小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第12回 赤ん坊の手 2014年6月25日 |
出産する以前から人の手の仕草に惹かれ、手が写っている写真をまじまじと見ることが好きだったこともあり、娘が赤ん坊の頃、眠っている間に何度か手の写真を撮ったことがありました。誕生後間もない娘の手を見た時には、五本の指が揃い、指先に小さな爪が生えていることに、驚かずにはいられませんでした。ごく当たり前のことなのですが、完全なかたちを伴って胎内から出てきた娘の手を目の当たりにして、神々しさすら感じたように記憶しています。次第に肉づきが良くなっていった4、5カ月の頃には、ふっくらとした手や手首の形に見とれたものです(図1)。小さな赤ん坊が時折見せる手を握ったり、開いたり、宙をつかんだりするような手の仕草には、見る者を魅入らせるような力があるように思います。
赤ん坊の原初的な手の仕草は、生まれて間もない赤ん坊と母親を撮った写真の中で、母と子の間の深いつながりを表すものとして捉えられます。以前この連載の第3回でも紹介した、イヴ・アーノルド(Eve Arnold, 1912-2012)のフォトエッセイ「赤ん坊の重要な最初の5分間」(『LIFE』1959年11月16日号掲載)は、赤ん坊が誕生してから5分の間に医師や看護師に処置を施され、母子が接触する過程を撮影した写真で構成され、最後のページには、赤ん坊が母親の指を反射的に握りしめている写真(図2)に「母と息子の永遠のポーズ」というキャプションが添えられています(図3)。黒い背景に二人の手だけが浮かび上がるように捉えられた上に、誌面ではさらにトリミングもほどこされているために、母と子どもの結びつきがより一層強めて表されています。
(図2)のように手の仕草に焦点を合わせ、身体の一部分をとらえた写真は、引いた視点から全身を捉えた写真よりも見る者の想像を喚起する力を持つこともあります。アメリカのニコラス・ニクソン(Nicholas Nixon, 1947-)は、ポートレート写真や身体の一部を8×10インチの大判カメラで撮影した作品で知られています。通常大判カメラは風景や建造物、静物の撮影に用いられることが多いですが、ニコラス・ニクソンは大判カメラを家族や身近な人の撮影にも用いて、肌の肌理や体毛などのディテールを精緻に描出しています。(図4)は、ニクソンの妻ベベが、生まれて間もない娘のクレメンタインを抱いている様子を捉えたものです。ベベは下の方に顔を傾けており、おそらく授乳をしているためか、肩と胸をあらわにしており、クレメンタインの小さな拳が下から突き出しています。小さな拳は、母親と娘の身体の大きさや皮膚の感触のちがいを印象づけるとともに、画面の中には捉えられていない母と娘の間の視線のやりとりを想像させる要素にもなっています。
(図2)や(図4)にも見て取れるように、赤ん坊の手の小ささや所作は、その手を握ったり、抱きかかえたりしている親(大人)の存在によって際立ってきます。手に焦点を合わせて撮影したり、あるいは撮影後の写真にトリミングをほどこしたりすることで、それぞれの仕草や身体的な特徴が、印象深い関係性を浮かび上がらせることもあります。 大戦間期のドイツで、さまざまな人たちのポートレート写真を撮影し、『20世紀の人々』という記念碑的な作品を制作したアウグスト・ザンダー(August Sander, 1876−1964)は、ポートレート写真の一部をトリミングして、被写体の手に焦点を合わせた習作を残しています。「習作(お祖母さんと子ども)」(図5)は、幼い子どもがお祖母さんの膝の上に抱きかかえられた状態で撮影されたポートレート写真の一部をトリミングしたものです。しっかりと力を入れて子どもの身体を支えているお祖母さんの手と、お祖母さんの腕の中に身を委ねている幼い子どもの腕と手の所作、それぞれの手の大きさや皮膚のディテールが、画面の中にコントラストを生み出しています。一連の習作は、ザンダーがポートレート写真を撮影する際に、手の仕草が画面全体の中にもたらす効果に注目し、研究を重ねていたことを伺わせます。 人物を撮影する写真家にとって、手の所作やジェスチャーは尽きせぬ関心の対象として、表現の中で重要な位置を占めています。アメリカの写真家ラルフ・ギブソン(Ralph Gibson, 1938-)は活動の初期から、人の身体、偶発的な手の仕草や身振りを間近に捉えた写真を数多く撮影し、独特なニュアンスを湛えた写真でシークエンスを構成し、『Deja Vu』(1972) などの写真集を発表しています。初期作品の中でも良く知られる「赤ん坊の手とギター」(1960-61年)(図6)は、ギターをかまえて弦に指をかけようとする男性の手と、揺り籠の中から手を伸ばし、指を広げてその音に反応するような赤ん坊の仕草が捉えられており、言葉によらない、赤ん坊と男性の間のやり取りの一瞬がとらえられています。ギターの描くカーブと揺り籠の丸い形が手の仕草と呼応し、目には見えない音の世界へと想像を誘います。人の手の仕草が語りかけることの豊かさやその原初を、小さな赤ん坊の掌に見て取ることができるように思います。 (こばやし みか) ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー |
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