杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」 第45回 2019年12月10日 |
蕾の時期 ズントーが建築家ピーターズントーとして広く知られるようになったのは St.Benedict Church を完成させた頃からであったと言われています。 それ以前にもいくつかのプロジェクトがあるのですが、五冊組の作品集 (PETER ZUMTHOR 1985–2013) の一冊目が自身の木造アトリエから始まるように、初期の建築はあまり知られていません。 今回、グラウビュンデン州立国土保護 Bündner Heimatschutz (も参照) が主催した ≪Baukultur Graubünden 1950-2000 best 52≫というイベントの一環として、木造アトリエ (1986年) 以前に建てられたハルデンシュタインにある二軒の改修と、二軒の新築の合わせて4つの建築が、二時間だけ一般公開されることになりました。 多くの建築家、建築関係の仕事に携わる人たち、建築を学ぶ人たちがハルデンシュタインにある3つのアトリエを連日訪ねて来ます。 1986年に建てられた通称 木造アトリエ。その斜向かいに2005年に建てられた通称 、そして2016年に建てられた通称 。新アトリエはコンクリート造に木材とガラスでできたファサードが付いています。 これら3つのアトリエは一部を除いて現在も設計事務所として使われていますが、そのすぐ近くに二軒の改修が、一つはかつてズントーが住み、今も家屋の半分を所有している建物があったということを、イベントパンフレットを読んで初めて知りました。 というわけで今回は、四軒にまつわる歴史を少しだけなぞっていこうと思います。 初めに向かったのはHaus Wyss (1976) です。 1967年にズントーがニューヨークからスイスへ戻って来なければならなくなった時、生まれ育ったバーゼル近郊ではなく、ここグラウビュンデン州にやって来たのは、グラウビュンデン州の史跡保護 (Denkmalpflege) にて職を得たことがきっかけでした。 グラウビュンデン州はスイスの中でも最も面積が広く山岳に囲まれ、アルプスの少女ハイジのイメージのもとになったと言われるマイエンフェルト (Maienfeld) もこの州に位置しています。 初耳だったのは、ズントーがそこで50%で働いていたことです。日本ではあまり馴染みのない言い回しですが、毎日そして終日働くことを100%とした場合の50%。つまり半分の時間だけ雇用されているということ。それは週のうち、丸二日と半日の場合もあれば、毎日午前中だけという場合もあります。 家族で過ごす時間を大切にするスイス人にとって、こうした働き方は一般的で、僕たちの事務所でも何人かは80%の雇用形態を取っています。100%ではないから仕事に情熱がないとか、プロジェクトの主要な位置に就けないとかいうネガティブな影響や印象については聞いたことがありません。 むしろプロジェクトをコントロールする立場にいる人であれば、自分でチームのスケジュールをうまく管理して、例えば、小さい子供と過ごす時間を大切にしながら仕事と家庭の両立を図ることができます。 ズントーは Denkmalpflege での仕事である、古い農家を図面に起こしてアーカイブしたり、改修の相談に乗ったり、また集合住宅のプロジェクトをしながら、仕事を通して初めてのクライアントに出会いプロジェクトを得ていきました。 実はこのHaus WyssのクライアントであるWyssさんはグラウビュンデン州の Denkmalpflege が1960年に発足した時の第一人者であり、1967年からズントーがこのチームに加わった、つまり上司にあたる人です。ズントーはそこで1979年まで働き、独立していくことになります。 この二軒を内部で繋げた家は、そのWyssさんが1975年にハルデンシュタインに購入した古い家屋を二年の歳月をかけて改修したもの。この時期の少し前にズントー自身が家の半分を所有していた Haus Buchli が完成し、その空間の素晴らしさに感動して依頼されたものであったといいます。 今でこそ、ズントー建築といえば独特のプロポーション (全体を形作る寸法体系) と、構法に裏付けされた素材の扱いが特徴的ですが、これらの家ではそのエッセンスがまだ蕾の状態。 むしろ僕には現在とは別の事柄を目指していたようにも、Denkmalpflegeで行なっていた農家の図面化や改修といった日常での仕事から、そう遠くないところで設計をしていたようにも見て取れました。 言ってみれば、部屋のそれぞれの場所に物語が潜んでいるような。。 例えば、このダイニングテーブルには誰がどの位置に座って、どういう食事をとりながらどう過ごすのか。そうした情景が思わず浮かんでくるような、空間づくりです。 目に見えるもの、手に触れるものが丁寧に作られているのがわかります。 ズントーが設計する時に話す ≪Ask your grandmother≫ おばあちゃんでもわかるような設計をしなさい。という言葉につながっているように思えます。 Haus Buchli / Zumthor (1972) ズントーが長く協働していたエンジニアJürg Buchli。そのBuchliとともに購入し改修したのがこの家です。家の左側にBuchliが住み、右側に若かりし頃のズントーが住んでいたようです。 