ときの忘れもの ギャラリー 版画
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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第5回 2016年08月10日

第5回 ルドルフの小さな革命

ルドルフ オルジアティの建築にはいつも感心させられる。

彼の建築特有の言語である、壁勝ちの躯体構成。ギリシャ神殿を思わせる太い柱。スイスのエンガーディーン地方に見られるようなテーパーのついた開口部。FRP製の手すり。白い彫塑的な外観。。。
僕がETH Zurich(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)で師事していたピーター メルクリの師匠であり、ヴァレリオ オルジアティの父親。

僕が思う彼の建築のすごいところは、必ずしも土着的でないはずの彼(独自)の建築言語でつくった住宅がFlims(フリムス)という村でこんなにも受け入れられ、それがあたかもこの村特有の伝統的建築であるがのごとく、広まってコピーされていったことだ。

Chur(クール)からバスで約30分。フリムスへ着くとルドルフ建築言語でできた建築が多いことに驚かされる。野蛮な感じは一切しないけれど、この村の建築史を一人で塗り替えたようなもの。全国的に保守的なスイスドイツ語圏の村で、どうしてこんなことが起こったのだろう。。?

例えば、ピーター メルクリがarchithese 6.2015でのインタビューでルドルフについて少し語っている。

p23-Ich habe Rudolf Olgiati gut gekannt. Er war für mich kein Regionalist, wie damals oft behauptet wurde. Das Fundament für seine Architektur war die Archaik der Griechen, das Engagiere Haus und die Arbeit Le Cobusiers. Das Bauhaus hat er abgelehnt. Etwa bis Ende des Zweiten Weltkriegs war Le Corbusier an der ETH kein Thema.
Olgiati hat jedoch schon während seines Studiums Lithografien von ihm erworben.
-Olgiati hat Häuser gebaut mit archaischen Säulen, jedoch ohne Kapitel. An ihre Stelle trat ein schwarze Fuge mit einem minimalen Auflager. Da war nichts, nur Schatten; eine Leere. Als Student sagte ich: Das ist doch tragisch, wenn wir es nicht mehr vermögen, den Übergang von der Säule zur horizontalen zu formulieren. Und er hat gefragt: "Was bleibt mir übrig?" Für mich war das eine Tragödie. Ich fragte mich: "Wohin führt das? Was ist die Zukunft unseres Beruf?" Ein wenig später habe ich verstanden: Er hat genau das gemacht, was für ihn möglich war. Er setzte präzis die Mittel ein, um die von ihm gewünschte Wirkung zu erzeugen.

(訳は筆者による、以下同様)
-私はルドルフ オルジアティをよく知っているが、彼は私にとって当時よく言われていたような地域主義者ではなかった。彼の建築の基になっているものは古代ギリシャであり、エンガーディーン(スイスの地方名)地方の家であり、そしてル コルビュジエの作品であった。彼はバウハウスを否定していた。第二次大戦の終わり頃までは、ETHではコルビュジエはテーマになっていなかったが、ルドルフは既に学生時代にコルビュジエのリトグラフを求めていた。
ルドルフは柱頭なしの古典古代様式の柱を有した家を建てた。柱頭の代わりに最小限の受け材を計画し、それによって黒い隙間(目透かし)をデザインした。それはただ影を落とし空白をつくるだけたっだ。
学生の私は言った「そのデザインでは柱の垂直方向の流れを(スラブの)水平方向の流れに移行するという(通常は柱頭が担う役割の)デザインの愉しみがなくなってしまうではないですか」するとルドルフはこう訊ねてきた「それでは他に何ができるというのか?」私にとってこの柱頭デザインは悲惨であった。私は悩んでいた「私たちはどこへ向かうのか。建築の未来はどうなってしまうのか」その後しばらくして私は理解した。つまりルドルフは彼にできることをただしただけなのだ。狙った効果を生み出すために、ルドルフはその精錬された方法をとったのだ。





*ここで話している柱というのはおそらくこのことだと思われる*

またRUDOLF OLGIATI BAUEN MIT DEN SINNEN (HTW Chur出版)でもメルクリはこう語っている。

p11-Seine Kompetenz, jeden Bauteil exakt zu analysieren, beeindruckt mich. Ich habe noch nie jemanden getroffen ausser ihn, der mit mir über das Wesen des Kreises, die Bedeutung dieser elementaren Grundfigur, gesprochen hat. Oder darüber, was ein Rechteck ist und wie sich dieses körperhaft im Quader zeigt. Auch diskutierte ich mit ihm den Unterschied zwischen einem Pfeiler und einer Stütze und weshalb ein Zylinder, der sich gegen oben verjüngt, eine Säule ist.

