ときの忘れもの ギャラリー 版画
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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第11回 2017年02月10日
第11回 至高のくうかん

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さて、ずいぶんと大層なサブタイトルを付けてしまいましたが、久々に向かったケルンでのズントー建築二作品について今回は綴ろうと思います。

年始めに少し無理して早朝からチューリッヒ空港へ向かい、飛行機でドイツのケルン(Köln)まで。そのまま電車で1時間強南下してザッツウェイ(Satzvey)という駅前に全くお店のないスーパーローカルな駅に着きました。ここから約4kmの道のりを歩いてヴァッヒェンドルフ(Wachendorf)という村まで行きます。そこにズントー設計の小さなチャペル(Bruder Klaus Feldkappelle)があるのです。

自動車なしでチャペルへ行くにはアクセスし難い場所あり、以前訪れた時はヒッチハイクして近くまで乗せて行ってもらったのですが、今回は雲一つない快晴であったので、何より新年早々向かっていく先に太陽が光り輝いていたので(単純ながら笑)縁起良しと思って歩いて行くことにしました。

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鉄道駅からしばらく自動車道沿いに歩いて行くとぱっと拓けたフィールドに出ます。周りは自然だけで歩いていると穏やかな風の音、草花がかすれ合う音が聴こえてくるかのようです。
それは2010年にフランス中西部にあるウイスキーで有名な街コニャック(Cognac)からスペインのイベリア半島最西部まで歩いたキリスト教の巡礼道を僕に強く思い出させました。200棟以上のロマネスク教会を訪ね描き留めていた頃、いつもこうして感覚が研ぎ澄まされていったのを覚えています。
一月一日というのに、むしろ、であるからなのか最寄りの村Wachendorfにある駐車場から目的のチャペルへ向かう道中では少なくない人たちに出会いました。それも家族連れが多い。なるべく一人きりでゆったりと空間に対峙したかったので、人が空く時間帯を見計うために道中のベンチで待っていたのですが、どうもひっきりなしに人がやってくるので諦めて進んで中に入りました。

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中に入ってすぐ"ずいぶんタイトな空間だな"と思わず言葉になって出ました。内と外を意識的にきっちりと隔てている非常に重厚な扉を開けると人がギリギリすれ違う程の空間があり、さらに数歩進むとすぐに祈りの空間に出会います。そこで先の家族連れが溜まっていたので空間的にも狭い。子供がお父さんに"これは何?"と不思議そうな顔をして色々と質問していたので、残念ながら神秘的でもない。何だか少し呆気ない感じでがっかりしてしまいました。僕自身がダイナミックな感動を求めすぎていたかもしれませんが。。
それでもそこに佇んで時間を過ごしていると、周りの自然が為す音が聞こえてきました。教会(チャペル)というのは、とても特殊な役割を担っている。そこは人が集まる場所であり、静かに佇む場所、学ぶ場所でもあり、そしてコンサートホールのようにもなる場所。多目的でありながらも一貫しているのは人が無意識にも静かになってしまうところ。考えてみればロマネスク時代は小さな教会で巡礼者が一夜を明かすこともありました。

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上を見上げると12mの吹き抜けがあります(写真は吹き抜けから雨が降って溜まった小さな水溜りを撮っています)。文字通り垂直方向に吹き抜けた感じが強い。備えられた蝋燭を消すほどの勢いある風も上部から吹いて来ます。外は天気がよく強い陽射しのおかげで暖かいものの、中は日陰で底冷えするほど寒い。でもなぜか沖縄にいるような匂いがします。それはどこからくるのでしょうか?

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このチャペルが有名であるのは、一つにその特殊な工法から来ています。このアイフェル(Eifel)地方で調達されたスプルース(Fichte)の丸太を120本使ってテント屋根のように並べ内側の型枠とし、外側の通常型枠との間にGestampfter Betonつまり版築の要領でコンクリートを打ちます。その骨材もこの地方で取れた川砂利と赤黄色の砂利。ベースは白セメントです。砂利は内側表面に5cmくらいの大きさのものがよく現れてきています。床は厚さ2cmの錫と鉛でできており、近くのメヒャーニッヒ(Merchernich)という地域にある鉛山に因んでいる。版築は一日に50cmずつ行い、高さ12mになるまで24日間かかります。その後に中の丸太を燻して乾燥させ、コンクリートと丸太型枠を剥離し易くします。こうして中の空間は丸太を反転させた形態になり、内側と外側の型枠を結んでいた金具を外してできるパイプの内側端部には吹きガラスでできた雫のようなガラスを嵌めて内部に光が入ってくるようにしています。(現地のパンフレットと掲示板を参照)

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結局このチャペルに入ったり出たりしながら二時間ほどここに滞在しました。その間に少なくとも30人くらいの人々が行ったり来たり。小さな子供たちがきゃっきゃっとチャペルの周りを駆け回るのを見て、初めのうちは早く人が掃けてくれないかな、建築だけの写真が撮りたいなと思っていましたがよく考えてみればここは教会、老若男女が集まって来て当然なのです。人がいない状態で建築だけが存在すること自体がおかしい。素晴らしい空間があって、そこに人が集まって、彼らがそれに対してどう振舞うのか。そしてそれらが他の人(例えば僕)にどういう影響を与えるのか。空間体験(認識)の仕方も様々です。




