太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」 第12回 2022年2月12日 |
未来派芸術家列伝(その4)――クラーリと飛行(機)
太田岳人 2014年、グッゲンハイム美術館で開催された「イタリア未来派 1909−1944:宇宙を再構成する」展は、未来派の創立から1930年代・40年代にいたるその歴史総体を、アメリカにおいて本格的に取り上げたものであった。幸運なことに、私が初めてアメリカに渡航調査に行った際はこの展覧会の開催期間中であり、ニューヨークを滞在先に組み込むことで実際に立ち寄ることができたのだが、その内容の充実ぶりと合わせて少々驚かされたのは、展覧会カタログの表紙に、トゥリオ・クラーリ(1910−2000)【図1】の《パラシュートが開く直前》が使われていたことである【図2】。 図1:RAI(イタリア国営放送)トリエステ支局に集まった、マリネッティ(左下)とクラーリ(右奥)を含む未来派の人々、1931年。 ※Claudia Rebeschini (a cura di), Crali aeropittore futurista, Milano: Electa, 1994より。 図2:Vivien Greene (ed.), Italian futurism 1909-1944: reconstructing the Universe, New York: Guggenheim Museum, 2014. 表紙に使われているのは、クラーリ《パラシュートが開く直前Prima che si apra il paracadute》、1939−40年(板に油彩、154×141p、ウーディネ近現代美術館)。 ※筆者所蔵 これまで発行された、未来派全般の歴史についての書籍、あるいは画集や展覧会カタログにおいて、芸術運動の代表として表紙に起用される作品の多くは、決まってその初期の大物であるウンベルト・ボッチョーニかジャコモ・バッラのものであった。近年は、1920年代以降に運動の中心人物となる、いわゆる「第二未来派」世代のフォルトゥナート・デペロの採用例もしばしば見かけるが、クラーリの未来派としてのデビューは1929年で、その台頭はデペロよりもさらに遅い。イタリアにおいては2000年代から、いくつかの未来派関係の書籍やカタログに、この画家の作品がアイキャッチャーとして使われたことがあったとは言え【注1】、グッゲンハイムのようなイタリア国外の大美術館で取り上げられたという事実は、しばしば「ポップ・アート的」(エンリコ・クリスポルティ)と評されるその作風への興味とともに、未来派の長い歴史総体に対する国際的認知のさらなる深まりも象徴しているということだろうか。 クラーリは、現在のモンテネグロ領イガロに生まれ、スロヴェニアとの国境沿いにあるイタリアの小都市ゴリツィアを活動拠点とした。未来派参加から最初の数年間の画業は、バッラの模倣的な部分も多い水準にあったが【図3】、1930年代半ばからその独自性が開花し、マリネッティによる高い評価も得ることで、1940年のヴェネツィア・ビエンナーレにおける未来派セクションでは、運動内の造形芸術家の代表として個室が委ねられるに至る。彼のこうした過程で決定的に重要なのは、でも触れた、1930年代の未来派運動で提唱される「航空絵画」への没頭である。1994年にトレント・ロヴェレート近現代美術館で開催された、クラーリ生前の最大の回顧展のカタログは、「未来派」と「航空絵画家」のセクションで大きく二分されており、芸術家の中でいかに「航空絵画」の占める位置が大きかったかを物語る。 図3:クラーリ《曲線の力Le forze della curva》、1930年(キャンバスに油彩、94×112p、個人蔵) ※Marino De Grassi (et. al.), Futurismo Giuliano, gli anni trenta: omaggio a Tullio Crali, Mariano del Friuli (Gorizia): Edizione della laguna, 2009より。 レジーナ(やブルーノ・ムナーリ)が、「航空」のスローガンを抽象主義的かつ軽快な立体作品として解釈したことはすでに述べたが、クラーリの場合は具象的に飛行士や飛行機の姿を描きつつも、そのイリュージョニスティックな画面処理が際立っている。【図2】の、パラシュート兵が両手を弓の弦のように広げて空に飛び出し、猛烈なスピードで地上に近づいていこうとする「直前」をテーマとした作品は、透徹した構図と色彩を持ちつつも、ある意味では写真の「決定的瞬間」に近いかもしれない。また、《水平錐揉み》【図4】のような、現実の飛行機の事象をタイトルにした一連の作品は、いずれも眩暈を催させるような(「バロック的」という表現を画家は好まなかった)パースペクティヴを有しているが、こちらは映画の領域にも重なる部分があるように感じられる。 図4:クラーリ《水平錐挟みVite orizzontale》、 1938年(合板に油彩、 80×60cm、ローマ市立近現代美術館) ※Giovanni Lista e Ada Masoero (a cura di), Futurismo 1909-2009: velocità+arte+azione, Mitano: Skira, 2009より。 