杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」 第41回 2019年08月10日 |
コンクリートの石ころ 今回は先日訪れたピーターメルクリ(Peter Maerkli)設計のGrabsにある住宅で感じたことを綴ろうと思います。 この住宅は1994年に建てられ、メルクリが設計した建築の中でも初期の作品にあたります。地上二階地下一階建ての四角いコンクリートの塊が地面の上に建っている。いやむしろ、≪置かれている≫という表現がしっくりくるかもしれません。建物の足元部分を見てください。大きな石ころを地面に置いた時のようにある部分は地中に喰い込み、またある部分は地面からほんの少しだけ浮いていて隙間ができているのがわかるでしょうか。 クライアントはGrabsからそう遠くないTruebbachにあるメルクリが設計したアパートに住んでおり、そこでの暮らしが気に入ったために新居の設計をメルクリに頼むことにしたといいます。多くの若手建築家の例にもれず、メルクリも当時は今のように多くの仕事を抱えていたわけではありませんでした。別の言い方をすれば、このプロジェクトにたっぷりと時間をかけることができた。しばらくして2つの計画を提案してきたそうなのですが、その案を見てクライアントが≪こちらのA案がいい≫と言うと、≪それではB案にしましょう≫という風にして案が決まったそうです笑。 傍からその部分のやりとりだけを聞くと、なんてあまのじゃくな。。。とも思うのですが、メルクリはおそらく初めからB案で行こうと決めていたのでしょう。クライアントの方もこの建築家ピーターメルクリに惚れ込んで頼んだからにはこの人の思うようにやってもらおうと、その決定を理解し受け入れたといいます。 僕は学生時代の2010年にこの住宅を初めて訪れました。その時は直前にアポを取って向かったために、残念ながらクライアントの都合で内部の見学はできなかった。代わりに持っていた図面資料を片手に建物の周辺をぐるぐると歩き回り、近くからそして遠くからといろいろな角度から眺めていました。この建築は見る方向によって二階の窓が目に、そして一階のバルコニーの部分が大きく開いた口にも見えるのですが、このロボットの顔みたいな外観は一度見るとなかなか忘れられません。 そうこうしているうちに年月が流れ、ズントー事務所に来ているインターン生の実家がたまたまこの住宅のご近所であったために、今回は彼を通して再び見学させてもらう機会を得たというわけです。 聞けばクライアントは今から約3年前に、子供の成長とともに手狭になってきた家の増築をメルクリに依頼していました。彼が家に来て現在の住まわれ方を見ると設計を承諾してくれたそうです。そして前回の新築はメルクリが案を作り決定したのに対して、今回の増築はクライアントといろいろと相談しながら決めていった。≪メルクリも年を重ねて変わっていったということでしょう≫と話すクライアントからは、一人の建築家とともに歩んで来た年月を慈しみ、愉しんだような笑顔がありました。そして何よりメルクリ設計の住宅をとても気に入って大事に住み、誇らしく思っていた。それは設計者として何より嬉しいことだろうと、僕は羨ましく思ってしまいました。 新しい増築部分は、既存のキッチン部分を取り壊して拡張されたエントランスホールからアプローチします。まずは新しくなったキッチン、ダイニングテーブル、リビングと続き、廊下を介して寝室、クローゼット、バスルーム、最後に屋外プールというように、プライバシーの必要な部屋が奥に奥にと来るように機能の順列がされています。 既存部分の各部屋が限られた面積の範囲でかなりコンパクトに配置されていたのに対して、増築部分はリラックスしたように十分な広さと天井高さを備えていて、対照的とも言える空間が作り出されていました。リビングの床はコンクリートで、乾燥収縮に伴って起こり得るひび割れをコントロールするための誘発目地が入っている。。と初めは思ったのですが、その目地が必要以上に大きくて、優に15mm以上はある。つまりコンクリートの床はその目地によって分割され、さらにいくつかの床は白く塗装されているので、結果として床がダイニングテーブルと同じくらいの非常に大きなコンクリートタイルでできているかのように見えます。それは虫眼鏡を通して拡大された小口タイルを見ているようで、僕はこの突然の大きさに驚き、自分の足元が途端に現実的でないように感じて心許なくなってしまいました。 それはまた、既存部分の内部空間に見られるような≪細かいところにも目の行き届いた≫小さなスケール感に比べるとやや間延びしているようにすら思える。これはどういうことだろうと頭を傾げている一方で、一緒に訪れた同僚の中には、今のメルクリの建築デザインに見られるような≪とてもリラックスした感じ≫がすると捉えている人もいました。 たしかに既存部分はスペースに無駄がなく機能的ではあるけれど、友人を呼んでディナーを共にするような場所はありそうにない。一方で空間に余裕をもたせた、少し大味なデザインとも取られてしまうようなオーバースケールの増築部分は、既存部分と一緒に住まうことで全体としてバランスが取れているとも解釈できるかもしれない。。。 ここで既存部分の竣工時にスイスの建築雑誌Werk Bauen+Wohnenに掲載された図面を眺めてみましょう。 