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翌日コルンバ美術館(Kolumba)へ向かいました。事務所の同僚と待ち合わせて行きます。以前訪れたのは2009年、今回が二度目6年半ぶりになります。以前ここを訪れた時あまりの空間体験に感動して、"こんな美術館を自分でも作ってみたい"と思ったことを強烈に覚えています。言動に若さを感じる笑、しかし今でもそう思い続けています。僕が事務所で働きたいと思ったキッカケもこの美術館でした。遥々やって来たのは今関わっている美術館プロジェクトの参考にと、あまり思い出せない部分を実体験して取り戻し、前回気付かなかったことを発見するためです。少しは成長して見えてくるものも変わって来ただろうと信じて中に入ります笑。
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一歩入った瞬間から、もうズントーです。この美術館は特に全てのモノがデザインされている。窓枠から始まりドアノブから傘立て、チケットショップの什器からコインロッカー、非常灯。既製品であるのはトイレの便器と洗面くらいなのではないか。。どれだけ労力が、そしてもちろんコストもかかっているのか。。おかげで見て感じるもの全てから、何と言ったらいいのか、同じ種類の心地良さを感じます。全てがコントロールされているのだけれどそれは強制的な感じではなく、無意識に操作されている感じでもなく、ポジティブな意味での"建築空間という芸術"の中にいる感覚です。この空間を体験して、バウハウスがなぜ建築を"総合芸術"として位置づけ、カルキュラムの最後に据えたのかが理解できました。

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空間に気品があって、しかし同時に素材感の泥くささもある。全体は大らかにできているけれど、部分は華奢で繊細。2つの相反する要素が混在しているけれど、それらが相殺されて中途半端になっていない。そのバランス感覚とアレンジ力がよく見えます。オルジアティ事務所で長く働いていた友人が、オルジアティの凄いところはその"空間をアレンジする力"だと言っていたのを思い出しました。床壁天井を用いた空間プロポーションを、開口部や吹き抜けなどの構成を、建築要素や家具をアレンジするのは、空間体験というコマ送りの為にひとつひとつ丁寧に絵コンテを考え、アレンジしているようなものかもしれません。

かと言ってこの美術館が完璧な建築という気も全然しない笑。今回は個人的に二つの点がとても気になりました。

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まず、読書室に入るドアがどうしてもしっくりこない。2004年に竣工したズントー自邸兼アトリエも同様に、室内ドアは見た目には重厚ですが実際は意外と軽く、無垢材ではなく突き板なので他の重厚な建築要素と比べるとその在り方に少しがっかりします。ドアノブもドアの大きさに不釣り合いな程に華奢で光沢があり、合わせて時に安っぽく見えてしまうことがあります。
ズントーはハリボテ装飾を嫌うので、例えば石材を躯体壁に貼ったりは絶対にしないのですが、家具職人であった素地からか木の扱い方に関しては柔軟で、突き板を多用し木目を活かした現れとすることが多い。その"木の例外的な扱い"が起こす矛盾がマイナスイメージとしてのフェイクを思わせるのです。一方で、考え直してみると、その(軽い)ドアを(重厚な)壁の1つの変形要素としてではなく、独立した1つの(移動が簡単な)家具として考えているのではないか。そう考えると、その軽いフラッシュドアの留め方やハンドルの付け方もしっくりくるところがあります。
そうした建築要素の"実際の在り方"と、自分が"こう(であって欲しい)と考える在り方"を行き来しながら建築を認識し理解していく作業からは、思いもかけない楽しさを発見できることが多い。それは建築を体験することの醍醐味です。繰り返し、空間に割り当てる素材を含めた建築要素をアレンジするピーターのセンスにはいつも脱帽してしまいます。

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二つ目にタワーと呼ばれる展示室空間。コルンバには3つあります。9-12m弱の高さがあるこの空間にはハイサイドライトが採られ、柔らかくも空から降ってくるような光を空間に取り込んでいます。しかしその開口部の大きさが少し大きすぎるように感じるのと、開口部に取り付けられた半透明ガラスとその留め具が悪い意味で強くインダストリアル感があることが、ナチュラルに手仕事で仕上げられた展示壁の漆喰とどこか合っていないように感じるのです。もっと光を鈍く光らせてくれる留め具であって欲しかった。それは以前紹介したブレゲンツ美術館展示室の天井からも思います。ズントー建築を形容するキーワードには"手仕事"や"素材感"といったどちらかと言うと手触りを意識し、デザインの手垢を残しているように思われがちですが、実際はこうした光沢のある工業製品のように"サラッとし過ぎてはいないか?"と思わせる素材の使い方もよくしています。そのバランス感覚を頭で理解し想定するのには、一筋縄にはいかないところがあります。
また展示室へアプローチする入り口の大きさが展示空間に対して小さいことで、その高さを活かした作品を搬入出来ずにいます。その制限された入り口が逆にあの教会のようなプロポーションの空間体験をさらにダイナミックなものにしているとも言えるのですが。。

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全体として、現在事務所で行なっているいくつかのプロジェクトにも同じような意匠ディテールが(今のところ)見られます。それを飛躍的な進歩がない為に滞留というのか、それとも物事を洗練させるとはこういうことだというのか、消費されない設計というのか。。竣工から20年経とうとしている今訪れてもデザインに古さを感じないコルンバ美術館を見ていると、建築デザインが担うべき時間の流れというのをもう一度考えざるを得ません。

次回はメルクリの住宅から建築を考えてみようと思います。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。
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