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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第11回 2021年12月12日
未来派芸術家列伝(その3)――「彫刻の女王」レジーナ

太田岳人


書評から再び、未来派の芸術家たちの話に戻ろう。本連載の第4回で、私は未来派に属した女性芸術家の存在について取り上げたが、その中でも最も興味深い存在と考えているのは、彫刻・立体造形を主とするほとんど唯一の女性であったレジーナ(1894−1974)【図1】である。1992年に日本で開催された未来派展のカタログには、彼女の《航空感性》【図2】が掲載されているが、展覧会で「実際にこれを見た」という方も、この作品の記憶が残っている方はどれだけおられるだろうか。

図1 レジーナ図1:カナリアの鳥かごと一緒にランブレッタ・スクーターに乗るレジーナ、1948年。
※Mirella Bentivoglio e Franca Zoccoli, Le futuriste italiane nelle arti visive, Roma: De Luca, 2008.

図2 レジーナ《航空感性》図2:レジーナ《航空感性Aerosensibilità》、1935−36年(アルミニウム、69.7×36×30p、レジーナ・カッソロ・コレクション、メーデ)
※『未来派 1909−1944』(東京新聞、1992年)より(「飛行感覚」の訳題で収録)。

私が初めてレジーナの作品を実際に見たのは10年以上前で、芸術家の郷里メーデ(Mede)に初めて行った際のことである。メーデは、ミラノと同じロンバルディア州に属し、後者の中央駅から鈍行列車で1時間20分ほどの距離にあるが、以前紹介したロヴェレートよりもさらに小さく、MARTや「未来派デペロ芸術の家」のような、ぱっと見でも観光客の眼を引きつけるスポットも存在していない。しかし、この町の中心の広場に面するサン・ジュリアーニ城の一角には、彼女の没後に寄贈されたコレクションが、「レジーナ美術館」として展示されている。城内には市立図書館と自然史博物館も併設されているため、「美術館」のスペースとしては3室ほどしか割かれていないが、その中身はレジーナがミラノの未来派グループに参加していた、1933年から40年ごろにかけての作品が中心となっていて、私にとっては期待以上であった。訪問した時にはウェブ上の情報も乏しかったものの、今ではこのコレクションにも、しっかりとした公式サイトがつくられている【注1】。

「未来派の立体造形」といえば、最初に挙がるのは、絵画とともに彫刻をよくしたボッチョーニの《空間における連続性の唯一の形態》(1913)であろう。同じく初期未来派のバッラは、デペロとの宣言「宇宙の未来派的再構成」(1915)にて、「多素材造形」の創造が絵画と彫刻の枠を超えることを予見しており、これを受けたエンリコ・プランポリーニのような画家も、針金・砂・海綿などの様々な素材を画布や板に張り付け、2次元と3次元の境界をはみ出す作品をたびたび制作している(《マリネッティの肖像》を参照)。しかし、1930年代に未来派に参加したレジーナのアプローチは彼らと異なるものであった。アルミニウム、ブリキ、鉄などの薄板に対し、ハサミを入れる、折り曲げる、穴をあけるといった操作を加えることで、素材に三次元性をもたらす手法は、まさに彼女特有のものである。

《航空感性》は、1930年代のマリネッティが、近代の産物としての「飛行(機)」がもたらす新しい感覚やイマジネーションの表出を謳った、「航空絵画aeropittura」や「航空彫刻aeroscultura」の創造を奨励したことに応じて制作されたものの一つである。外見上は女性の座像であるが、メタリックなアルミニウム板の輝きと薄さが、空や浮遊に関する鑑賞者の「感性」を喚起している。これは、たとえば同時期の未来派で彫刻を得意としたレナート・ディ=ボッソ(1905−1982)の「航空彫刻」が、流線型に抽象化された形態をとってはいるものの、基本的には具体的な飛行士や飛行機の活動を質量によって想起させているのと大いに異なる(イタリアでのプロジェクト「19・20世紀ヴェローナ彫刻アーカイヴ」を参照)。

