飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第16回 「小川隆之(1938〜2008)―—写真における「かたち」の探求者 」 2019年09月18日 |
小川隆之は1938年に東京に生まれた。森山大道、内藤正敏らと同世代である。1959年に日本大学芸術学部写真学科を卒業し、文藝春秋社に入社した。同社の雑誌の表紙から政治記事までの写真撮影を担当して腕を磨くが、『カメラ毎日』1963年9月号に「夢を売る」、64年7月号に「オートクチュール」を掲載するなど、社外でも積極的に活動し始めていた。
写真家として自立したいと考えた小川は、1965年に文藝春秋社を退社してフリーとなる。そして1967年4月に妻の和加子とともにニューヨークに渡った。1968年3月に帰国するまで、小川は「ベトナム戦争と黒人問題」に揺れるニューヨークを撮り続けた。反戦集会やハーレムの黒人街にカメラを向け、マグナム会員のブルース・デヴィッドソンや、『The Americans』(1959)で伝説的な写真家となっていたロバート・フランクにも会っている。 ニューヨーク滞在時の写真は、帰国後に「New York Is」と題するシリーズにまとめられ、ニコンサロンで1968年8月に開催された個展で発表された。さらに同年9月号の『カメラ毎日』では32ページの特集が組まれる。同シリーズは、1969年にアメリカ・ニューヨーク州ロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウス国際美術館で開催された個展にも出品され、小川の代表作と目されるようになった。 いま見直すと、小川は「New York Is」で、写真家としてのさまざまな探求を試みていることがわかる。構図、シャッターを切るタイミング、被写体の選択など、その探求は多岐にわたるが、その中で最も重要なものの一つは、画面の中にどのように被写体の「かたち」を定着していくかだったのではないだろうか。実際に、小川の写真を見ると、あの混沌としたニューヨークの状況が、見事に美しい「かたち」として切り出されていることに驚かされる。小川は帰国後、コマーシャル・フォトグラファーとしても活動するようになるが、そこでも彼の鍛え上げられた造形力が、如何なく発揮されていった。 その「かたち」に対する小川の鋭敏な美意識がよくあらわれている写真がある。家具のデザインに現代美術の要素を大胆に取り入れた「デザイン・オブジェ」で知られる倉俣史朗の作品「光の椅子」(1969年)、「64 Book Shelves」(1972年)を撮影したものだ。どちらも、極度に抽象化された家具の「かたち」をさらにミニマルに抽出し、パフォーマンスの要素を取り入れながら写真化している。倉俣のデザイン思考の、写真による高度で的確な解釈といえるだろう。 小川は、その後も写真家としての探求を続けていった。1995年に食道がんを宣告され、手術を受けるが、腫瘍のレントゲン写真や植物の写真に自分の身体をフォトグラムの手法で重ねあわせた一連の作品を制作する。その「Beyond The Mirror: A Self-Portrait」は、1998年にヒューストン・センター・フォー・フォトグラフィでの個展で発表され、東京都写真美術館の「ラヴズ・ボディ―—ヌード写真の近現代」展(1998年)にも出品されている。 (いいざわ こうたろう)
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