ときの忘れもの ギャラリー 版画
ウェブを検索 サイト内を検索
   
杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第37回 2019年04月10日
拠って立つ土台

ふとした瞬間に、自分が今どうしてここにいるのかと考えることがあります。

おそらく多くの人が新天地で生活を始めると考えていくように、毎日が新しくてわからないことだらけだった日々が過ぎ、生活に慣れてきたもののまだまだ旅行者気分が抜けなかった日々も過ぎ去ると、どうやらもっと腰を据えて生活していかなくてはいけない。と僕も身の回りを注意深く眺め始めました。すると今までなおざりにしてきた事柄を理解しようとしたり、些細なしかしずっとそこにあった課題を解決しようと努めるようになります。ただどういうわけか、大抵そういった事柄は毎日の忙しい生活の繰り返しによって、その存在すら忘れてしまっていることが多いのです。
生活の変化は新しい年度が始まった時、新しい職場にやってきた時にも起こります。勤務先での仕事(建築設計) の仕方、業界のシステムから契約書の作り方まで。いろいろな事柄の全体像が少しずつ見え始め、解決の仕方に慣れることは振る舞いをスムーズにする反面、当初に感じた素直な気持ちや大切な違和感をどうしても忘れがちになります。
先日、日本から建築旅行でやってきた学生たちに事務所内を少しだけ案内した際に、ふと僕自身がスイスにやってきた当時のことを思い出しました。


ピーターメルクリの土台
僕が初めてスイスに留学した時に学んだピーターメルクリのスタジオでは、全く見たこともないような斬新なアイデアを元にした建築を追求するのではなく、今までヨーロッパ建築史の中で培われ、時代毎に編成されてきた建築表現(建築によって説明されることから建築言語とも言います) を下敷きに建築を考えることが根本のテーマにありました。メルクリが設計する建築作品や彼の描くプライマリーで独特なスケッチからは、一見、彼が特別な表現を生み出そうとしているようにも映ります。しかし様々なインタビューで強調しているように、メルクリは建築家が新しくオリジナルな表現を求めて我先にと他者と競うのではなく、歴史を土台にしながらそれを一緒に編成していく重要性について、スタジオ内でも折に触れて語っていました。

僕は当時大学院生。基本的には自分の興味をとことん追求し、それを自由に表現してもいいという環境にあったのでメルクリの言う「歴史を土台にして建築を考える」ということがなんだか後進的にすら聞こえることがありました。かといって斬新なアイデアを表現していたかと言っても、僕自身、既存の建築やアーティストの作品などに少なからず影響され、完全にオリジナルの表現と呼べるものはできていなかった。
そんな頃に友人から紹介されて見に行ったメルクリ設計のチューリッヒにある集合住宅では、教えられた地図上の場所に目的の建築が見当たらずに辺りをぐるぐると探し回った結果、実は目的の建物が自分の目の前にあった平凡な建物のことだったという、作り話にあるジョークみたいな経験をしました。当時の僕は建築家の設計する建物はもっと周囲から目立って建っていると思っていたからです。(もちろん、今ではその建築を平凡だとは思っていません。)
そのメルクリスタジオではまずはじめにヨーロッパ、とりわけ建築が盛んだったイタリア建築史を学ぶことになります。建築とその表現は当時の社会や文化に大きく依っているので、広く言えば文化の歴史にも目を向けなければいけません。
例えばチューリッヒ美術館に行くと、時系列に展示されている絵画の半数くらいはキリスト教に関係していることに気付きます。キリスト教についてほとんど知識がなかった僕にとっては、何を土台にどういった表現をしようとしているのかがわからず、結果的にその展示エリアは小走りに飛ばして、ようやく印象派の時代に入った辺りで足を止め始めていました。実はこんな残念な経験もあって僕は後の2011年に、自身はキリスト教を信仰しているというわけではないけれど、ヨーロッパ文化の土台となっているキリスト教とその教会建築を理解するために巡礼の道を2ヶ月かけて歩くことになりました。(それについては別の機会に)

話を戻します。
メルクリが行おうとしているのは、歴史によって培われた建築表現を削ぎ落としながら建築言語として必要なエレメントを選び出して、シンプルに描き直そうとしていることだと僕は理解しています。それは彼が師事していたルドルフ オルジアティから学んだこと。(第5回のエッセイを参考)またメルクリは、建築は躯体が出来上がったらほとんどできたようなものだとよく話していました。それは彼の建築では建築を構成する床、柱、壁、天井といったエレメントとそれら相互のプロポーションがとても重要で、それは躯体完成によってほぼ決まるからです。

