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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第14回 2017年05月10日
第14回 上品な納屋

新しい自社ビルに引っ越してから一年余りが経ちました。

以前にこのブログでその様子を少し書きましたが、先月にスイス国内の建築家なら誰もが知っているHoch Parterreという建築雑誌で特集記事があったため、今回はその内容を紹介しようと思います。

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昨年2月に引っ越したばかりの当時には、僕が知っている限り竣工写真のようなものは撮っていなかったと思います。半年以上過ぎた昨年末辺りからフリーカメラマンが何人かやって来ては写真を撮り、年初めには先述の雑誌のためにカメラマンが数日かけて撮影に来ました。その際には特に大掃除をして家具を移動させて写真用に設えをするわけでもなく、普段の仕事をしているままに写真が撮られていきました。
出版された写真を見ると彩度が若干落としてあり全体の印象としてややモノクロに近い、色のコンポジションよりも光と影を含めた空間の構成が見えやすくなっています。(むしろ初めからカラフルな建築や家具ではないのですが。。。)

竣工したばかり建築空間に家具などをほとんど入れていない状態で撮られた、空間構成をわかり易く見せる写真や、逆に家具などが不自然なほどにも綺麗にセッティングされた建築写真は雑誌でよく見かけます。そしてレンダリング(CG)技術が発達した昨今では、もはやプロジェクト段階のレンダリングなのか、それとも現実に撮られた竣工写真なのか区別が付かないような非常に高精度なイメージ画像は一般雑誌やインターネットサイトで目にする機会が増えました。

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今回雑誌に掲載されたような雑多で現実世界に起こっている不可避なノイズ(例えば特にポーズを決めていない人物や特別に整理されていない日用品など)を含めながら、しかし建築空間の良い部分がわかる写真は珍しい。ここで僕が言いたいのは、この事務所建築は空間構成としては単純極まりなく(凡庸ですらあり)、ここで働く人や雑多な模型、机の上の散らかったものたち。。。が建築を逆に豊かに生き生きとしたものとして見せている。それはズントーがしきりに言う“Gebrauch(用)“としての建築を目指しているからだと考えます。


以前の記事で紹介した時に僕はこの建築をその空間構成の単純さ、そして肩肘張りすぎない態度から敢えて凡庸に"自社ビル"と形容しました。一方でズントーは記事の中でこう語っています。


Ich nehme nur das Essenzielle auf, das ich im Dorf sehe: Stein, Holz, Wellbrech, arm und elegant zugleich, mit dem allereinfachste Schöpfe und Unterstände vor dem Regen geschützt werden.

(筆者意訳)
私はこの村で見かける本質的なもの(石、木材、波板鋼板、つまり貧相であると同時に華やかさのあるもの)たちを拾い取り、最も単純な雨風を凌ぐ納屋(シェルター)を作った。


確かになるほどと思うのは、この建築は一言でいえばガラス建築なのだけれど、その建ち方や使われている素材から、上品な納屋のような様相を呈しているところです。

具体的には、
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1.建物の裏側に家畜農家が建っていた当時の石積みの壁があり、その面影を残している。

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2.安価な波板鋼板を切妻屋根やキャノピーに用いることで小屋のような仮設性を有している。

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3.妻側の間口が狭く華奢な印象を与えている。平面図を見るとわかるように、この建築は1986年に建てられた木造アトリエとほぼ同じ広さで、高さが4階建になっています。

これらの要素の印象はもちろん全世界共通ではありません。しかしズントーが言っているように、このハルデンシュタインという村を歩いて観察してみれば、明らかにそう捉え認識されることができる、有効性があるのです。


Das erste Atelier wollte Holz sein. Da war ich noch Denkmalpfleger: Nur die Wohnhäuser sind aus Stein! Und ein Atelier ist nicht aus Stein, das hört man ja, das ist etwas Leichtes. Damals bräuchte es eine neue Einstellung, um mit Holz zu bauen. Das Atelier ist dann ein bisschen wie ein Möbel geraten.

(筆者意訳)
初めのアトリエは木造で在りたかった。私は当時まだ保存修復家(の名残が)であったので、住宅だけが石造であるべきだ、アトリエは石造ではなく、(アトリエという言葉の音から聞き感じるように)何か軽いものであるべきだと考えていた。当時木造を作るには新しい考え方が必要で、出来たものはやや家具に近いものになった。


以前ソーリオの建築家ルイネッリさんを訪れた時、彼も住宅は石造でアトリエは家畜小屋もしくは穀物倉庫のように木造であるべきだと、ソーリオの村のタイポロジーを分析したうえで発言していました。同じ時期に比較的同じ規模のアトリエを建てた二人の建築家が"これはこうでなければいけない"というある種の縛り、もしくは共通認識のようなものがあったのかと考えると興味深いところがあります。


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その仮定を基に考えると、この新しいアトリエの最上階は現在事務所スペースとして使われているものの、キッチンやバスタブ、シャワーといった機能も備え付けられている。であるから、この新しいアトリエは石造(コンクリート造)であって良かったのでしょうか。。?

ズントーは自身がモダニズムの建築家と世間に認識されていることに関して、こう語っていました。
"私は伝統的なものの形を参照するのではなく、伝統的なものの中にある感情や雰囲気といったものを参照していきたい。そして出来たものはモダンに見えるかもしれないが、その国(地域)の人々が、これこそがこの国(地域)の建築だと思えるものにしたい。"

この新しいアトリエが出来た当時、僕はこれこそがこの村(ハルデンシュタイン)の建築とは正直あまり感じませんでした。一年以上経った今、違和感を感じなくなっているのは僕がただこの建築に慣れてきたのか、それともこの村をより深く理解できてきたのか、第三者に尋ねてみたいものです。

(全ての写真はHoch paaterre 4/17より)

すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。
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