小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第7回 お母さんと一緒 2013年12月25日 |
育児をする中で娘の写真を頻繁に撮るようになるとともに、私自身が娘と一緒に写真に撮られる機会も増えてきました。娘が生まれて2,3か月が経ち、ようやく一緒に電車に乗って外出できるようになった頃に、友人が運営する写真のギャラリーに出かけ、娘を抱っこ紐に入れて抱えた状態で写真を撮ってもらったことがあります(図1)。つきあいの長い友人から見れば、出産を経て子どもを抱えてギャラリーに現れた私の姿は新鮮に映ったのでしょう。撮ってもらった写真を見て、娘を抱えた自分自身の姿は、まるでカンガルーのようだと感じたものです。
その後娘が成長するにつれ一緒に外出する機会も増え、iPhoneで写真を撮りその場でFacebookに写真を載せるということも多くなりました。(図2)は、アンパンマン・ミュージアムに家族で行った時のものです。ミュージアムの入口にある大きなアンパンマンを見て大喜びではしゃぎながら走り回る娘を捕まえ、アンパンマンの顔と一緒に画面の中に収まるように、娘を抱え上げた状態で夫に撮影してもらいました。写真に写っている自分の顔からは、娘がカメラの方に顔を向けてちゃんと写っているかということを気にかけつつ、娘にアンパンマンを見せるという使命を果たした達成感と、うだるような暑さの中電車を乗り継いでミュージアムに辿りついた疲労感が滲み出ているように思います。(図1)のように、抱っこ紐の中にじっと収まっていた乳児の頃とは違い、走り回ったり、予測もつかないような動きをしたりするようになった娘と一緒に写真に撮られる時には、娘をしっかりと捕まえて固定しなければならないという意識が働いているので、一緒に写る私の方は撮られることに集中できません。(図1)では、「母親としての私」が画面の主役として写っていますが、(図2)では、娘の存在感が増して母親である私は娘を支える脇役に退きつつあるように思います。娘がもう少し成長して撮影中に静止していられるようになれば、私が娘を抱きあげて身体を寄せ合うようにして画面の中に収まるような関係性も徐々に変わっていくことになるのでしょう。この先、写真を時折振り返りながら見るなかで、娘の成長のみならず、その時々の私の母親としての役割や、子どもとの関係の変化がまた別の視点から見て取れるようになるのだろう、と思います。 Hidden Mother(隠れた/隠された母親)
先にも書きましたが、私は(図1)や(図2)のような、自分と娘が一緒に写っている写真をFacebookで公開しています。つまり、インターネットを介して友人や知り合いに、「母親としての私」の姿をとらえた写真を見せたり、見られたりすることが日常生活の一部になっています。こういった環境の中に身を置いている立場から見て、写真史上の興味深い事象として「Hidden Mother(隠された母親)」と呼ばれるものがあります。「Hidden Mother」とは、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ダゲレオタイプやティンタイプ、カルト・ド・ヴィジット(名刺版写真)のような写真黎明期の技法で撮影されたポートレート写真の様式の一種で、赤ん坊や幼い子供を母親が布の幕や家具の後ろに隠れるようにして抱えたり、支えたりするような状態で写った写真のことを指します。(図3)のように、椅子に腰かけた母親が子どもを膝の上に抱えて頭から幕のような布を被って顔を隠して写っているものや、(図4)のように子どもの脇から手を差し入れて胴体を支え、写真に被せられたマットによって母親の身体が隠されているものもあります。 母親と子どもが一緒に撮られたポートレート写真の中で、母親がその姿や顔を隠している様子は現在の目から見れば非常に奇異に映り、母親がオバケのような存在になってしまったかのような不気味な印象すら与えます。このような撮影の様式が用いられた理由の一つとしては、黎明期の写真技術が数秒から数十秒の長い露光時間を要したということが挙げられます。大人でも撮影中に姿勢を固定するために(図5)のようなヘッドレストが用いられていたのですから、静止することのできない子どもを撮影するのは至難の技だったのでしょう。つまり、母親が撮影に際して子どもを落ち着かせ、ヘッドレストの代わりに子どもを固定する役割を担い、撮影されることに集中できない母親は、その姿を隠した状態で、子どもの固定役に徹していたのでしょう。また、(図4)のように撮影した写真に楕円形のマットを被せて額装やアルバム用に仕上げることが一般的で、撮影後に母親の姿は画面からトリミングされることが事前に了解されていたことも、このような様式が生み出される要因にあったと言えます。 