正直に言ってしまえば、内部空間は誰が設計したとも言い難いアノニマスな印象を受けました。 そんな中でもいくつか気になったのは、バスルームがタイル貼りで壁の一部が曲面になっていたこと。棟梁に少しだけ装飾がしてあったこと。何より、部屋がフロアごとに計画されているのではなく、スキップフロアのように立体的に配置され、部屋同士の関係が明確に意識されていたことです。 改修とはいえ、ファサードつまり外殻以外は別の独立した構造でもって内側を総替えしてできた立体的な構成は、後の新築 Haus Dierauer につながっていくものがありました。 Haus Dierauer (1976) 高校教諭だったDierauerさんが知人を通してズントーに知り合い、 依頼することになったこの家は、外観を見ると先に紹介した二軒のように既存の建物を改修したようにも見えます。 ズントーにとってこれが初めての新築でした。 今のズントー建築を知る人から見れば、少し意外な印象も受けるでしょうか。 内部は同じ平面計画の積み重ねでできているのではなく、真ん中に大きな柱があり、そこを中心に螺旋を描くようにして立体的に部屋が配置されています。そのため、上下の視線の抜けが多く、家全体が一つの空間として一体的に作られています。 太く頑丈な手すり、手すりこ。大きな板張りの床、漆喰塗りされたレンガの壁。こうした要素は繊細な印象を受ける現在のズントー建築からは直線的につなげて想像できません。 それでも一つ一つの要素を丁寧に見ていくと、最終的な出来上がりは異なっているものの、着眼点や、そこでやろうと試みている事柄のエッセンスは時として非常に似ていることに気づきます。 ズントーが家具職人として教育を受けたという事実を窺い知れるのは、いつもキッチンです。 キッチンが机や椅子、キャビネットのように生き生きと、家具の延長として設計されています。 今ではキッチンは食洗機やオーブン、冷蔵庫などとともにユニット化されているのが一般的で、多少のカスタマイズはできるものの、それが家具であるという印象はあまり感じられません。 改修が行われた当時にはこうした傾向がなかったのでしょう。キッチンとは別にして、近くに暖炉があり、そして冷蔵庫がある。キッチンカウンターには食洗機もなければ高性能のオーブンもありません。だからこそキッチンは家具のように、取っ手から引き出し、シンク、そして天板までが一つ一つ丁寧にデザインされ、家の他のどの部分と比べても、多くのアイデアが集約されているのが見て取れました。 Haus Räth (1983) この家はハルデンシュタインの北端の行き止まりにあります。 村をぶらぶらと歩いたことのある人なら、おそらく偶然見つけて、これはどこかの建築家が設計したのだろう。と考えるのに十分なくらいに特徴的な外観。 建てられたのは木造アトリエの少し前、上記3つの建築とは少し違った感じがします。 ノスタルジックにさえ思えた≪温もりを感じる場所≫は影を潜めて、建築が少しだけ人間との距離を保とうとしているようにも見えます。 僕はその感じを、少し≪冷たい≫と形容しそうになりましたが、正確にいえば、≪少し距離を置いた≫というだけ。 人間が建築の中に暖かな空間を見出していくという視点から、建築を一旦人間から切り離し、構築した上で再び人間との良い距離を保とうとしている。 居心地の良い部屋の集まりから、素材の可能性と光に満ち満ちた静謐な空間へと移行している。 それは美術館や住宅といった機能もを通り越したところにあると考えます。 シンメトリーな構成、矩形の平面。 図面を見ると、建築が部屋が集まってできたように設計されていた頃から、まず外形が意識され決定されたような作られ方、図式を意識した作られ方に移っていったとも言えるでしょうか。 この建築から木造アトリエ完成までは数年です。 Haus DierauerからHaus Räthへのジャンプは大きかった。 そしてHaus Räthから木造アトリエまでのジャンプもまた、さらに大きかった。 さっと流した感じになってしまいましたが、それぞれの住宅の詳しいところは別の機会に紹介しようと思っています。 参考文献 Baukultur Graubünden 1950-2000 パンフレット Open house: ≪Zumthor vor Zumthor≫ Hochparterre 11.2013 (すぎやま こういちろう) ■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA 日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。 2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。 2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。 世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。”建築と社会の関係を視覚化する”メディア、にて隔月13日に連載エッセイを綴っています。興味が湧いた方は合わせてご覧になってください。 「杉山幸一郎のエッセイ」バックナンバー 杉山幸一郎のページへ |
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