こうした観点からメルクリを理解しようとすると、後に門戸を叩き現在も所属しているズントー事務所は違ったアプローチをしています。


ピーターズントーの土台
ズントー事務所では、このエッセイでも度々取り上げてきたように、建築を考える上で素材が空間創りに担う役割が大きい。素材がどういった工法を好み、建築がどう構築されていくかということにスタディの比重が当てられます。
建築は空間創りに必要な構成要素や扱う素材の種類を増やせば増やすほど、設計者が表現したかったことが多く表現されるものの、その中でどれが最も重要な要素だったのかはぼやけてきてしまいます。それは単純に要素が多いとその要素同士、異素材同士をどうアレンジするのかの判断材料が増え、設計をまとめるのが難しくなってくるからです。(部屋にいくつかの家具やカーテン、カーペットを置こうとする時を思い浮かべてください。どういった大きさのものを、どの色をどこに置こうかと悩んだ人はたくさんいると思います。) 実は設計者にとって、そうした数ある構成要素を秩序づけ、順を追って要素に肉付けしていくことこそがデザインに対する姿勢や考え方を現す最も有効な方法の一つなのです。
つまり建築家の職能とは、床壁天井から机、椅子、棚などの家具や照明、什器、それらの素材や色に至るまでを空間を形作る上で隣り合わせに置いたり、距離を置いたりしながら全体のバランスを測っていく作業の繰り返しでもあるのです。それはある特定の目的のために設える大掛かりな舞台セットというよりは、そこにあるべきものをただバランスよく置くという感じ。そして良い建築というのは、単に要素を並べるだけでなく1+1+1を10にするような特別な化学変化を伴っているもの。それを助けるのはまさにマテリアルの選択です。
構成要素の秩序づけとは各要素に優先順位(ヒエラルキー) をつけて、それとわかるようにしていくこと。例えば床壁天井は空間を形作る要素であるからその空間に置かれる机や椅子よりも上位の要素であるべきで、その机に置かれる食器や花瓶などは下位の要素である。といった感じです。多くの場合、大きな寸法を持つ要素ほどヒエラルキーは高く、一方でその全容を把握することが難しくなる。その場合、次に何を置きどう組み合わせていくのか、取り付けていくのかが重要になります。

実はこうしたヒエラルキーで一旦秩序づけられ、理解されていた要素が体験するレベルではどういうわけか一緒くたになって、ヒエラルキーなく見えてくる。そういう一見矛盾しているようなことが起こりうる建築空間に僕は大きな興味を持っています。

ズントー建築や事務所にあるプロジェクトの模型を見て「見た目の新しさや奇抜さみたいなものはないけれど、シンプルな中に実は常に新しさがある」と一人の学生は応えてくれました。素材とその特性を生かした構築の仕方によって、幾重にも考慮された腑に落ちる建築ができあがっている。シンプルというのはできあがった建築の形態を描写した言葉というよりは、その作られ方に関係していると僕は思います。
ズントーは事あるごとにこう質問してきます。≪Ask your grandmother≫ 建築プロパーでない人でも、それこそおばあちゃんでも理解できる建築。最終的に出来上がる空間の雰囲気はマジックでもなく、温泉の湯気によるミステリアスな情景でもなく笑、腑に落ちている決定の繰り返しによって、そして鑑賞者の繰り返しの納得によって生まれた確かな信頼感が創り出すものです。ズントー建築が時代に流されず、常に多様なバックグラウンドを持った多くの年代から支持を受けるのは、難しそうな理論抜きに誰もが知っている≪当たり前のこと≫の中で感覚的にも研ぎ澄まされたものを納得できるレベルにまで高めているからだと思います。ここではおそらく最も多くの人が素直に考えるであろうこと、誰もが経験的に知っていることを土台としています。

メルクリもズントーも特別な土台の上に建築を作っているわけではないのです。
僕はいつも、世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように努力しているつもりです。しかし、少しずつ知識を増やしていくごとに無意識にも頭でっかちになってしまっていたことを、こうした学生たちとの会話が気付かせてくれました。どうもありがとう。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。


「杉山幸一郎のエッセイ」バックナンバー
杉山幸一郎のページへ

ときの忘れもの/(有)ワタヌキ  〒113-0021 東京都文京区本駒込5-4-1 LAS CASAS
Tel 03-6902-9530  Fax 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/

営業時間は、12:00〜19:00、日曜、月曜、祝日は休廊
資料・カタログ・展覧会のお知らせ等、ご希望の方は、e-mail もしくはお気軽にお電話でお問い合わせ下さい。
Copyright(c)2023 TOKI-NO-WASUREMONO/WATANUKI  INC. All rights reserved.