「Hidden Mother」の写真は、古写真に関心を持つ人たちの関心を集めており、(flickrで「Hidden Mother」の写真を共有するグループも作られています)最近ではイタリアの現代芸術家、リンダ・フレニ・ナグラー(Linda Fregni Nagler, b.1976-)が10年近くにわたって蒐集した1000点近くの写真を第55回ヴェネチア・ビエンナーレ(2013)でインスタレーション作品「The Hidden Mother」として発表して話題になり、彼女が蒐集した写真を纏めた写真集『The Hidden Mother』も刊行されました。このような展示や出版の展開を受けて、「Hidden Mother」はネット上でニュースサイトなどでも取り上げられて反響を呼んでいたりもします。このような反響の背景には、「隠された母親たち」の身振りや、写真の見た目の珍奇さに加えて、女性が社会の中で担いつつも「隠されてきた」役割を、可視化しようとする意志も働いているのではないでしょうか。 母親と子どものポーズ
写真の黎明期に撮影された母親と子どものポートレート写真でも、「Hidden Mother」の状態ではないもの、すなわち、母親が顔を隠さないで子どもと一緒に写っているものもあります。(図6)はダゲレオタイプで撮影されたもので、子どもをしっかりと抱え、懸命に左手で(ダゲレオタイプは像が鏡像として写るので左右が反転します)子どもの顔を自分の顔にくっつけるようにおさえて固定している母親の仕草が印象に残ります。母子ともに顔の表情は硬く強ばっており、長い露光時間中にじっと静止することがいかに緊張を強いられることだったのかを、窺い知ることができます。 ダゲレオタイプで撮影された母親と子どものポートレート写真で多く見られるのが、(図7)のような亡くなった子どもを抱く母親をとらえたものです。19世紀は病気などによる乳幼児の死亡率が高かったこともあり、幼い子どもの死を悼む母親(父親の場合もあります)が、子どもが生きていた証を残すために一緒に写真を撮るのが一般的なことでもありました。あたかも安らかに眠っているかのような子どもの寝顔を見つめているような母親のポーズは、(図6)にとらえられた子どもを固定するために身体に力を込めて、緊張した面持ちで写っている母親のポーズに比べると、落ち着きのある自然なもののように見えます。当時は写真に撮られる機会が稀だったということや、(図6)と(図7)のポーズの違いが、子どもの死という悲しい事情に拠るものであることを念頭において見ると、親子で一緒に写真に写ることの目的や意味合いが、より重みを増して感じられます。
「Hidden Mother」(図3,4)や (図6,7)のようなダゲレオタイプが撮影された写真の黎明期とは対照的に、現代ではデジタルカメラやスマートフォンで写真を頻繁に撮影し、インターネットを介して写真を見たり、見せたりすることが日常生活に浸透しています。(図1)や(図2)のように私が娘と一緒に写っている写真もまた、そういった環境の中で撮られ、見られているものです。現代のこのような環境の中で、母親と子どもの関係が写真によってどのようにとらえられ、またどのように見られているのか、ということを考える上で、ハンナ・プッツ(Hanna Putz, 1987- オーストリア出身)のシリーズ作品「無題 2011−2013」は、興味深いものです。一連の作品は、ロンドンのThe Photographers’ Galleryで開催されている(会期:2013年10 月11日〜2014年1月5日)“Home Truths: Photography, Motherhood and Identity(家庭の真実:写真、母であること、アイデンティティ)”という、「Motherhood(母であること、母性)」をテーマとする現代写真の展覧会にも出品され、注目を集めています。 「無題 2011−2013」は、彼女が知り合いのつてを頼りに、地で赤ん坊を抱いている若い母親を撮影したもので、写真に写されている母親や赤ん坊は、それぞれの顔が写真にほとんど写らないような向きやポーズで捉えられています。着衣の状態や、衣服の色や形、背景や照明の状態などを含めて画面が緻密に構成されており、母親と子どもの身体が触れ合っている様子は、通常のスナップショットに捉えられるような母と子の親密な情景を描いたものというよりも、あたかも立体物や彫像を眺めているかのような距離感を感じさせます。ハンナ・プッツが提示するこのような微妙な距離感は、「Hidden Mother」で布や家具の背後に隠れている母親の所作と同様に謎めいた印象を作り出し、赤ん坊と一緒に写真に撮られる母親の意識のありように呼応するもののようにも映るのです。 (こばやし みか) ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー |
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