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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第4回 2020年10月12日
Le futuriste

太田岳人


未来派のメンバーが発した数々の宣言文は、人々の関心を引くための誇張や挑発的言辞をも多分に含み、現代においてもなにかしらの「誤解」――そうした「誤解」を生むことも、彼らは芸術的行為の一環と見なしてはいたが――を生んでいる。未来派についての紹介や研究が、ともすると断片的なものにとどまっている日本においては特にそうである。たとえば「我々は美術館、図書館、あらゆる種類のアカデミーを破壊するとともに、道徳主義、フェミニズム(femminismo)、機会主義的もしくは実利的なあらゆる卑劣さと戦いたい」という、「未来派創立宣言」後半の箇条書きの第10項に登場するフレーズは、未来派の「暴力性」とともに「女性蔑視的本質」を露呈したものとしてしばしば捉えられている。

かなり以前のことになるが、インターネットで調べ物をしていた際、外国文学を専攻する人が書いているとおぼしき日本語のブログが、「未来派創立宣言」のこの一節を取り上げ、マリネッティは実に許しがたいと糾弾しているのを偶然目にし、その激怒ぶりに驚かされたこともある。私も、未来派の言説におけるある種の「暴力性」の存在については否定しないし、それがファシストへの接近につながったのだという見解も否定しないが、この「創立宣言」の一節だけで、マリネッティと未来派に「女性蔑視的本質」があると即断されるとすれば「それは違います」と言わざるを得ない。かの書き手も、初期の未来派において詩やパフォーマンスで活躍した、ヴァランティーヌ・ド・サン=ポワン(1875−1953)の「未来派女性宣言」や「未来派情欲宣言」などにも目を通していれば、あのような書き方にはならなかったと思う。また、1918年の「未来派政党宣言」ではマリネッティ自身が、離婚の簡素化、結婚の認可の廃止、男女平等の普通選挙などを政治的な要求として訴えている。

「未来派と女性」に関する複雑な議論をここで詳しく追うことはしないが、「未来派創立宣言」における「フェミニズム」の解釈ひとつを取っても、研究の見解は分かれている。社会の大勢と対決する「前衛」を自負する(男性)集団が、自己の結束を高めるため、攻撃や征服の対象として「女性」を取り扱おうとする傾向を、他の歴史的芸術アヴァンギャルドとも共通するものとして未来派に見出す読みには、否定できない説得力がある。他方では、この「フェミニズム」発言を、「美術館」や「博物館」と同格の、固陋なブルジョワの慣習としてのレディ・ファースト的な「女性賛美」――実は女性を劣位にあるとみなしていることから生じている――に抗議するものとし、むしろ女権運動・女性解放運動としての「フェミニズム」には強く親和的であるとする読みも存在している【注1】。

ここでは、芸術運動の30年以上にわたる歴史において、男性の未来派たち(i futuristi)に対し、女性の未来派たち(le futuriste)もまた各年代で登場していることを指摘しておきたい。第2回の記事で紹介したドットーリの絵画では「聖家族」の一員とされているベネデッタ・カッパ(1897−1977)は、実際には「マリネッティ夫人」にはとどまらない「未来派ベネデッタ」として、1920年代から一連の絵画を残した。結婚以前から、初期未来派の重鎮ジャコモ・バッラに学んでいたその作品は、師の画風を受容しつつ、柔らかい諧調による独自の幻想的な雰囲気をもっている【図1】。またベネデッタは、文学者としても何冊かの著作を発表した。「舞台のための宇宙的小説」という副題をもつ『ガララの旅』(1931)は、女性の内観や感覚が自然と次第に共鳴していく姿が、小説と戯曲を混然とさせたような文章、また線のみによる記号=抽象的な現象の描写といった、実験的要素を交えて描かれる【図2】。

202010太田岳人_ベネデッタ《タボル山》、1939年ごろ図1:ベネデッタ《タボル山Monte Tabol》、1939年ごろ(キャンバスに油彩、94×128cm、個人蔵)
※Massimo Duranti (a cura di), Aeropittura e aeroscultura futuriste, Perugia: EFFE, 2005より。

202010太田岳人_ベネデッタ『ガララの旅図2:ベネデッタ『ガララの旅:舞台のための宇宙的小説Viaggio di Gararà : romanzo cosmico per teatro』、1931年
※筆者の所蔵より。