建築要素を正確に分析するというルドルフの能力に私は感銘を受けた。私は未だかつて彼を除いて円の本質について、原初的な基礎形態の意味について話せる人に出会ったことがない。もしくは長方形とは何であるのか、そしてそれが直方体としてどう見えるのかといった事柄についてもだ。また私は彼と*Pfeilerと*Stützeの違いについて、なぜ上部が細くなっている円柱を*Säuleと呼ぶのかといったことを議論した。(*いずれも柱を意味する単語である)

p14-Olgiatis Häuser sind ein Manifest für ein die Menschen achtendes Leben. Das ist das Substanzielle und nicht ein Regionalismus. Er wurde allzu rasch in eine solche Ecke gestellt, nur weil er einen Bogen machte. Sein Schicksal war, dass er in der dörflichen Kleinräumigkeit verhaftet blieb, die mit der Zeit zu Verhärtungen führte. Seine Wahl, in Films zu leben, wurde für ihn prägend. In dieser Umgebung erlebte er keinen Widerstand und konnte sich nicht mit Persönlichkeiten auseinander setzen, die auf seiner Stufe waren. Dennoch: er ist viel brisanter, als man oft meint.

ルドルフの住宅は生活を重んじる人間のマニフェストである。それは本質的であって地域主義的なものではない。彼はあまりに短絡的に、ただアーチを(デザインとして)用いたということだけで地域主義者と見なされてしまった。彼の巡り合わせは、彼が田舎の小さな空間/コミュニティに結びついていたことであり、それが時とともに彼を頑なにしていった。フリムスで生活することは彼には決定的だった。その状況で彼は何の抵抗勢力もなく生活し、また同時に彼と同じレベルにある個性を持った人々と意見交換することができなかった。 それでも彼は多くの人々が言うよりももっと挑戦的だった。

これらメルクリの言及にも見られるようにルドルフは建築要素、言い換えれば建築言語を部分的にいくつも分析し発達させてきたのだと思う。そうしてできた建築の全体像は必ずしも明快ではなく、またどうしてこうなったのかと考え出すと理解するのに時間がかかるかもしれない。またそれぞれの要素(言語)が独立しているようにも見える時があると同時に、どの要素も外せないという気持ちにさせる一体感があり、矛盾した気持ちになる。



また、ルドルフの図面(-p174)を眺めているとどうしてこんなに豊かな感覚になるのだろうと思う。見ていてとても楽しい。きっと考えながら、愉しみながら、興奮しながらエスキースをしていったのだろう。強いロジックやコンセプトで建築全体を押し通そうとする頑なさは見当たらない。その場その場で、建築要素の民主的な参加がうかがえる。
どういう風に始めの一本を描き始めたのか。平面図はどこからか少しずつ描き足していったのようにも見えるし、しかしできた全体は1つの要素も消せないような一体性がある。小学生の頃にテストの答案用紙の裏にトンネル迷路を描いていた時の感覚に近いような気がする。動線を意識していたという意味において、あれも建築だったのかもしれないけれど。

さて、少し建築を見ていこうと思う。

もちろんフリムスだけでなくクールにもルドルフの作品がいくつかある。
薬局、カフェ、花屋、個人住宅とプログラムにも富んでいて、とりわけ花屋さん(上階はアパート住居)は規模もかなり大きく、僕が最も好きなルドルフ建築の一つ。



通りから見ると大きな木の庇が見え、農家の穀物倉へのトラクターでアプローチするかのような大らかなエントランスの花屋さんが見える。隣には花を展示販売する大きなガーデンがあり、そこから建物を見ると、ものすごく大きな三角のかたちが現れる。



今まで考えたことはなかったのだけれど、壁勝ちで奥行きが把握しにくい分、実はとても平面的なファサードに見える時がある。平面的だけれど彫刻的にも見えるのは、開口部などで奥行きを見せているからだ。(ここで壁勝ちと言っているのは、通常の家のように壁の上に屋根がのっているのではなく、屋根が壁よりも低い位置にあること。写真手前の壁が厚く見える部分には、テラス側に開口のある寝室が内包されている。



