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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第18回 2023年2月12日
「未来派写真」とそのコレクター

太田岳人


未来派の国際的再評価のきっかけとなった、ヴェネツィアでの「未来派/未来派たち(Futurismo & Futurismi)」展(1986年)の開催を受け、その前後には日本でも『美術手帖』や『ユリイカ』などが未来派特集を組んだ。だが、実際に各ジャンルの未来派の実作品が日本で一堂に会するのは、セゾン美術館ほかによる「未来派1909−1944」展(1992年)を待つことになる。ただし、写真はその例外であった。ヴェネツィアの未来派展と同時期に、西武百貨店や兵庫県立近代美術館(現:県立美術館)では先んじて、未来派の写真・映画を主な研究フィールドとしている、ジョヴァンニ・リスタのコレクションをベースとした「未来派の写真展」を開催していた【注1】。

リスタは、未来派の初期の活動だけでなく、第一次世界大戦以降の活動も含めて考察することを主張し始めた研究者世代に属する。そのため、彼が1980年代の日本で「未来派の写真」の枠で紹介した作品は、一般的な前衛写真の通史でも比較的よく取り上げられる、アントン・ジュリオ(1890−1960)とアルトゥーロ(1893−1962)兄弟による「フォトディナミズモ」【図1】に属するものにとどまらない。1910年代初頭のブラガーリア兄弟の実験【注2】は、運動内で理論的指導にも強い影響力を持っていたボッチョーニから破門級の批判を受けたことで、早い時期に終わってしまうものの、運動のすそ野の広がりの中では、写真に関する興味深い試みがたびたび見られる。

図1:ブラガーリア《お辞儀》
図1:ブラガーリア《お辞儀》

図2:パンナッジ《舞台「機械の苦悩」のための図案》
図2:パンナッジ《舞台「機械の苦悩」のための図案》

もちろん、未来派グループに参加していた芸術家の作品であったとしても、「未来派」というカテゴリーにのみ引きつけて考察することの妥当性については注意が必要である。1920年代に未来派の一員であったイーヴォ・パンナッジ(1901−1981)の作品【図2】を、20世紀前半の前衛芸術運動を何かしら知っている人が見たとすれば、「未来派」よりダダや構成主義を連想する確率の方が高いだろう。また、「未来派写真」として紹介されるものの中には、芸術家たちの集合写真、あるいは集会や展覧会場の様子といった、よく考えれば「未来派の記録写真」と言ったほうが適切なものも多い【図3】。当時の風景はそれだけで現在の私たちには目新しいし、運動の活気ある雰囲気が伝わってくるのも確かだが、未来派の個々の芸術家が独自の美学を追求したといった意味での「未来派写真」とは異なるのではと問われると、ちょっと返答が難しい。

図3:マリオ・カスタニェーリによる、未来派の集会の記念写真
図3:マリオ・カスタニェーリによる、未来派の集会の記念写真

ところで私は、イタリアではなく日本において、未来派の写真をコレクションしている方の知遇を得たことがあった。長らく日本を拠点としていた写真家・映像作家のヴィンチェンツォ・コロナーティ(Vincenzo Coronati)さんである。2020年の秋、彼が日本人のお連れ合いとともに私のこの連載を読まれ、コレクションのデータを「ときの忘れもの」を介して送ってきていただいたのである。どこかで見た名前と思い、手元にある展覧会カタログを再確認したところ、2009年の未来派100周年の際、自分がミラノで存分に鑑賞した二つの大展覧会のカタログの双方に、作品の提供者としてクレジットされているではないか【注3】。日本に未来派のイタリア人コレクターが存在することに仰天した私は、早速都内のコロナーティさんのご自宅を訪問し、貴重なコレクションを前にお話を聞かせていただいた。

コロナーティさんもリスタと同じく、広い世代の未来派の写真に目を配る一方、創作者の立場からの未来派写真への観点は興味深いものであった。彼は未来派の中でも、タート(1896−1974)の作品に注目していた。ボローニャ出身のタートは、1920年代からマリネッティの死去まで未来派の重要なメンバーの一人で、1931年にはマリネッティと共同の宣言「未来派写真(La fotografia futurista)」を発表している。ブラガーリア兄弟の時代からすでに20年が経過し、同時代のマリネッティのファシズム政権との関係性も疑問視されることから、このテキストの内容が顧みられることは少ないが、コロナーティさんはこの宣言を「フォトディナミズモ」と一線を画する、芸術家の「フォトフトゥリズモ(fotofuturismo/「写真未来派」)」のあらわれを示唆するものと考えていた。

私は大学院生時代に、画家としてのタートを研究課題にしたことがある【注4】。タートは飛行機や飛行という行為をテーマとした「航空絵画」を得意としていて、私はその作品が好きなのだが、バカ正直なまでに飛行機のフォルムや力強さを強調したそれらは、観る人によってはむしろ凡庸とも感じられるかもしれない。しかし彼の写真作品からは、芸術家の別の顔が伝わってくる。多重焼き付けを駆使したマリネッティの肖像写真は以前にも紹介しているが、もう一つ注目すべきは「オブジェのカモフラージュ(Camuffamento di oggetto)」と名づけられた、トリック写真的な手法も交えたシリーズである。時にユーモラスで、時に寂寥感ある空虚は、たとえばブルーノ・ムナーリに見られる諧謔性とも異なる独自性を持つ【図4】。