クラーリは、運動内で「航空絵画」が提唱され始めた1930年代前半に、実際に航空機の副パイロットとしての搭乗資格を取得しているが、彼の現実の飛行(機)への偏愛は晩年まで続いた。80才前後の彼が、イタリア空軍の最新機のコクピットに乗せてもらって笑顔になる写真が残っているだけでなく、アクロバット専門部隊のを描いた「航空絵画」も残されている。こうした彼の情熱は、飛行(機)を愛さない者はたとえ先輩であろうと、未来派とは認めがたいと言わんばかりの域にまで達している。たとえば、かつての仲間たちへの手紙という形をとったエッセイ集『線で描いた未来派』【注2】では、デペロがその優れた色彩感覚にもかかわらず、実は飛行機嫌いであったと主張される一節がある。クラーリによれば「空飛ぶ鳥すら描いたことがなかった」彼は、尊敬するマリネッティがいかにリップサーヴィスをしようとも、誇るべき「航空絵画」の担い手ではありえないのであった【注3】。 第二次世界大戦の終結後、クラーリは「ファシスト」として、ゴリツィアを占領したユーゴスラヴィア赤軍に拘束され、続けて連合軍政府の指導下で設立された公職追放委員会から職務停止(高校の素描教師)処分を受けたことで、ゴリツィアを離れることを余儀なくされた。クラーリは大戦後も一貫して自身が現役の未来派芸術家であることを標榜しつつ、それまでの自分と未来派運動総体が非政治的なものであったと総括したが、その主張は端的に言って無理がある【注4】。ただ少なくとも、1992年に日本で開催された未来派展カタログにも掲載された《敵上の舞踏風飛行》【図5】などは、画家独自の探求の延長線上につくられていることは理解できる。イタリアが第二次世界大戦に途中参戦する、1940年に制作されたこの作品は、当時は《戦争の空》あるいは単純に《爆撃》と呼ばれていたが、同一の爆撃機を様々な視点やアングルから、映画のスーパーインポーズのように透明に重ね合わせることで、時間と空間を現出させるその手法には、いわゆる日本の「戦争画」のほとんどに欠落している種の感覚がある。そしてその「ポップさ」ゆえに、より芸術による「戦争の美学化」という問題にも真っすぐ結びつきうるという意味でも、未来派の全体像に関わる事例になっていると言えよう。 図5:クラーリ《敵上の舞踏風飛行Volo danzato sul nemico(戦争の空Cielo della guerra/爆撃Bombardamento)》、1940年(板に油彩、145×120p、個人蔵) ※『未来派 1909−1944』(東京新聞、1992年)より(「敵陣への降下」の訳題で収録)。 【告知】 ところで、本連載のにおいて、立命館大学でのシンポジウム「イタリアにおけるモダンとアヴァンギャルドの相克:未来派の宣言文を読む」に参加したことに触れました。その際の発表をもとに、各参加者が書いた論考が、昨年暮れに発行された『立命館言語文化研究』第33巻2号に掲載されています。拙稿はさておき、20世紀の様々なイタリア芸術の研究に優れた業績を残している、他の方々による未来派の重要な宣言の分析は、いずれも読み応えのあるものとなっております。もございますので、興味のある方にはぜひご覧いただければ幸いです。 注1:Sabrina Carollo, I futuristi: la storia, gli artisti, le opere, Firenze: Giunti, 2004 (1st. ed.)には《In tuffo sulla città》(トレント・ロヴェレート近現代美術館、1939年)が、Gino Agnese [et al.], I futuristi e le Quadriennali, Milano: Electa, 2008には《人と宇宙Uomo e Cosmo》(ウーディネ近現代美術館、1934年)が、それぞれあしらわれている。 注2:Tullio Crali, Futuristi in linea, Rovereto: Museo di arte moderna e contemporanea di Torento e Rovereto, 1994. 注3:実際のデペロには、1922年の写真として、他の未来派芸術家たちと(地上で)飛行士に扮した姿で写った姿が残っており、クラーリの主張の真偽は不明である。 注4:クラーリとファシズム政権の関係性についての詳細は、拙稿「トゥリオ・クラーリの芸術:ファシズム期の未来派運動」(『日伊文化研究』第51号、2013年)を参照されたい。 (おおた たけと) ・は偶数月の12日に掲載します。次回は2022年4月12日の予定です。 ■太田岳人 1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・慶応義塾大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。 E-mail: punchingcat@hotmail.com 「太田岳人のエッセイ」バックナンバー |
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