1930年代においても、未来派は何人もの女性芸術家を迎え入れた。アルミニウムなどの薄い金属板を裁断・屈曲させることによってなされたレジーナ(1894−1974)の作品は、その平面性と軽快さの両立によって異彩を放つ【図3】。自身の身体でイメージを表現する舞踏家ジャンニーナ・チェンシ(1913−1995)【注2】は、短い活動期間ながら、未来派においてなお未開拓であったモダン・ダンスの分野への橋渡し役となった【図4】。女性画家も少なくないが、ここでは飛行機とそこから派生する新しいイマジネーションを表現することを謳った「航空絵画」の描き手であり、晩年には未来派とは関係ない形ではあるものの、日本の社会活動家や知識人とも接触した【注3】、バルバラ(本名オルガ・ビリェーリ、1915−2001)を挙げておこう【図5】。

202010太田岳人_レジーナ《汽船》、1930年図3:レジーナ《汽船Piroscafo》、1930年(アルミ板、22.3×39.2p、レジーナ美術館、メーデ)
※Luciano Caramel (a cura di), Regina, Milano: Electa, 1991より。

202010太田岳人_サンタクローチェ・スタジオ撮影図4:サンタクローチェ・スタジオ撮影《ジャンニーナ・チェンシ:未来派ダンスGiannina Censi: danza futurista》(17.5×12.5cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館)
※Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano: Skira, 2001より。


202010太田岳人_図5(差し替え) 図5:バルバラ《都市の航空絵画Aeropittura di città》、1939年(キャンバスに油彩、143×108p、スクルト・コレクション、ローマ)
※Massimo Duranti (a cura di), Prodromo del futurismo, Perugia: EFFE, 2007より。

こうした女性の未来派メンバーには、狭義の「芸術の革新」のみに意欲を持っていなかったことを示すエピソードも残されている。チェンシは1934年に未婚のまま妊娠すると、そのまま婚約者ないしは恋人の助けを受けず、長男を出産し育てていった。またバルバラは、当時では非常に珍しい飛行士の免許を取得していた女性の一人で、未来派の展覧会カタログでは彼女が「女性航空絵画家(aeropittrice)」であると同時に、本物の「女性飛行士(aviatrice)」であることが喧伝された。さらに、ベネデッタをはじめとする何人かの女性芸術家は、「レジーナ」「バルバラ」などと自身のファーストネームや筆名のみを作品に署名し、「家」につながる名字には触れることを避けていた事実からも、彼女たちの「自由」への意志を読み取ることは可能であると考えられる。未来派が強く男性中心主義的要素を持っていたと指摘できるとしても、他方でその運動は、同時代の社会秩序にも挑戦的な「新しい女性」の受け皿にもなりえたと言えるだろう。


【告知】
ところで話は全く変わりますが、10月24日より東京都の板橋区立美術館において「だれも知らないレオ・レオーニ展」が開催されます。教科書にも採用された『スイミー』など、日本では主に絵本作品によって親しまれているレオーニですが、本展はこれまで取り上げられることのなかった、彼の絵画やグラフィックなどの仕事も広く取り上げており、その内容を収めた書籍もすでに一般書の形で発売されています。
若き日のレオーニがイタリアで活動し、未来派とも一時的に接触を持ったということから、私もこの書籍に寄稿の機会をいただきました。読者の皆様におかれましては、ぜひこの展覧会にご来場いただきたく、また書籍を手に取っていただきたく存じます。

―――――

注1:1992年の「未来派:1909−1944展」のカタログに収録された「未来派創立宣言」の日本語版(堤康徳訳)では、femminismoを「女性礼賛主義」としているが、こうした訳語の選択は、運動の歴史における様々な宣言の存在や、当時の研究動向を総合的に踏まえたものと言える。

注2:チェンシ、および未来派とダンスの関係については、横田さやかによる近年の一連の論考が非常に詳しい。横田さやか「イタリア未来派〈航空ダンス〉考察」(『専修人文論集』第101号、2017年)などを参照。

注3:晩年のバルバラは平和運動へ積極的に参加し、1980年代には広島平和記念資料館にも作品を寄贈したことから、当時の日本人の著作にはアクティヴィストとしての姿が書きとめられている。黒川万千代『鳩の使いの旅 広島のこころを世界へ』(新日本出版社、1988年)、弓削達『ローマ 世界の都市の物語』(文芸春秋、1992年)。これらの著述において、未来派時代の彼女の活動についてほとんど聞き出されていないのは、当然と言えば当然とは言え残念なことである。ただ、かつての未来派の人々と日本とのこうした縁がなにか他にも存在したとすれば、それはそれで詳しく知りたいと思っている。

おおた たけと

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は12月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com


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