ときの忘れもの ギャラリー 版画
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小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」
第9回 寝る子写真  2014年2月25日
(図1)
日本航空〈企業広告『明日の空へ、日本の翼』〉
キャッチコピー:「どんな夢みてる。」
(アートディレクター:船岡あずさ 第60回朝日広告賞(2011年度)入選)

「子どもの寝顔ほど、可愛らしく見ていて心を和まされるものはない」とはよく言われます。子どもの寝顔に対するこのような気持ちは、子どもに対する愛おしさだけではなく、食事やら諸々の世話が続いた一日の締めくくりとして子どもを寝かしつけた後に、「あぁーやれやれ、やっと寝てくれた」という束の間の安堵感がもたらすものでもあります。
日本航空の企業広告(図1)は、まさしくこのような心情にアピールするような内容に仕立て上げられたものです。生後1カ月前後の腕を広げて眠る赤ん坊が、薄い水色のシーツの上に仰向けで寝かせた状態で撮影された写真が上下に反転されています。赤ん坊の額の近くには、「どんな夢みてる。」というキャッチコピーが添えられ、この赤ん坊は空を飛んでいる夢を見ているのではないだろうか、という想像に誘われます。水色のシーツを空に、赤ん坊の寝姿を飛行機に見立て、日本航空が企業として目指す方向性や将来性を、赤ん坊の未来や夢に重ね合わせて表現することが、この広告の意図だと言えるでしょう。

(図1)のように、眠る赤ん坊の姿を何かに見立てて写真を撮ることは、近年「お昼寝アート」や「寝相アート」と呼ばれ、乳幼児の育児に携わる人の間で一種のブームになっています。このブームの火付け役と見なされているのが、ヘルシンキ在住でコピーライター、イラストレーターとして活動するアデル・エナーセン(Adele Enersen)が制作したシリーズ作品「Mila’s Daydreams」です。この作品は、エナーセンが娘のマイラ(Mila)が眠っている間に周囲に物を置いたり、布を敷いたりして絵本の一場面のような情景を作り出し、俯瞰する視点で撮影し、ブログ「Mila’s Daydreams」で発表していたものです。眠る赤ん坊は、お花畑(図2)や宇宙空間(図3)などの場面の登場人物になり、寝ている時の胴体や手足の向きや角度が、何かの動作に見えるような演出が施されています。たとえば、赤ん坊は眠る時に両腕を上に挙げるように広げていることが多いですが、その姿勢を風船の紐を掴んでいる状態に見立て、赤ん坊が浮遊しているかのような場面を作り上げています(図4)。

(図2)
Mila’s Daydreamsより(2010)

(図3)
Mila’s Daydreamsより(2010)

(図4)
Mila’s Daydreamsより(2010)

母親が作り出した夢の光景と、眠る赤ん坊を重ね合わせて作り上げた一連の写真は、ブログを通して大きな反響を呼び、後には世界各国で写真集やカレンダーとして出版されています(英語版は、『When My Baby Dreams』, 日本語版は『おやすみの魔法』)。また、Mila’s Daydreamsに触発されて同様の手法で写真を撮る人たちが急増し、日本では「お昼寝アート」や「寝相アート」としてテレビ番組で取り上げられたり、各地で撮影会が開催されたり、「日本おひるねアート協会」という撮影の仕方を指南する団体が設立される、といった展開に至っています。
子どもが眠る姿を撮るということが、一種の創作的な行為としてこれほどまでに注目されるようになった背景には、母親が育児をする中で子どもの写真を頻繁に撮るようになったことや、ブログやSNSで子どもの写真を見せることが一般的になったということが挙げられます。また、幾度となく繰り返される「寝かしつけ」という日課を、「お昼寝アート」という創作的な行為の機会として捉え、寝室という日常空間を演出で異空間に仕立てることは、育児というエンドレスなプロセスの中に楽しみを発見する考え方として共感を得ているのかもしれません。

私自身について言うと、時折娘が眠っている間に寝る姿勢それ自体の面白さに惹かれて写真を撮ったりもしますが、「寝相アート」のように周囲に演出をほどこして、場面を作り出したいという気持ちはあまり湧いてきません。娘がうつ伏せでお尻を突き上げて眠る姿(図5)を目の当たりにするにつけ、睡眠中の無意識的な動作を興味深く思うと同時に、その姿勢でよく熟睡できるものだと感心させられます。また、日頃より娘の寝相の悪さに安眠を妨害されている身としては、睡眠中の彼女の動作や移動の状態がどれほどのものなのかを確かめてみたい気もします。

(図5)
眠る筆者の娘(2013年11月)

(図6)
Ann, 1980年頃

睡眠中の無意識的な動作(寝相)に注目した興味深い作品として、映画制作者、写真家のテッド・スパーグナ(Ted Spagna, 1943-1989)が1970年代半ばから制作した「Sleep」というプロジェクトが挙げられます。スパーグナは、さまざまな人の眠る姿を、俯瞰する視点からタイムラプス(コマ撮り)の技法で撮影しました。睡眠の経過がコマ撮りされた写真のシークエンスとして表されることによって、睡眠中の動作の流れが明らかになるとともに、人の睡眠周期がおよそ90分であることも研究者との共同研究によって確認されたそうです。このプロジェクトの中で撮影されたベビーベッドの中で眠る赤ん坊の写真(図6)には、身体の向きを変えたり、手足をしきりに動かしたりする様子が手に取るようにわかります。
睡眠中の子どもが無意識にしていること、と言えば「おねしょ」が挙げられるでしょう。サリー・マン(Sally Mann, 1951-)は、娘が眠っておねしょをしている場面を撮影しています(図7)。この写真は、サリー・マンが自身の三人の子どもたち(ジェシー、エメット、ヴァージニア)を育てるなかで撮影して纏めた写真集『Immediate Family』(1992)の中に収録されており、写っているのは末っ子のヴァージニアです。黒い背景の中から白く浮かび上がるベッドの上で手足を広げて眠るヴァージニアの姿は、シーツの上に広がるおしっこの染みや、薄暗い画面の雰囲気と相まって、眠りの深さや無意識の流れを連想させます。通常子どもがおねしょをしていたら、子どもを起こし、シーツやパジャマの洗濯や布団の後始末に追われ、写真を撮る気持ちの余裕はないだろうと思うのですが、子どもの寝姿を周囲の状況も含めて眠りの時間のありようを捉えてようとするところに、子どもに対峙する写真家としての姿勢が感じ取られるように思います。

(図7)
サリー・マン(Sally Mann, 1951-)
「濡れたベッド」(1987)

(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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