植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」 第33回 「福原コレクション 駒井哲郎1920−1976」展 2012年6月13日 |
「福原コレクション 駒井哲郎1920−1976」展
会期:2012年4月28日(土)―5月27日(日)(第I部)、5月30日(水)―7月1日(日)(第II部) 会場:世田谷美術館 昨年4月、町田市立国際版画美術館からスタートし、萩、伊丹、郡山、新潟の各美術館を経て世田谷をゴールとする巡回展である。町田での第I部を見た段階でこの欄に報告を書いたが(おこぼれ6)、第II部には行けず、今回やっとI、II部を通して見終わった。 このところ巡回展が多い。たとえば前々回に報告した目黒美術館のペリアン展は、その前に鎌倉の県立美術館でもやったもので、テーマや図録はもちろん共通しているが、展示が少し違う。空間が違うのだからあたりまえかもしれないが、それ以上の工夫が凝らされているようで、そこに美術館それぞれの主体性が感じられておもしろい。駒井展でも町田では別室に「西洋版画の世界−駒井哲郎の視点」と題する参考作品展示を用意していたし、世田谷ではとくに銅版画の技術を丁寧に解説するコーナーをつくり、そこでは駒井が使っていたプレス機を見ることもできる。 それに加えて、中林忠良、渡辺達正による講演の日を選んで見に行った。駒井に学んだふたりの、制作者としての立場からのさらに具体的な話を聞きたかったのだが、そこで、彼が芸大の非常勤講師だった1965年頃、美術番組のためにNHKが銅版画制作の現場を撮影したモノクロ16ミリフィルムのラッシュを見せられたときは怖いような感情に襲われた。長年、ただ完成品としての作品にしか接してこなかった者には、それに至る過程を一瞬垣間見るだけでも隔絶した領域に足を踏み入れてしまった気持ちになる。油絵や日本画の制作風景とは違う。絵具は子どもだっていきなり使えるが、銅版画では前段階における技法の手続きが必要になる。逆にいえば、それを少しでも知ることは完成作品の見方や評価に影響するのかもしれない。 第I部については町田のときに書いたので、第II部すなわち1961年以降の作品に限れば、前からダンゼン好きだったのは≪洪水≫(1966)で、安東次男との詩画集『人それを呼んで反歌という』のなかの「腐蝕画」と題された詩に付けられたエッチングである(単独作品としては≪洪水≫になっているのだと思う)。この詩画集の文字組みは、詩本文は縦組み、題名だけがその斜め下あるいは上、あるいは横組みにレイアウトされているなかで、「腐蝕画」の題名はなんと天地逆さに組まれている。詩本文もほかと違って分かち書きではなく散文詩ふうに21字×6行と、1字のあまりもなくきっちりと完結している。その内容は逆さに組まれた題名に表れているのか、実体とその反映あるいは鏡像をうたっているとも思える。そして駒井のエッチングは縦長の画面中央に立ち木が描かれているのだが、これも実体と脚元に寄せる水に反映した影とが一体となって、さらに縦方向に長く伸びている。 木は1本ではない。群生しているともいえない。10本あまりの細い幹が株立ち状に、枝葉を伸ばしつつ絡み合うように凝縮した姿であり、樹冠も鉄のように硬質に見える。水面に映る影は素早いタッチで直線を垂直水平に交叉させながら描かれているが、この描線はそのまま立ち上がって樹木の背後に深い奥行きをつくり出し、さらにいちばん奥では低く水平に左右に広がって、水と空の境界を見せている。つまり、洪水に見舞われた森の一部が半島状に残って、というより楔状に水面を割って二分しているその先端部が、見る者に真っ向から大きく迫ってくるのだ。 空は雲、というか今度は逆に水面からの反映のように柔かい水平の線で埋められ、左端に少し密に調子をつけたマッスが立ち上がっている。これが雲といえるのかもしれないが、そのなかからふたつの顔のような得体のしれない表情が見えてくるような見えないような。 これは何となく見過ごしていたのだが、同じ時期につくられたらしい≪大樹を見あげる魚≫では、中央に株立ちの木、水面、遠くの森という構成要素は同じだが、その樹木は脚元が画面からトリミングされるまでにもっとずっと手前にあり、しかも一株だけ独立して描かれている。そのために水面と森はおのずと樹木の背後全面を満たしていると見える。≪洪水≫の基本要素が端的に示されているともいえるけれど、作品名にあるように水面の左手、波間に2匹の魚の頭が見える。これが≪洪水≫の空の不思議な表情に反映されているのではないか。 最初期の≪河岸≫(1936)や≪丸の内風景≫(1938)から、樹木が構図は定法的ではあるが重要な要素として登場していた。それが1954年の渡仏以来、とりつかれたように数多くの木々が描かれるが、そのあり方は一変し、樹木そのものが対象となる。1本だけのときも数本あるいは群生のばあいも、思索する木とでもいうべき空間をその周りにつくり出している。そしてついには水面をとりこむことによって反映あるいは鏡像が生み出されるなかで、風景画でありながら風景とはいえない≪洪水≫に至る。 それは地上のどこかの場所ではない。夢のなか、幻覚のなかで束の間見えただけだが記憶に長くとどまるといった場所でもない。どんなに迷い、まわり道をしても確実にここに出られる、そういう場所である。だってそこは現に描かれているのだから。ここにいればどんな孤独にも耐えられる、いやもっとも豊かな孤独が澄んだ空気のようにある。この場所こそ私の天地だ。 と、大袈裟になってしまったが、駒井哲郎というひとはこうしたイメージに到達し、そのレベルが全作品に及んでいる。ほかの系列の作品についても書きたいくらいだが、きりがないのでとりあえずはそのなかで、絵としての成熟度の高い落ちついた美しさよりも、ある「場所」へと向かう狂気の美に、私の好みはやや傾いているとだけ弁解しておきたい。 講演会では、≪束の間の幻影≫や≪R夫人像≫など、いくつかの具体的な作品の制作の様子が見えてくるような解説はじつに勉強になったし、駒井の人間像についても見事に語られていた。渡仏後すぐの、痛切ともいえる写実性が結集した≪教会の樹≫(1955)の、モンパルナスのノートル・ダム・ド・シャーン教会を、およそ20年後に中林忠良が訪ねたとき、エッチングのなかでは葉ひとつ付いていない裸の若木は、大きく高く成長し、枝は葉叢に厚くおおわれていた。「あのときからこれだけの歳月が経ったのだと実感した」と中林は話し、それは当時の日本において版画、とくに銅版画は認められなかった、いや誰もそんなものの存在さえ知らなかった時代からの、駒井哲郎の苦闘と、しかし現在に至るまでほかの誰もがその片鱗にも触れることのできない世界を描き出した意味をあらためて強調したのだった。 (2012.6.4 うえだ まこと)
■植田実 Makoto UYEDA 1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。 「植田実のエッセイ」バックナンバー 植田実のページへ |
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