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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第6回 2021年2月12日
旅するためのイタリア未来派(続)

太田岳人


前回の記事において私は、未来派の作品が見られる場所としてミラノとローマの公立美術館を中心に紹介したが、イタリアの興味深い近現代美術が鑑賞できるのは大都市だけではない。たとえば、イタリアの最北端でスイスとオーストリアに面した、トレンティーノ=アルト・アディジェ州にあるトレント・ロヴェレート近現代美術館(Museo di Arte moderna e contemporanea di Torento e Rovereto、通称MART)は、人口で言えば3万人ほどの街の規模からすると、いささか不釣り合いに見えるかもしれないほどの立派な拠点である【図1】。MARTは1987年、当初はロヴェレートに隣接する州都トレントに開設されたが、その活動が活発になるのは、スイス出身の現代建築家マリオ・ボッタの設計による、ガラスのドームが目印の新しい本拠地がロヴェレートに完成した2002年以降である。

202102‗太田岳人図1:トレント・ロヴェレート近現代美術館図1:トレント・ロヴェレート近現代美術館の外観、2019年
※筆者による撮影。

数年前にYou Tubeにアップされた美術館の公式動画の一つには、マリオ・メルツやミケランジェロ・ピストレットらによるアルテ・ポーヴェラの作品が展示された館内を、女性のローラースケーターが滑走しながら巡っていくというものがあるが、そうした優雅な宣伝もできる広大な空間においては、常設展と複数の特別展がしばしば同時開催されている。19世紀から現存の芸術家までを広く扱う中で、未来派はたびたび取り上げられる対象の一つであり、その代表的な展覧会としては、2009年の未来派創立100周年記念展や、2016年のウンベルト・ボッチョーニ没後100周年記念展などが挙げられるだろう。作品の収蔵数ではミラノやローマに及ばないものの、ボッチョーニが運動に加盟する以前の時期の作品から、1930年代に運動へ参加する人々の作品までが一通りそろっており、そうした所蔵品の図像の一部も「グーグル・アーツ・アンド・カルチャー」を通じて公開されている

かの『地球の歩き方』のイタリア全国版においても、いまだにロヴェレートについての独立した項目はなく、日本ではイタリア愛好者の間でもこの美術館が知られているとは言い難い。しかし、近現代のイタリア美術・文化の専門家にとってはすでに身近な存在である。というのは、同美術館付属の「20世紀アーカイヴ(Archivio del Novecento)」が、二桁を超える未来派参加者を含めた、多くのイタリアの美術家・美術批評家の資料や個人文書を積極的に収集し、公開する重要な拠点にもなっているからである。美術史研究者に限らず、イタリアの文書館や図書館に通う人々は、かの国の施設がしばしば保存中心に過ぎ使い勝手が悪いことを嘆くものだが、このアーカイヴは「アメリカ式」、言ってみれば公開用の整備がスマートに行き届いており、私もイタリアでの現地調査を行う際には便利に使わせてもらっている【注1】。

ところで、ロヴェレートにこうした近現代美術館がつくられた背景には、1920年代以降に未来派の中で台頭したいわゆる「第二未来派」世代の代表格である、フォルトゥナート・デペロ(1892−1960)の存在が大きい。同地出身の近代美術の担い手としては、イタリアにおける抽象絵画の先駆者・理論家であったカルロ・ベッリ(1903−1991)などもいるものの、1920年代末にニューヨークに進出していた時期を除き、デペロはロヴェレートを長らく活動拠点とし続けた。彼は晩年この地に自身の手による「未来派美術館」を構想し、亡くなる直前に一応の開館へこぎつけたが、現在ではこのデペロの私邸美術館がMARTの運営下に置かれ、別館的機能をあわせもった「未来派デペロ芸術の家(Casa d’arte futurista Depero)」として公開されている。ロヴェレート駅からMARTに行くには、駅から東にまっすぐ延びたロズミーニ通りを進み、その突き当りにある同名の広場から北へ向かえばよいが、逆に南へ同じくらいの距離を歩いていけば、この「芸術の家」にたどり着く。