全体的にもの凄い量感のある建築だけれども、全ての方向で山に囲まれたクールでは質量としてこれくらいじゃないと自然や風景に呼応できない。実際に訪れると、単純な形態ながらも大きすぎて間延びするようなことにはなっていない。そのまま文字通り、山のような建築。

数年前僕がまだ学生の頃、友人らとルドルフが設計したフリムスにあるホテル(Las Caglias)に宿泊したことがある。
そこで手が届きそうなほど低いリビングルームの天井が、開口部へ行くに従って少しだけ高く広がっていくのを実感した時の小さな感動を今でも時折思い出す。あれは一体どんなだったか。こんなにも些細なことが建築体験を健やかなものにしてくれるのか。豊かな空間というほど強く心踊り、心地よい感じではなかったが、とても素直で健康的な感じがした。写真を引っ張り出してみた。



RUDOLF OLGIATI, ARCHITEKT(BIRKHÄUSER出版)を開いて断面図を探してみたが、残念ながらその部分は載っておらず、一体どれだけ天井が変化していたのかは正確にはわからない。ただ自分の過去の日記を見ると"部屋内部はかなり身体スケールで天井は2200mmくらいしかない。でも開口に向かってだんだんと天井が反っていき、2350mmくらいになる"と綴ってある。手の届く範囲だ。



フリムスにあるフィッシャー邸はクライアントの好意で内部を見学させてもらった。なんと複雑な、しかし整合性の取れた(ように見える)要素の集合なのだろう。基本的な形態は先の花屋さんの小型版と見てもらいたい。



この住宅もスケール(天井高)が小さく、しかし窮屈な感じは全くしなかった。むしろ"身体に近い"という感覚がした。その身体に近いことが、良いのかはあまりよくわからない。ただネガティブではないと言えることは確かだ。

彼の建築言語はもちろん過去の建築史からの大きな影響による創造であるけれど、それらの根源が必ずしも彼の活動していたスイスの村(フリムス)だけではなかったことに注目したい。例えば、ギリシャ神殿のような柱はギリシャとは関係のないコンテクストでは意味がない。。。というわけでもない。それをルドルフの作品が証明してくれたと言っても過言ではない。
建築要素というのはどこの文化に限らず、根源的なものとして扱われ得るのだ。よくよく歴史を振り返ってみれば、ブルネレスキだってフィレンツェに教会を建てるためにギリシャ神殿を視察している。スタイルや信条が違っても、建築要素・建築言語の本質的な部分は大いに参考にできる。しかし引用と流用が違うように、またフリムスという土地で彼が変容させた言葉をそのままどこかへ。ではなく、その基の本質(アルファベット)の部分から学びながら、普遍的なシンボル(言語)を日々探求/更新していくことも、メルクリも言うようにラディカルなんだろう。


最後に印象に残ったメルクリの話を紹介する。

p12-In unserem Beruf gibt es immer zwei Arten von Leistungen. Die eine könnte man als eine relative bezeichnen. Damit meine ich die Möglichkeiten, die jemand von Natur aus besitzt und die eigentlich sehr hoch einzuschätzen sind. Dann gibt es das absolute Resultat, das von der Person unabhängig ist. Ich meine, dass die Architektur von Rudolf Olgiati künstlerisch gesehen kein idealer Ausgangspunkt für die Entwicklung ist, denn sie beruht auf seiner persönlichen Grunderfahrung. Vom einem fertigen Resultat auszugehen und das nachmachen zu wollen, was auf der Lebenserfahrung eines einzelnen basiert, geht nicht. Da gehen die Kraft und die Authentizität verloren. Olgiatis Bauten sind nicht vermittelbar, weil jede Ecke individuell geformt ist.

-私たちの職業(建築家)には常に2つの異なる手法がある。その1つは相対的(条件付き)なもの、つまり生まれつき備わった性質であり、高く評価されるべき才能である。そしてもう1つは絶対的(無条件)なものであり、人間とは無縁に存在する。私が思うにルドルフの建築というのは芸術的に見て、(建築を)発展させていくための理想的な出発点ではない。というのもそれは個人的な原体験に基づいているからである。完成された手法(竣工した建築)から出発しようとしたり、真似たりしようとするのはある個人の実体験に基づいていることから(他人がやっても)上手くいくはずがない。そこでは力や真実性が失われている。オルジアティの建築はコピーができない、なぜなら全ての箇所がそれぞれ変形しているからだ。

ルドルフについて、また続きを連載する予定です。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

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