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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第16回 2017年07月10日
第16回 建築する手立て

5月4日に計画概要がプレス発表されたバイエラー美術館増築計画は、先立ってちょうど一年前の7月中旬に国際設計競技(コンペ)が行われました。今回はそのことについて“作り手の視点“から解説していこうと思います。

この国際コンペには世界各国から11組の建築設計事務所が招待され、僕たちズントー事務所の他にもスイスからはメルクリ(Peter Märkli)ら計4組、そして日本からも4組とほぼ二カ国で参加者の大半が占められていました。当時、事務所内でも“さすが日本の建築家たちは凄いな“と称賛混じりの驚きがあり、心の中で密かに同じ日本人として誇りに感じたことを思い出します。(僕自身が凄いわけではないのですが。。笑)

ピーターズントーはバーゼル近郊出身ということもあり、“故郷に錦を飾る“はないにしろ、ずっとバーゼルに、とりわけ彼の真骨頂である美術館を建てたいという気持ちがあり、そのことは事務所内で彼の話す言葉から度々伝わってきました。実は事務所ではもう何年もコンペに参加しておらず、最後に参加したルツェルンの駅前開発コンペ以来、“もうコンペはしない“と事務所内には了解ができていました。

僕たちの事務所では入ってくる新しいプロジェクトはまずマネージャーが取捨選択し、その一次振り落としに残ったものをピーターに提示して進めていくかどうかを考える、というのが一般的なプロセスです。 けれども今回のように、あるマネージャーが別のマネージャーによって振り落とされたこのコンペをたまたま見つけて再び議論のテーブルに持ち出すことがなかったら、こうした例外的なコンペの参加も、良い結果も起こらなかった。今回のケースは何だか人生論を語っている時に“機運も大事なんだ“と言っている良い事例のような出来事でした。


当選案自体についてはバイエラー美術館のホームページを見てもらいたいと思います。
既存の本館(レンゾピアノ設計)の東側にある同敷地の一角に小さな道を挟んで3つの建物が向かい合うようにして配置され、既存のランドスケープと一体となった広場を創り出しています。三又の形をした“Haus für Kunst“アートの家(展示室)、既存の壁に寄りかかるようにして建つ“Pavilion“パビリオン(バー、イベントスペース、ショップ)、そして搬出入やオフィス機能が詰まった“Servicegebäude“オフィス棟。ここで注目したいのは、それら3つの建物が同じ建築言語でできたもの(同じ考え方、組立て方でできた異なるバリエーションのこと)ではなく、全くと言っていいほどそれぞれが異なっていることです。アートの家は比較的荒い仕上げでできた三層の展示室。パビリオンは地上一層で地下に階段状に下がっていく、前面ガラスの建物。サービス棟は北側の既存の建物にくっついて、あたかも既存の建物に増築されたかのような振る舞いをしています。しかし3棟の独立した建築が、それぞれの美術館としての機能を補完し合うという意味で、また1つの広場を形成するという意味で一体になっているため違和感を感じないのです。


このコンペには3ヶ月くらい前から少人数のチームで案を練り始め、提出前には10人強が作業に取りかかりました。

一般に、スイスの設計コンペでは石膏でできた敷地模型が主催者側から配布され、そこに同じく白くペイントもしくは白い材料で作られた計画案模型を設置して提出します。それは色もテクスチュアも抽象化されたヴォリュームで、計画案の規模や都市計画(とまでの規模ではないにしろ、周辺建物との関係を示す計画)を理解し他案と比較するのに役立つと言われています。
その敷地模型は提出義務だったものの、事務所からは加えてプレゼンのために3つの異なるサイズの異なる素材からできた模型と、リノリウム版画で制作されたドローイングを提出したため、かなりのマンパワーが必要とされました。

僕は当時、事務所にあるワークショップ(製作工房)でチーフをしていました。ピーターにリノリウム版画で図面を制作したいと言われた時に、“全く経験がない、どうしようかな。“と困惑したのをよく覚えています。それでもリノプリントでの制作経験のある芸術家にアドヴァイスをもらい、同僚が鉄を溶接して、レオナルドダ・ヴィンチが遺した機械のスケッチのような装置を作り(笑)、大きなテーブルに固定して試し刷りをスタートさせていきました。


10年以上前のことですが、フランクゲーリーに密着したドキュメンタリー映画を見た時に、ゲーリー事務所がそれはもうかなり大きな模型を作り、その模型を何やら特殊な機械で部分毎にスキャンし、自社開発したソフトウェアで図面に起こしていたのが衝撃的でした。僕にはソフトウェアを開発することが建築家の仕事ではないように感じてしまっていたから。しかし今思えば、自分たちの作りたい形、モノがあって、それを作るためのベストな手立て(道具)がない場合、その手立てを考え作ることから始める。作るための道具を作る、実はとても単純明快な話でした。そうしたプロセスこそが、本当にクリエイティブであると今の自分には思えます。

提出図面はドイツで購入した厚い和紙(のような紙)に、プロッター(大判印刷機)で一部建築図面と版画のためのガイドラインを印刷し、そこへリノリウムを彫ってできた型にインクを塗り、1つ1つ版押ししていきました。とりわけ既存樹木は優秀なインターンが樹種やサイズ毎に異なる版を削ったため、CADで拡大縮小しながら反復して用いる樹木とは全く異なる印象になりました。そうしてできる約A0サイズの提出図面を一枚完成させるのに、3人がかりで約4時間かかります。その間に少しでも押し間違えるとcontrol+Z(やり直し)できないために、もちろんゼロからのやり直しです。作業中は良い緊張感がありました。

提出した模型の1つである1/250スケールの周辺模型(先のリンク先の動画を参照)は、バーゼル近郊で採れる石に因んで紫色に着彩した、ガスベトンと呼ばれる材料から彫刻して作られたものです。全体はいくつかの区分けされたパーツでできているものの、上物(建物)が敷地と一体化していないと、つまり敷地の土台プレートの上に建物が載っているのでは仮に同じマテリアルでできていたとしても一枚岩ではないため全体の印象としては建物が付属的で途端に弱く見えてしまう。それを避けるために大きな塊から建物を彫刻しなければなりませんでした。


計画案それ自体とは一見直接関係のないこの版画や模型たちによって、設計デザインに対して新しい角度の解釈が加わり説得力が増す。建築をやっていて本当に面白いなと思うのは、建築は出来上がるまで空間を実体験できない分、色々な手立てを使ってそれを表現し説明することができ、時に実体験とは全く違った、しかしそれよりも強烈な印象を与えることができる。という事実があるからだと僕はいつも感じています。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。
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