フォーゲラーを巡って 木村理恵子 第1回 2010年2月18日 |
版画や書籍の装丁などで活躍したハインリッヒ・フォーゲラーの名は、今の日本ではどのくらい知られているのだろう。
数年前にパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの展覧会を開催した時、興奮した面持ちで会場に駆けつけ、熱心に鑑賞してくださった年輩の女性がいた。彼女は戦後の苦しい時代に一冊のリルケの詩集と出会い、それを心の支えとして人生を歩んできたと言った。そこからパウラ・モーダーゾーン=ベッカーという画家の存在を知り、非常に興味を持ち、いつかその絵画を観てみたいと思っていたのだという。でも、海外に出かけていくことなど容易ではない。それが、日本で回顧展が開かれる日がやって来るなんて、どんなにうれしいことだろう、と熱く熱く語ってくれた。展覧会の主催者の一人として、こんなに幸せな言葉はない。忘れがたい思い出となった。その彼女ならば、フォーゲラーのことも親しい存在であるに違いないと思う。ヴォルプスヴェーデの芸術家コロニーの交遊関係の豊穣な実りが、リルケとパウラの出会いをもたらしたが、フォーゲラーの出発点も、まさにここにあるからである。 ドイツ北部に位置するブレーメン近郊のヴォルプスヴェーデは、自然のなかの寒村である。今でこそ観光地となって、道路も鉄道も整備されているが、かつては交通の便のほとんどない、泥炭地であった。ここに、世紀転換期に多くの芸術家たちが集うことになり、芸術家コロニーが形成される。都会から離れ、自然のなかでの質素な生活を求めたのは、19世紀のアカデミズムへの反発であった。1884年に画家フリッツ・マッケンゼンが中心となって創設され、やがて画家ハンス・アム・エンデ、オットー・モーダーゾーンや後の妻となるパウラ・ベッカー、それに詩人のリルケ、その後の妻となる彫刻家クララ・ヴェストホフなど多彩な才能が次々に移住した。1894年に加わったのが、最年少のフォーゲラーである。その自邸「バルケンホフ」はマルチな才能を発揮した彼自身による設計で、世紀末のユーゲントシュティールの空間芸術であったが、そこで芸術家たちは語らい、音楽会を開き、詩の朗読会を催した。まさに芸術家コロニーの核となる場所だったのである。マルタとの出会いと結婚も、この時代の出来事である。フォーゲラーの代表的な絵画に《夏の夕べ》(1905年)があるが、それはまさに「バルケンホフ」での友人たちの集いの様子を描いたものだ。 ただし、皮肉なことに、この大作が描かれたときには、すでに芸術家コロニーの甘美な雰囲気は過去のものとなっていた。したがって古き良き時代への郷愁といった趣がぬぐえない。感傷的な愛とメルヒェンの世界を生きるフォーゲラーと、20世紀の新しい芸術の息吹に次第に刺激されていくリルケたちとの方向性の違いは、徐々に大きくなっていったのである。 (きむら りえこ/栃木県立美術館主任学芸員)
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