デペロは、酒造会社カンパリの宣伝(現在のカンパリの企業博物館では、その「アートコレクション」の重要な一部としている)や、アメリカの雑誌『ヴァニティ・フェア』の表紙イラストの制作などを通じ、未来派的な造形スタイルを広告やデザインの世界と結びつけたことで、イタリアのデザイン界の革新にも一役買ったと評価される芸術家である【図2】。日本では、イタリア近現代美術研究の草分けであった井関正昭が積極的に紹介しており、2000年には東京都庭園美術館で回顧展も開催されているので、それをご記憶の読者もおられると思う【注2】。現在の「芸術の家」は日本での回顧展の後、未来派100周年記念の2009年に合わせてリフォームされている。絵画やオブジェ、広告や雑誌イラストの原画、衣装【図3】、そして彼のデザインに基づくパペットやタペストリーにいたるまで、この芸術家独特のマスコット的な愛嬌にあふれたキャラクターが陽気に観客を出迎えてくれるだけでなく、芸術家が未完のままに残していた内装部分なども、そのプランを活かして仕上げられている。かつてジャコモ・バッラやアントン・ジュリオ・ブラガーリア(1890−1960)ら、未来派芸術家の一部は自らの活動拠点を「芸術の家(casa d’arte)」と称し、その空間を自分の理想とする装飾やインスタレーションを存分に施したり、独自の演劇パフォーマンスを展開したりする場としていた。「未来派デペロ芸術の家」は、そのメンバーが自ら基礎を手がけた美術館であるだけでなく、往年の未来派の活動拠点が地方の小都市においても、いかにヴィヴィッドな雰囲気を持っていたかという記憶をよみがえらせるという点でも興味深い。

202102‗太田岳人図2:モンツァ・トリエンナーレ図2:モンツァ・トリエンナーレにおけるデペロの個人展示室、1923年(トレント・ロヴェレート近現代美術館、20世紀アーカイヴ)
※Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano: Skira, 2001より。

202102‗太田岳人図3:デペロ(左)とマリネッティ(中央)図3:デペロがつくった「未来派ベスト」を着用するデペロ(左)とマリネッティ(中央)、1925年(トレント・ロヴェレート近現代美術館、20世紀アーカイヴ)
※Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano: Skira, 2001より。

ロヴェレートに行くには、ローマからはフレッチャロッサ(日本の新幹線に相当)で北上しつつボローニャで乗りかえ、ミラノからはヴェネツィアへ行く列車の途中からヴェローナで乗りかえするルートが比較的わかりやすいが、大都市の周遊を中心とする一般の旅行者には時間と手間を要する。しかし、風光明媚で静かな土地柄とあわせて、今後読者の皆さんがイタリアに行かれる機会があったら、この街にもぜひ「よりみち」していただきたい【図4】。旅行が好きな人は、ガイドブックやインターネットでも情報が出てこないような場所を訪れ、そこで見つけた建物や美術品について宝物のように感じ、そこで起きたなんでもないことも含めて、語りたくなることがしばしばあると思う。私にとっては、ロヴェレートがそうした場所である。

202102‗太田岳人図4:ロヴェレートの街角より、2019年図4:ロヴェレートの街角より、2019年
※筆者による撮影。

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注1:私はロヴェレートを訪問する際、ホテルではなく比較的安価なB&Bをもっぱら使っているが、あるイタリア調査の際にインターネットで適当な宿泊地を探していたところ、とある口コミサイトで「MARTに通うのに便利」という趣旨の日本語コメントを発見したことがあった。ロヴェレートに宿泊する、しかもわざわざMARTを目的にしている日本人はごく限られているので、「この書き手はもしかすると、研究会でもよく顔を合わせるあの方ではあるまいか」と思い、そのB&Bを選んで現地でオーナーにそれとなく尋ねてみたところ、はたして本当にその方の名前が出てきたので苦笑してしまった。

注2:東京都庭園美術館ほか(編)『デペロの未来派芸術展』(読売新聞社ほか、2000年)。なお、Deperoの日本語表記については、「デペーロ」の方がよりイタリア語の発音に近いものとなるだろうが、本稿ではこの芸術家の先駆的研究者であった井関の慣用的表現に従っている。

おおた たけと

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は2021年4月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

*画廊亭主敬白
太田岳人さんの連載、6回目となり調子が出てきたようですね。随分昔、トスカーナの地図にもない山岳都市で過ごした日々のことを懐かしく思いだしました。
1月末からブログで開催した「一日限定! 破格の掘り出し物」はお蔭様でコロナウイルス禍で四苦八苦している画廊にとってはありがたい恵の雨でした。スタッフたちが倉庫に分け入り、過去ン十年の在庫の山によじ登り何か珍しいものはないかと発掘した成果が今回のイベントでした。
ご購入くださった皆様には心より感謝いたします。せっかく申し込んでくださったのに抽選で外れた方、申し訳ありませんでした。

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