一方、日本で《航空感性》とともに展示されたタイヤート(1893−1959)の《大地からの解放》【図3】は、アルミニウムを活用している点で共通しているが、その形態には構成主義的な幾何学性・理知性が先立っている。また彼は、こうした薄い金属を使った作品と同時に、「統帥」ムッソリーニの頭像をはじめとする、厚い金属の量塊によってファシズムの強靭性を暗示する作品の制作によっても知られていた。レジーナの作品は、モダニスト的な鋭い感覚の表出のみならず、金属板のたわみやハサミの切れ目による光のすき間などによって、周囲の環境や空気の「軽さ」をも作品世界に取り込むようになっている。この意味では、外見上はレジーナの作品と重ならないとは言え、ミラノの未来派の中で一緒に活動していたブルーノ・ムナーリ(1907−1998)が制作した、吊り下げ式のモビール「役立たずの機械」の方がコンセプト的には通底しているだろう。ムナーリとの親近性という点では、金属板で構成された人物や事物のかもし出す、ある種のユーモア性も挙げられようか。《少女の肖像》【図4】は、アルミニウム板をバスレリーフ風に組み合わせた壁掛け式の作品であるが、右側から見ると少女が横顔ですましているように見えるのに対し、正面ないしは左側から見ると、逆に口を広げた笑顔に見えるという、思わず鑑賞者もほほえましくなるつくりがなされている。

図3 タイヤート《大地からの解放》図3:タイヤート《大地からの解放Liberazione dalla terra》、1934年(木とアルミニウム、96×70×15.5p、個人蔵)
※『未来派 1909−1944』(東京新聞、1992年)より(「地球からの解放」の訳題で収録)。

図4 レジーナ《少女の肖像》図4:レジーナ《少女の肖像Ritratto di ragazza》、1935−36年(アルミニウム、41.7×41.7×9p、レジーナ・カッソロ・コレクション、メーデ)
※Paolo Sacchini, Regina Bracchi: dagli esordi al secondo futurism, Verona: Scripta, 2013より。

そろそろ2021年も終わりに近づいているが、今年はイタリアのベルガモ近現代美術館とフランスのポンピドゥー・センターが、レジーナの作品のコレクターから受け入れた寄贈品を組み込んだ展覧会をそれぞれで開催している。ベルガモで開催された「女王〔レジーナ〕:彫刻の」展は、「レジーナ美術館」の協力も受けての久々の大規模回顧展となり、パリの「ウィミン・イン・アブストラクション」展では、女性芸術家による抽象芸術の歴史を追う内容の重要な一部を、レジーナの作品が担ったという。二つの展覧会をきっかけに、両美術館の共同による伊・仏・英三か国語によるモノグラフの出版計画も進んでおり、今後はイタリアのみならずヨーロッパ大でこの芸術家への注目が高まっていくだろう。そして、彼女の郷里の小さな町のコレクションもまた、ますます輝きを増すに違いない【注2】。


注1:「レジーナ美術館」の作品が常設公開されるようになったのは1990年代後半のようで、1992年の日本での未来派展カタログでは、彼女の作品の帰属先は単にメーデ市(Comune di Mede)とのみ記されている。かつて美術館を見学した後、事務員の方に「新しいカタログか美術館案内はありますか」と聞いたところ、日本からの客が珍しがられ、1990年代の貴重な回顧展のカタログを無料でいただいたことには、今でも感謝している。

注2:さらに細かくレジーナについての伝記的事項を知りたい方は、拙稿「1930年代の“第二未来派”とレジーナ」(千葉大学大学院人文社会科学研究科・研究プロジェクト報告書第213集、2011年)をウェブ上で参照されたい(本文のみ)。
おおた たけと

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は2022年2月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・慶応義塾大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com


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