図4:タート《完全なるブルジョワジー》
図4:タート《完全なるブルジョワジー》

こうしたタートの写真について、絵画と比べればそれらは手すさびとしてつくられたものだろうと、私は根拠もなく考えていた。しかし、コロナーティさんのコレクションにあるヴィンテージ・プリントの《湖上の夜》【図5】によって、その認識は改められた――明るく浮かび上がった底面の上に、自然物に見立てられた複数の円筒や、両手を掲げた小さな人形/人間のような影が配され、画面上部の暗い部分には煙のようなものが浮かび上がっている――こうした構図は容易に見て取れるだろうが、私は他のカタログや研究書で、この作品に非常に似た別タイトルの作品を確かに見ていた。それは被写体や明暗の配分ではほとんど同一ではあるが、画面の上部には煙のようなものはなくただ真っ暗であった。つまり、どうやらタートは「オブジェのカモフラージュ」を無造作につくっていたのではなく、ヴァリエーションができるくらいの試行錯誤を重ねていたわけである。コロナーティさんにお会いする前に、メールで「この作品は別ヴァージョンではないでしょうか」と書き送ったところ、実際にお会いした際に「一目で違いに気がついてくれる人はなかなかいないんだよ」と喜んでくれたのも、いい思い出である。

図5:タート《湖上の夜》
図5:タート《湖上の夜》

コロナーティさんが昨年末に急逝されたという知らせを、お連れ合いからいただいたのは2023年に入って間もなくのことであった。大変残念でならない。つい先日も、イタリアの大日刊紙『コッリエーレ・デッラ・セーラ』のウェブ版アーカイヴを読んでいたところ、ミラノ版の訃報欄に彼を取り上げた記事があるのを発見し、存在の大きさを改めて認識させられた【注5】。この場を借りて、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。

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【掲載図版】
図1:アントン・ジュリオ・ブラガーリア&アルトゥーロ・ブラガーリア《お辞儀Salutando》、1911年(17.5×23cm、モデナ市立美術館フランコ・フォンターナ文庫)
※Giovanni Lista e Ada Masoero (a cura di), Futurismo 1909-2009: velocità+arte+azione, Milano: Skira, 2009より。

図2:イーヴォ・パンナッジ《舞台「機械の苦悩Angoscia della macchina」のための図案》、1926−1927年(サイズ不明、コダック・パテ・コレクション)
※ジョヴァンニ・リスタ(監修)『イタリア未来派写真展』(兵庫県立近代美術館、1987年)。

図3:ミラノのダル・ヴェルメ劇場における未来派の全国集会、1924年
※ジョヴァンニ・リスタ(監修)『イタリア未来派写真展』(兵庫県立近代美術館、1987年)。

図4:タート《完全なるブルジョワジーIl borghese perfetto》、1930年(18×24cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館)
※Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano; Skira, 2001より。

図5:タート《湖上の夜Notturno sul lago》、1931年(別題「影とオブジェのドラマ」、21×15cm、フォトグラフィア・ディジターレ・イタリアーナ蔵)
※Giovanni Lista e Ada Masoero (a cura di), Futurismo 1909-2009: velocità+arte+azione, Milano: Skira, 2009より。

【注】
注1:ジョヴァンニ・リスタ(監修)『フォト・アヴァンギャルド――イタリアと日本』(西武百貨店/ザ・コンテンポラリー・アートギャラリー、1986年)、同上(監修)『イタリア未来派写真展』(兵庫県立近代美術館、1987年)。

注2:近年ブラガーリア兄弟(特にアントン・ジュリオ)については、大学院生ながらも未来派に関するシンポジウムにパネラーとして参加している、角田かるあ氏による一連の論考がある。「未来派によるフォトディナミズモ追放の背景」(『イタリア学会誌』第71号、2021年)、同上「〈未来主義絵画技術宣言〉を読む:「着想源」にみるフォトディナミズモの理論」(『立命館言語文化研究』第33巻第2号、2021年)などを参照。角田氏によれば、「フォトディナミズモ」の周辺については、兄弟が制作した実験写真の総数、プリントのヴァリエーション、兄弟それぞれの制作への寄与の度合いといった、基本的な情報についてもなお不明点が多いという。今後の彼女の研究の発展が期待される。

注3:Luigi Sansone (a cura di), F.T. Marinetti=Futurismo, Milano: Federico Motta, 2009; Giovanni Lista e Ada Masoero (a cura di), Futurismo 1909-2009: velocità+arte+azione, Milano: Skira, 2009.

注4:太田岳人「タートとF.T.マリネッティ――『第二未来派』の活動についての考察」(『鹿島美術財団年報別冊』第25号、2007年)

注5:Franco Manzoni, “Coronati, un creativo multimediale”, in Corriere della Sera, 10 Jan. 2023。同紙のウェブ版アーカイヴは有料のため、ここでは内容をそのまま引用できないが、記事中では写真やビデオ・アートをはじめ、若き日には往年の舞台演出家ジョルジョ・ストレーレルの助手まで務めていたという(これはご本人からうかがっていなかった)、記事の題名通り「マルチメディア・クリエイター」であったコロナーティ氏の経歴が簡潔に紹介されている。

おおた たけと

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2023年4月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学で非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。E-mail: punchingcat@hotmail.com

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