尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア」 第3回 ダイアモンドの町 2011年4月10日 |
ダイアモンド鉱山の鉱夫の家は、最初は木造の小さな掘っ立て小屋だったが、しだいにレンガが積まれて立派な家々が建設されていった。 窓枠はスウェーデン製、セメントはベルギー製という具合に建設資材のみならず、建築技師や職人もヨーロッパから調達された。ルーデリッツやコルマンスコップ、ポモナ、ボーゲンフェルスなどの主だった鉱山町には、豪華な家やホテル、駅舎、ダンスホール、ボーリング場などが建った。そして鉱山地区のセンターとなったコルマンスコップには、アフリカで初めてというレントゲン設備が導入された近代的な病院が作られ、ドイツ人の家々は、水や氷ブロックなどの生活物資を宅配するための軽便鉄道で結ばれていた。 この時代の豪華な町並みは、ルーデリッツやスワコプムントといった町で、今日でも現役の姿で見ることができる。特にスワコプムントでは古い家並みが完全に保全されており、旧駅舎が豪華なホテルとして改装されていたり、ビアホールがあったりして、砂漠の中のドイツ暮らしを体感できる。 当時のコルマンスコップには300人のドイツ人と40人の子供、そして800人の先住民労働者が住んでいたというが、第一次世界大戦でのドイツの敗北後、南アフリカに占領されてダイヤモンドの権利は後にデビアス会長となるE・オッペンハイマーに格安値で買収されてしまう。 ドイツ系住民はそのまま残留するが、超大型のエリザベス・ベイ鉱山が稼働すると、さらに戦後不況のドイツから次々と技術者が移民して来た。 私たちは、ドイツ人にとって困難だった時代に撮られた1枚の写真を見つけた。コルマンスコップの大ホールでナチスの鍵十字の垂れ幕をバックにした集会の写真だ。そこには再びドイツ人のアフリカが誕生することを夢見た人々の活気が写されている。 しかし、さらなる敗戦のあと、故郷が東ドイツになったなどの理由で帰国できなかった人も多く、現在のドイツ人コミュニティーはアフリカ生まれの世代が中心となっている。 (おがたいちろう・おがたゆう) 「尾形一郎・尾形優のエッセイ」バックナンバー 尾形一郎・尾形優のページへ |
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