自分が編集に関わった本を、表紙までついでにデザインしてしまうことは、少なくとも建築界では、そして1960年前半あたりまではごく普通であったと、植田実は言います。
そのあたりのことは別の機会に書くとして、ただ表紙まわりのデザインだけを別の出版社から依頼された、つまり一応ブック・デザイナー扱いされたのは、フィルムアート社の『メカスの日記』でした。映画作家であり詩人でもあるジョナス・メカスの1959年から1971年にわたる日記の邦訳ですが、その翻訳者の飯村昭子から植田の名が挙げられ、フィルムアート社の奈良義巳さんから連絡があったらしい。飯村昭子は映像作家・飯村隆彦の夫人であり彼女もいくつかの映像作品があるようです。メカスとの交諠はそういう関係もあってのことらしい。そして彼女と植田とは大学時代の同級でした。もちろんそこでデザインをやっていたわけではなく、畏くニューヨークに住んでいる飯村夫妻は植田の建築誌編集者としての仕事さえほとんど知らないはずなのですが、とにかくブックデザインを依頼してきた、とのこと。
デザインはごらんのとおりです。ジャケットはノドまで深く折り返し、黒地にメカスの全身像が繰り返し使われ、文字は白ヌキ。背表紙のロゴ・タイプが表紙あるいは折り返しの内側にまで繰り返されています。この写真とロゴの連続、さらにはロゴの書名、著者・訳者名、出版社名を区切る太いケイを加えて、映画のフィルムを暗示しようとしたデザイン。カバー(本表紙)では背表紙からロゴが消え、白ヌキ太ケイ(パーフォレーションに見立てた)だけが残るという仕掛けです。背表紙にタイトルが入っていないなんて、と奈良さんはかなり抵抗したらしい。トビラまで同じデザインを移動させて繰り返している。
この本は1974年初版、1993年に増補改訂版 が出ていますが、表紙まわりは基本的に変わっていません。ジョナス・メカスといえば、偶然にも「ときの忘れもの」にとっても深い関係があるのですから、これについては綿貫不二夫に補ってもらいます。
フィルムアート社からは、このあと『映画のシュルレアリズム』のブックデザインも受けています。
ジャケットはやはり黒地に写真、文字白ヌキ。太いケイも使われていますが、今度は斜めの角度を主調としています。ライトグリーン一色の本表紙にはこの斜めのケイだけが残り、さらに各章トビラにも同じパターンが繰り返されます。アド・キルー著、飯島耕一訳。飯島は植田が高校時代から憧れていた詩人。その住まいも植田の家から歩いていける距離にあるのが、やはり偶然というか、おもしろい。
建築領域の編集者であるせいか、この2冊、どこか建築的な、構造をイメージしているともいえそうです。
(ときの忘れもの 九曜明)
ときの忘れもの亭主から一言
この本の初版が刊行された1974年、毎日新聞社にいた綿貫不二夫は「現代版画センター」を創立した。それから間もなく磯崎新の紹介で知った植田実を、美術に強い建築編集者とばかり思い込んでいて、装幀も多少手がけていたことは知らなかった。1983年春、ニューヨークでジョナス・メカスに会った綿貫はその人柄に惹かれ日本での展覧会〈アメリカ現代版画と写真展―ジョナス・メカスと26人の仲間たち〉を企画する。その秋、格安チケットを送ってメカスの初来日を実現し原美術館で展覧会を開いたが、このとき植田と著者はすれ違いだった。2005年10月ときの忘れものの個展オープニングに久し振りにメカスが再来日し、その歓迎の宴でようやく著者と装幀家はあつい握手を交わした。初版刊行以来、30数年が経っていた。
『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』
発行日:1974年4月1日 改訂版発行日:1993年9月3日
著者:ジョナス・メカス
訳者:飯村昭子
装幀:植田実
発行者:奈良義巳
発行所:株式会社フィルムアート社
サイズほか:21.6×15.4cm、402頁
表紙:ソフトカバーにジャケット
『映画のシュルレアリズム』
発行日:1997年12月12日
著者:アド・キルー
訳者:飯島耕一
装幀:植田実
発行者:奈良義巳
発行所:株式会社フィルムアート社
サイズほか:21.0×14.8cm、416頁
表紙:ソフトカバーにジャケット
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