26日、「舞踏とひとがたの日」という1日だけのイベントをさせていただきました。
私の「舛形山の鬼」「Kei doll」「加速する私たち」の3点の肖像人形の展示と、それぞれのモデルの舞踏家3人が作品と同じ空間で踊るというものでした。
貴重な機会で、それを実際に目撃して頂けたのはごく限られた人達だけです。とても贅沢なことでした。
参加して下さった皆様からの暖かい持ち寄りと関係者の皆様のご尽力に深い感謝を捧げつつ、その日ご一緒できなかった皆様にも共有して頂きたくその記録を書こうと思います。

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そもそもは、昨年の個展はやり残しや失敗がいろいろあって、その一つが作品の記録の撮影でした。
私はカタログ用に撮ってもらったその写真でちょっとした間違いをやってしまい、できあがったものをモニターで拡大して見てからハタと気付いたのでした。
綿貫さんが「再撮影するなら、松本竣介展のあとしばらく空いているよ」と言って下さったのですが、いくら空いているとはいえ撮り直しをするのはやはり大変な事です。くよくよしながらも、ここは妥協してあきらめようと思ったのですが、ふと「もう一度作品を持って来られるのなら!」と思いついたことがありました。
ちょうど展覧会の期間中は、「加速する私たち」のモデルとなった高橋理通子さんの参加する舞踏集団「天空揺籃」の御三方は、海外公演のツアー中でした。ご本人に作品を観てもらえなかったのが実に残念だったのです。自分の「やり残し」感というのはそこから来ている気もしたので、もう一度展示をして、舞踏家の皆さんに観に来てもらえたら....と思ったのです。
そのツアーには「天空揺籃」を2008年からずっと撮影されてきた写真家の齋藤哲也さんも含まれていました。
齋藤さんとは、いつか作品とモデルの皆さんとを一緒に撮影したい、と話をしていました。2012年1月には都内で、そしてその秋にはポーランドで天空揺籃の写真展をされた齋藤さんでしたが、その写真は瞬間の動きを追っているはずなのに、深い空間と沈黙を思わせる、きちんと構図をとった絵画のように感じられるものでした。「舞踏家+人形」撮影の話は遠い約束だと思っていましたが、もしかしたらその「いつか」がこの1月後半に実現できるのでは!?と私はさらに考えたのです。
また、かつて東中野のRAFTでやった展覧会では、それを祝って吉本大輔さんがご自分の似姿とともに華麗に踊って下さったのでしたが、今度もまたそういう素敵な時間が持てて皆様と共有できたら、なお素晴らしい....。
思えば、吉本大輔さんが2007年、2010年には石川慶さん、そして2012年に高橋理通子さんということで、6年がかりで私は3人を作っていたのです。区切りと言うならそれを一区切りというべきかもしれません。

そんなことで、改めて綿貫さんにご相談をしたのが12月19日、単なる「撮り直し」どころではない騒動を持ち込んでしまいました。
その撮影とイベントをやれる日程の1月後半まで一ヶ月ほどしか時間がありません。日程がおおむね確定したのはクリスマスを過ぎてからでした。
公演はそう大きな規模ではできないし、また、入場料をどうするのか迷いました。
いろいろ悩んで、まずお世話になっている方々を中心にご案内をして、徐々に外側にというような順序でお知らせして行くことになりました。
また入場料ももらわず、経費のためのカンパということにしました。
大輔さん達が作品の完成にお祝いをしてくれる、それを皆さんにも一緒に祝って頂く、ということにしたかったからです。

1月22日に倉庫から作品を運んでもらい、機材や暗幕の準備。
23日には作品本体の撮影、24日は石川慶さんと高橋理通子さんを作品と一緒に撮影。
25日は吉本大輔さんを作品と一緒に撮影して機材の片付け。
そして26日にはいよいよ1日だけの展示と公演です。

撮影をするというのは、作品をひたすら凝視するということです。
私は制作の時に散々見ているはずですが、他の人に見てもらう事で初めて作品の輪郭のようなものが明らかになります。
そういう意味で自分にとって良い機会となりました。
斎藤さんは静かで丁寧でしかも幸せな様子で長時間働くので、まるで長距離を行く美術品輸送の大型トラックのような印象でした。
誰にもその人の独特の速度や回路があって、自分にもそれがあると思うのです。
しかし自分のペースというのも自分ではあまり自覚できないもので、他の人と行動する時にお互いのそれに気付くという気がします。
私は他の人の「その人らしさ」に気付く事をとても興味深く思うのです。
撮影は午後からで終了時間は7時目標でしたが、それでは終わらず、連日9時を回ってしまいました。
人と作品がからんでいる写真を撮ろう、とだけしか決めていなかった24、25の撮影では、思いも寄らなかったアイデアがいろいろと出たのですが、それを斎藤さんが丁寧に掘り進めるようにして撮っていきました。
今、新たに作品が作られているという、手応えのある撮影でした。

ついに26日土曜日、展示が始まりました。
公演は3時からなので、外の光がまだ差し込んできます。ときの忘れものに時ならぬ漆黒の闇をもたらすため、大輔さんは高いはしごで上の方まで暗幕を張って、それ自体が不思議な儀式のようでした。音楽と照明は斎藤さんが担当し、三人が代わる代わる出て踊り、最後は三人で...というような打ち合わせをして、本番を待つ事になりました。

お客さんが集まり、その時間が来ました。

音楽とともに明かりが消え、白い異形のものが姿を現しました。
浮かび上がる身体は神秘的でありながら野生で、命ある限り変化する謎でした。
その謎を私が問い求めた営みの、無数の視線の固まりは大きな影となって、ゆらりと壁に投影されていました。
強靭で儚い肉体が、人生の情熱が、色情と禁欲と蕩尽と悲しみとともに、服は投げ捨てられ、お菓子が飛び散らかって、引かれあい睦みあって団子になって砕けてしまいゆっくりと宇宙の果ての黒い星となって消えてゆきました。




途中までは、「みんなちゃんと見える位置に座っているかな」とか「作品の場所があれで良かったかしら」などと落ち着きませんでした。
しかし最年少の観客・齋藤さんのぼうやを良く見える場所に誘導してあげて、そのあとは私も時間の中にとけ込んでいきました。

終了後はみんな夢から覚めたようになって、賑やかに交流しました。
初めて会う人同士も、後から来た予約できなかったお客さんも混じって、舞踏の話、芸術の話に花を咲かせていました。
本当に嬉しい、名残惜しいひとときでした。
片付けを終えた後、撮影の間からずっと見守ってくださっていた綿貫さんが、一座を近くの中華屋さんでねぎらってくださいました。
それも忘れられない宴となりました。




肖像人形は、私の出会った人が私に差し出してくれる「自分」と私の見ている「その人」と、その二つの虚像の持ち寄りなのです。
二つの視点の交わる所にできる蜃気楼のようなものです。
また、誠実にその顔を作っていても、「これはやはりあなた自身だ」と言われる事があります。
私自身とはなんだろうかと思うけれど、結局は今まで出会って来た他者の蓄積が私ではないかと思います。
人との出会いによって、暗い運命を乗り越える人もいます。
私にとって、人と人が向き合うことのもたらす豊かさを示し具象するのが肖像なのです。
私自身が空疎な存在であっても、作品はそれを越えてゆくことができる。
そして芸術はそもそも今ある現実をより善く越えて行くものだと思うのです。
(写真/斎藤哲也氏)

(いげたひろこ)

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