小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」 第2回 マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ 「腰をおろす人々(The Crouched Ones / Los agachados) 」 2011年10月10日 |
食堂(comedor)のカウンターでスツールに腰をおろし、飲み食いをする人たち。通りに面した入口の両側の壁と床、鎧戸で取り囲むようなフレーミングで撮影され、店内が箱の中を覗き込むような視点でとらえられています。着古し汚れた服をまとった人たちは、肩から上が影の中に隠れていて、腰をおろしたスツールが鎖でつながれていることも相まって、牢獄の中にとじ込められた囚人たちを連想させたりもします。街中にある食堂のごくありふれた情景でありながら、入れ子状態になった画面の構図や、手前に背を向けた人たちの佇まいが、謎めいた雰囲気を醸し出しています。 メキシコを代表する写真家、マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ(Manuel Alvarez Bravo、1902−2002)は1920年代から、当時欧米を中心に展開していたノイエ・フォトグラフィやストレート・フォトグラフィといった写真独自の表現を追究する運動に感化され、写真を撮り始めメキシコの伝統的な風俗や街、ポートレート、静物、ヌードなどさまざまな作品を手がけました。「腰をおろす人々」のような街中で撮られた写真には、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリの街を撮影した写真家、ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Euge`ne Atget,1857−1927)の影響が色濃く表れています。 たとえば、この写真をアジェの「Au Tambour, 63 quai de la Tournelle」(1908)と見比べて見てみると、戸口を真正面から撮る視点や、戸口や外装のディテールのとらえ方において、ブラーヴォがアジェの写真を強く意識していたことがわかります。アジェは三脚に固定した大型カメラで撮影していたのに対して、ブラーヴォは手持ちのグラフレックス・カメラで撮影していました。そのために、アジェの写真に写っている人の姿――店の中からじっと外を眺めている人と、ドアのガラスに映り込んでいるアジェ自身――は、身動きをしない静止した状態でとらえられていますが、ブラーヴォの写真では、食事をする人々それぞれの自然な所作がそのままに写し取られています。
ブラーヴォの写真にそなわる魅力の一つは、このような写された人の所作のあらわれ方にあるとも言えるでしょう。また、ブラーヴォが好んで眼差しを向けていた人々の所作には、俊敏なもの、瞬発的なものよりも、眠っていたり、祈っていたり、瞑想していたりというような、緩やかに流れる時間やゆったりとした生活を連想させるものが多いということも特徴的です。さらに、ブラーヴォは内省や瞑想に誘うような言葉を作品の題名に選んでいたりもします。
彼の代表作として知られる「夢想(英語 The Daydreaming / スペイン語 El ensueno)」(1931)は、そういった作品の一例です。テラスの手摺に肘をつき、階下を見下ろしている少女が、もう一つの手摺越しに捉えられています。間近から撮られているのにもかかわらず、彼女はあたかもカメラに気づいていないかのように、物思いにふける表情を顔に浮かべています。身体を手摺の方にわずかにもたれさせかけて、脚を流すようして通路に立つその姿は、しなやかなカーブを描き、ワンピースの肩や裾の一部を照らす光と相まって、壁や窓枠、手摺の直線で構成された空間の中に揺らぎのような感覚をもたらしています。「夢想」とは、物思いにふける少女の心模様だけではなく、彼女がいる情景全体の印象をも表しているのではないでしょうか。「腰をおろす人々」と同様に、ブラーヴォの視線は、日常的な光景の中に詩的な場面を掬い上げ、人々の所作を詩の中の言葉として浮かび上がらせているようです。 (公式ウェブサイトManuel A'lvarez Bravo http://www.manuelalvarezbravo.org/では、90年代にいたるまでに撮影された写真を見ることができます。) (こばやし みか) ※今回小林さんがとり上げたManuel Alvarez Bravoの読み方ですが、ときの忘れものでは<マニュエル・アルバレス・ブラーヴォ>としてきました。 小林さんは上掲の通り<マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ>とされています。 ウィキペディアでも議論があり、先ごろ岩波書店から刊行されたバンヴィル他著、杉山悦子訳の写真集は『マヌエル・アルバレス・ブラボ写真集 メキシコの幻想と光』となっています。 振り仮名のつけ方は本当に難しい。 ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー マニュエル・アルバレス・ブラーヴォのページへ |
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