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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第13回 「空海と密教美術展」  2011年9月21日
「空海と密教美術展」
会期:2011年7月20日(水)― 9月25日(日)
会場:東京国立博物館 平成館

 会場で手にした出品目録を見ると、全99点のうち国宝52点、重要文化財46点という豪華さ。こんな数にこだわる必要はないのだけれど、宣伝パンフレットの頭に「国宝重要文化財98.9%」の文字が目立っているので、企画側でもそれほど力が入っているにちがいない。
 密教を理解するのはなかなかむつかしい。
「美術展」と銘うっているのだから観る人それぞれの理解度で、仏像や曼荼羅図や法具の素晴らしさ美しさを愛でればよいのだろうが、こういう機会にこそ、密教というものがはたと分かる一瞬を期待する気持ちがある。すこしは分かったようでまた知りたい確かめたいことがいくらでも出てくる。
 空海の考えでは、教えは言葉だけでは伝えにくいので図像を用いる、それで曼荼羅が描かれたわけだが、いいかえればそれほど密教は身体と精神に関わる宇宙的な体系を強靭につくりあげ、その細部まで一分の隙もない。
 今回はその両界曼荼羅図のなかでもエース級の「西院曼荼羅」(石元泰博と杉浦康平がすごい本にした)と「血曼荼羅」が出品されて久々に再拝観できたが、その原型がずばりうかがわれそうな「高雄曼荼羅」の展示期間が過ぎていたのは残念だった。全体のスケールが大きい分だけ展示替えも多い。ちゃんと調べておけばよかった。
 曼荼羅図をさらに直截に伝えるために立体曼荼羅というアイデアが出てくる。平面の図像をいきなりフィギュア化するというよりは従来の仏像配置を踏まえたうえでそれを新らたな尊像群で再編成したと考えることもできるのではないか。だが理論的に構成したその配置は従来のものとはまったく異なる。それは京都の東寺講堂を拝観したときの異様ともいえる印象だったのだが、今回展の図録で確かめると、五仏(この中央に大日如来、密教宇宙の中心)の左右を五菩薩、五大明王のグループが固め、さらにその外側四方に四天王、その四像が張るバリアーを強化するように梵天と帝釈天が位置する。と、こういう説明の仕方でよいのかどうか覚つかないのだが、あわせて二十一体が距離的にそれほど引きのない堂内で当然ながら正面を向いているので、そこに足を踏み入れた者は途方もない迫力にただただ圧倒されてしまう。
 今回はそこから八体が出品されて立体曼荼羅の片鱗を見せている。「古代ローマ展」の円盤投げの彫像や「国宝 阿修羅展」の阿修羅像がそうだったように、この東寺の八体が展示のハイライトとしてそれこそ照明などで劇的に演出され、観る者はそのあいだを縫って、仏像をじっくり拝観できる。東寺におけるのとは別のたたずまいを知る機会ともいえる。
 唐からの空海請来の品々はまさにこれだ、といった経典、絵画、法具類には千二百年前に求法の現場がたしかにあったことを教えてくれて見応えがある。しかしそれで空海像に迫ることになるかというと、やはりむつかしい。その活動のあまりの大きさへの実感は、むしろ彼を私たちと同じひとりの人として理解することから遠ざけるとさえいえるからだ。
 展示会場に入るまえに、とにかくこれだけ見ておけばいいやと自分なりに決めていたものがある。空海の書である。ここにはまちがいなく千二百年前の、しかし現在でもその呼吸を感じとれるほど間近かに、空海その人がいる。以前に見たごく短い手紙(最澄あての「風信帖」。今回も出品)や大きな催しのために自ら事細かく綴った覚え書(たとえば「灌頂暦名」。今回も出品)などは、書の美しさを追求する書なんかではなく実用一点ばりに書かれたものである。空海はこの時代の三筆のひとりと称せられるが、これらの書は美の基準をこえてしまった、じつに複雑な表れになっているのだ。今回の出品にはその他に、彼の猛勉ぶりが生々しく伝わってくる「大日経開題」や、入唐前、青年時代に書かれたという「聾瞽指帰」二巻がある。後者は二巻それぞれ約12メートルの長大な用紙を埋めつくす戯曲仕立ての草稿だが、精力と自信に満ちみちた筆力はただごとではない。
 空海は唐で「五筆和尚」とも呼ばれたらしい。皇帝の依頼で宮殿の壁に書を揮毫したときに両手両足にそれぞれ筆を持ち、さらには口にくわえて一気に書きあげたという。こんなパフォーマンスはいくらなんでも伝承だと思うが、あらゆる書体をマスターしていたことに由来しているのかもしれない。飛白体という左右対称の、呪術的ともいえる不思議な、それ自体が鏡像化している文字まで書いた。ダ・ヴィンチみたいなところがある。上に触れた「聾瞽指帰」を見ているときは村山槐多のことが頭をよぎったりした。
 ようにするに常人であって常人ではない。われわれが知るどんな天才を思い浮かべても及ばない天才である。書家でも画家でもない。おそらくは世界でも稀な、それまでの仏教を超越する精緻な体系をひとりでまとめあげた、その業績によってこそ空海と呼ばれるのだから。
(2011.9.12 うえだ まこと)

西院曼荼羅(部分)

東寺仏像曼荼羅(イメージ)

聾瞽指帰

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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