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飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」
第12回 「瑛九と「フォト・デッサン」 瑛九 (Q Ei 1911~1960) 」  2019年01月18日
 瑛九(本名・杉田秀夫 1911~1960)は、いうまでもなく戦前・戦後の前衛美術の展開に大きな足跡を残したアーティストである。その作品は、油彩や水彩画だけでなく、エッチング、リトグラフなど多彩であり、1951年に組織したデモクラート美術協会の活動では、早川良雄、山城隆一、靉嘔池田満寿夫吉原英雄泉茂細江英公らに大きな影響を及ぼした。
  その瑛九が、写真の分野においても注目すべき仕事をしていたことは、それほど広く知られていないのではないだろうか。彼はまだ画家としては認められていなかった1930年に写真機を購入し、写真学校(おそらく1929年に設立された3ヶ月制のオリエンタル写真学校と思われる)に入学して写真作品の制作に熱中した。同時に写真評論も執筆するようになり、『フォトタイムス』誌に本名の杉田秀夫名義で「フォトグラムの自由な制作のために」(1930年8月号)、「芸術写真以上のものヘ」(同12月号)、「フォトグラムは如何に前進すべきか」(1931年2月号)などを精力的に発表した。当時は、絵画的な「芸術写真」からモダニズムを志向する「新興写真」へと日本の写真界が大きく転換しようとしていた時期であり、若き瑛九=杉田秀夫の活動もそれに呼応するものだったといえる。
  一時、故郷の宮崎に帰っていた瑛九は、1936年にふたたび上京し、画家の長谷川三郎、美術評論家の外山卯三郎の協力を得て、新作のフォトグラム作品10点を複写したプリントを挟み込んだ作品集『眠りの理由』(芸術学研究会、限定40部)を刊行する。紙を切り抜いたフォルムや、ネット状の物体が自由に絡み合い、乱舞するユニークな写真作品は、フォト・デッサンと命名された。瑛九という名前を用いるようになったのも、この『眠りの理由』の刊行がきっかけであり、まさに彼にとってはアーティストとして大きな飛躍を遂げた作品集といえるだろう。
  瑛九はその後もフォト・デッサンや、写真を切り貼りしたフォト・コラージュ、さらにそれにドローイングを加えた作品などを制作し続けた。1950年代には宮崎、大阪、東京などで「瑛九フォト・デッサン展」をたびたび開催し、1951年にはフォト・デッサン作品集『真昼の夢』(9点組、限定100部)を刊行している。こうしてみると、瑛九の写真作品は最初から最後まで一貫して、現実世界の再現・描写ではなく、自身の内的なファンタジーを、光と影によって定着することを試みたものであることがわかる。彼はまさに、画家と写真家の仕事を一体化した活動を生涯にわたって続けたのである。
いいざわ こうたろう



瑛九 Q Ei
Work
作品
Photo-dessin (photogram)
40.8×31.9cm


 

 

 


■飯沢耕太郎 Kotaro IIZAWA
写真評論家。1954年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。筑波大学大学院芸術学研究科(博士課程)修了。1990〜94年季刊写真誌『デジャ=ヴュ』編集長。著書に『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)、『日本写真史 を歩く』(ちくま学芸文庫)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)、『私 写真論』(筑摩書房)、『「写真時代」の時代!』(白水社)、『荒木本!』(美術 出版社)、『増補 戦後写真史ノート』(岩波現代文庫)、『写真的思考』(河出ブックス)、『「女の子」写真の時代』(NTT出版)など多数。きのこ文学研究家としても著名。その著に『きのこ文学大全』(平凡社新書)『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)ほか。

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