飯沢耕太郎のエッセイ 福田勝治―孤高の唯美主義者(1) 福田勝治とは何者なのか? 2011年1月12日 |
おそらく写真表現に関心を抱く人でも、若い世代であればあるほど福田勝治という名前はあまり聞いたことがないのではないだろうか。福田は1899年、山口県佐波郡中関村(現坊府市)に生まれ、1991年に92歳という長寿を全うして亡くなっている。世代的にいえば、木村伊兵衛よりは2歳、土門拳よりは10歳年長ということになる。だが、この二人の写真家と比較すると、福田の知名度はかなり低いのではないだろうか。
ところが、戦前から戦後にかけての一時期、福田勝治は木村伊兵衛や土門拳以上の人気写真家だった。それは1937年から39年にかけて、写真関係の本としては異例の売行きを示した『女の写し方』(アルス)をはじめとして、続けざまに7冊の写真集、写真技術書を刊行していることからもわかる。戦後の1951年〜52年もすごい。この時期には『裸婦』(技術資料刊行会)を皮切りに、6冊の写真集を出しているのだ。戦前・戦後を通じて、彼は計30冊の著作を遺している。この数字を見ても、まぎれもなく写真の世界における“巨匠”の一人であったことがわかるだろう。
ではなぜ、福田勝治という名前が忘れられつつあるのだろうか。その狷介な性格、歯に衣を着せぬ言動によって、生前から敵対する者も多く、特に晩年は長く孤立したまま仕事を続けてきたということはある。だがその最大の理由は、彼が日本の写真家にはきわめて珍しく純粋なロマンチスト、孤高の唯美主義者だったからだろう。 本来は「光画」と訳されるべきであったphotographyの訳語として、幕末・明治期に「写真」という語が定着したのを見てもわかるように、やはり日本人には写真とは「真を写すもの」であるという固定観念が強い。「ドキュメント」や「リアリズム」こそが、写真の基本理念として通用してきたことはまぎれもない事実であり、土門拳や木村伊兵衛が主唱した1950年代の「リアリズム写真運動」は、その典型的なあらわれであった。そんな中で、福田のロマンチシズムや唯美主義は格好の攻撃目標となった。その余波が、現在まで色濃く残っているということではないだろうか。 だが、そのような写真表現の風土も、大きく変わりつつある。1980年代後半以降、美術館や写真専門ギャラリーで、写真がアート作品として展示され、販売されるのが当たり前になり、「ドキュメント」や「リアリズム」が絶対的な価値観ではなくなってきた。いまふりかえってみれば、福田勝治が1920年代以来、営々と制作し続けてきた女性ポートレート、ヌード、静物、風景などの作品群は、写真作家の美意識の純粋な発露として、現在の写真表現を巡る状況を先取りしていたともいえる。少なくとも、彼が全身全霊を賭けて作り上げようとしたその作品世界がどのようなものであったかを、もう一度きちんと見直すべき時期に来ているのではないかと思う。(つづく) ■飯沢耕太郎 Kotaro IIZAWA 写真評論家。主著に『増補 戦後写真史ノート』(岩波現代文庫)『写真的思考』(河出ブックス)『「女の子」写真の時代』(NTT出版)など。近刊にアフリカ紀行『石都奇譚集』(サウダージ・ブックス+港の人)。きのこ文学研究家としても著名。その著に『きのこ文学大全』(平凡社新書)『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)ほか、2010年秋現在、文芸誌「文學界」にきのこ文学評論を連載中。
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