まず一階平面図を見てください。真ん中下に階段の表示が二つあります。左は地下へ行く階段。右はエントランスのステップです。エントランスから入るとまず右手にワードローブのスペースがあり、そして二階へ上がる階段があります。図面に見られるように、増築前にはエントランスドアのちょうど向かいにリビングへ入るドアがあり、そして左手にキッチンへ入るドアもありました。増築後の現在はキッチンは壁ごと取り払われ、カウンターのあったところから増築部分へアクセスします。リビングへ向かうドアは塞がれ、キッチンにあった蛇腹に開閉するドアの部分に、リビングへ続く新しいドアができていました。竣工時から変わらないL字の空間はゆったりとした半屋外のテラスで、引き戸によって完全に閉じることもできます。 二階へ上がってみましょう。階段を上りきるとそれぞれの部屋へアクセスするホールのようなスペースがあります。4つの部屋それぞれには造り付けのクローゼットがあり、よく見ると建物の外形は正方形ではなく、それぞれの部屋も綺麗な矩形をしていません。少しだけ伸ばされて歪んだ形になっているのがわかります。(こんなところからも、僕は石ころのような形を想像します) 少し変わっているのは水回りの空間です。二階ホールから右手にトイレ、シャワーそして下方にはバスタブのある部屋があります。これらの機能はスイスの住宅では一つの部屋にまとめていることも珍しくありません。この住宅ではバスタブと洗濯機は長細い部屋に、トイレとシャワーはそれぞれ別の部屋になっています。L字の形をしたシャワーの部屋と四角いトイレの部屋は、一緒にしたら洗面台も一つで済むだろうし、現状だとシャワーブースへ行くにはドアを開けてから通路のようなスペースを通らなくてはいけません。それでも数人の家族が住む家としては、この機能の振り分けがもっとも合理的だったと判断できます。 メルクリが設計した住宅を見ていると≪突拍子も無いひょうきんさ≫みたいなものをよく発見します。僕はいつも≪えっ、こんなことするの?≫というリアクションをしてしまう。それはどちらかというと≪これはないだろう。。≫という響きを含んだ驚きです。今回で言えば、増築部分の大きすぎる目地を持ったコンクリートの分割された床(コンクリートタイル)。少しざっくりとした各部のデザイン。。。 そうした印象も既存部分を体験し、建築の全体像がわかってくると≪あぁこれもありだなぁ≫と思い返し、見学が終わる頃には≪だからこうだったのか≫いう納得に変わっていく。別の言い方をすれば、建物の部分だけ見るとどうも浮きだっているけれど、全体を俯瞰してみるとその部分が1つの建築として理解するのに上手く効いている。 メルクリが設計する建築の、そうした気持ちを揺さぶってくるところに、さらには鑑賞者(ここでは住まい手を含んだ)をただ傍観者としてではなく能動的に建築の理解へ導くようなところに、僕はいつも感心させられています。メルクリの建築はそうこなくっちゃという具合に。 参考文献 Werk, Bauen + Wohnen 82 (1995) Du : die Zeitschrift der Kultur 52 (1992) 1994年に建築ができてから想像以上に多くの建築関係者、学生がこのメルクリの初期住宅の傑作を見に来るらしく、写真撮影は禁止でした。また増築部分はパブリッシュしないということなので、今回の記事では既に出版された雑誌の記事を参照しています。 1997年に建てられたヴァレリオ オルジアティ(Valerio Olgiati)設計のPaspelsの学校にも少しだけ歪んだ矩形の平面を持つ教室があります。かちっとした印象を与える幾何学ではなく、少しだけ崩した柔軟にすら見える形を用いるのは、スイスの旧市街や古い農家の建築にそもそもまっすぐな壁がないことと同じだ、と解釈することもできます。 (すぎやま こういちろう) ■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA 日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。 2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。 2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。 世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。 「杉山幸一郎のエッセイ」バックナンバー 杉山幸一郎のページへ |
ときの忘れもの/(有)ワタヌキ 〒113-0021 東京都文京区本駒込5-4-1 LAS CASAS Tel 03-6902-9530 Fax 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com http://www.tokinowasuremono.com/ 営業時間は、12:00〜19:00、日曜、月曜、祝日は休廊 資料・カタログ・展覧会のお知らせ等、ご希望の方は、e-mail もしくはお気軽にお電話でお問い合わせ下さい。 Copyright(c)2023 TOKI-NO-WASUREMONO/WATANUKI INC. All rights reserved. |